登場人物紹介
体が重い。暑い。間接の節々が痛む。睡眠時間を十分にとっているにも関わらず、頭がぼーっとしている。俗に言う風邪の症状、だそうだ。くそ、何故この俺様が風邪の諸症状などを体験せねばならんのだ。二十年以上生きてきて、病気にかかった事など一度も無いというのに。
おまけに運の悪いことに、今日は12月31日、ここの暦でいうシルベスターだ。何故よりにもよってこの俺が、ベッドの中で天井の木目を数えながら、シルベスターを過ごさねばならんのだ。理不尽だ。神の嫉妬だ。天地崩壊の危機だ。あってはならんことだ。
懸命な努力を重ねて体を少し起こし、じんじんと痛む首を動かして窓の外を見る。街路越しのアパートはひっそりとしており、光が消えている。耳を澄ませても物音一つ聞こえてこない。この辺りの宿舎に住む傭兵共は、みなシルベスター会場に行くなり寝るなりしているのだろう。その中には俺の部下も含まれているに違いない。隊長が倒れたというのに見舞い一つすらないとは薄情者どもめ。復帰したらまとめて関節技だ。
と、その時、ここ数日間人が触れていない扉を通して、コン、コン、というノック音が聞こえてきた。顔を上げ、返事をする。
「おう、入げほっ」
くそっ、ノドが痛い。普段ならあまりの美しさに舞う鳥は落ち泳ぐカエルが空を飛ぶようになる程の美声が、見る(聴く)影もなくなってしまった。風邪とは恐ろしいものだ。
俺は体に負担を強いる訪問者を呪いながらも、全身の力を振り絞って体を起こした。かけ布団を置き去りにして、戸口まで一歩ずつ歩いて行き、ノブを渾身の力で捻る。扉が開いた。
「こ、こんばんは……」
そこに居たのは、暗い宿舎の廊下にあって一際目立つ、水色の髪の少女。……なんだ、アンか。
「ん……なんだ、アンか」
うむ、小声状態なら割とマシなようだ。
「……は、はい。あの……もしよろしければ、わたしと一緒に…………?」
そこで言葉を切り、真剣な目で俺の表情を観察するかのようにこちらを見つめてきた。そして、トーンを下げた声で、心配そうに言う。
「あ、あの、大丈夫ですか? 顔色が優れていらっしゃらないような……」
「この状態を見て大丈夫だと思える奴がいたとしたら、そいつの方が大丈夫じゃない……けほっ」
声を出しすぎた。ノドが負担に耐え切れず悲鳴を漏らし、ゴホゴホと激しく咳き込む。それに触発されのか、不意に目の前が霞んだ。体を支えるため柱をつかんでいた手が滑る。視界が反転し、足元の感覚が無くなる。世界が回った。
「きゃあっ! ………さん! …………!」
聴覚すらも歪み、声が遠のいてゆく。最後に耳に残ったのは、アンの奇妙に思えるほど必死な呼びかけだった。
「……む…………ここは……」
最初に見えたものは、暗い燐鉱石の明かりの中でも輝きを保つ目。意識が覚醒するにつれ、視界が徐々に晴れて行く。その俺から見て斜め上方に位置する目は、アンのものだということがすぐにわかった。
額に、何か違和感がある。……なんとか手を上げ額を触ろうとすると、指が肌に着く前に、冷たく柔らかいものが触れた。どうやら濡れたタオルが置かれているらしい。
「あ、起きられましたか!? いきなり倒れられたんですよ……じっとしていてください……」
首をひねり、横を見る。アンがベッドの傍に椅子を置いて腰掛けている。……それでようやく気付いた。どうやら俺はベッドに寝かせられているらしい。戸口まで歩いていったのは夢かとも思ったが、 どうやら違うようだ。
「アンが俺をここまで運んだのか?」
「は、はい。その…………す、すいません」
なぜ謝る。しかもうなじを赤くしながら。理解不能だ。理解不能といえば、こいつのトルキア系の女性標準より更に華奢な体格で、ギリシア彫刻すら及ばない美しさを誇る俺の肉体を支えてベッドまで運んだというのも理解できん。
……疑問が脳内に渦巻いているせいか、頭痛がしてきた。
「……く……」
視界がぼやける。くそっ、睡眠以外で意識を失くすなど初めてのことだ。これ本当に風邪か? 誰かが俺の比類なき才能と無双の活躍を妬んで呪っているんじゃないだろうな……いやそうに違いない。このパーフェクトボディが病魔に屈するなど西から日が昇ってもありえんことだ。
「あの、今タオルを取り替えますから……」
アンの声がやけにはっきりと聞こえる。言葉どおり、白い腕が俺の眼前を通過して額へと伸び、置かれたタオルを取り上げた。そしてすぐに新しいタオルのひんやりとした感触が伝わってくる。
うむ、少しは楽になったようだ。……しかしどれくらい倒れていたんだ? タオルを膝の上で丁寧にたたんでいるアンから目線を移し、壁にかけてあるスィーズ製の時計を見やる。分針と時針が、円の上端でもうすぐ触れ合う所にまで来ていた。
「ちっ、もう十二時か。今から(ケホッ)シルベスターに行っても間に合わんな」
「そ、そうですけど……あの、無理はしないでください……突然倒れるぐらいですし、相当熱が高いみたいです」
アンの顔を見る。その表情には新年を迎えるめでたさはかけらも見受けられず、また、その眼にたたえる光は、見ているこっちの方の気分が沈んでしまいそうなほど暗いものだった。
「安静していてください」
「……そうだな」
普段なら振り切ってでも出かけるところだが、体験したこともない病気とあらば仕方が無いか。だが、祭りに参加できないで退屈なことには変わりない。少しでも暇を潰す為、アンに以前から疑問に思っていたことを問うてみる。
「ところで、シルベスターとは具体的に何をやるのだ?」
「え……は、はい。年末――つまり今日ですね――の夜に、大時計の回りに集まって、みんなで新年へのカウントダウンをするんです。国民全体が一体感を感じられるとかで、楽しみにしている方も多いみたいです……あ、ご、ごめんなさい!」
だから何故謝るのだ? しかし、カウントダウンか……。
「よし、許す。やれ」
「……はい?」
アンは不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。前からわかっていることだが、ものわかりの悪い奴だ。
「カウントダウンだ。貴様には、特別に俺様専用カウントダウン役という栄誉ある役職を与えてやる。有難くおも……けほっ」
く……そっ。長く話すと酸欠気味になる。
「わっわかりました! わかりましたから、じっとして、喋らないでください……本当に……お体に障るようなことは、しないでください……お願いします……!」
「ぬ゛……」
目を涙にうるませて懇願してくる。勝手に心配するな、この俺が寿命以外で死ぬようなことがある訳が無いだろーが……と、言いたかった。ノドの痛みはそれを許さなかったが。
アンは傍らに丸められて追いやられていた布団をかいがいしく俺にかけ、全身を覆ったことを確認するように目を走らせてから、真剣な表情で柱時計の方に振り向いた。俺もそちらに目を向ける。分針は上端の直前に、秒針は下端をちょうど通りすぎた所にその位置を示していた。
秒針が十の文字を隠そうとした瞬間、アンの口が開いた。
「じゅう、きゅう、はち」
本当に真剣そうな感情の篭った声で、俺のために、カウントダウンを始める。
「なな、ろく、ご」
アンの透き通るような声が、部屋に響き渡る。だが、不快ではない。
「よん、さん、に」
意識に浸透する声に誘われるように、まぶたにかかる力が抜け、視界は闇に移った。
「いち」
声に脳神経が陥落させられ、支配権を奪われる。俺をつなぎとめるものが消え、意識が再び遠のいていくのがわかる。だが――今度のは、不快、じゃあ、ない。
「ゼロ! あの、あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願い……あ、いえ、めでたくはないのですけど……お体は……あれ、…………………………?」
最後のカウントをアンが言い放つのと同時に、俺の意識は心地よい闇へと静かに落ちていった。
夢を見ていた。これは夢だ、と直ぐにわかった。なぜなら目の前に俺が居たからだ。月明かりを反射し幻惑的な輝きを魅せる白い砂浜の上にアンが儚げに佇んでいる。その手前に、俺がいる。俺がアンと向き合っている。
俺がアンの方へ一歩踏み出す。アンが何かを叫ぶ。叫ぶ? アンが? 珍しいな。手前の俺が更に近づく。何かを話す。
視界に白みがかかった。二人の姿がよく見えない。アンが大声を出し続けている。更に一歩、俺が近づく。もう二人の距離は胸が触れ合いそうなほどだ。
視界の白みが更に濃くなった。アンの姿が、そのせいかほとんど認識できなくなった。俺が何かに焦ったように、手を伸ばし、その手が何かを掴み、何かを――いや、名前を――叫ぶ。自分はその名前を聞いた――そして――?
その瞬間、白みが光に変わった。視界を彩る物体全てが金色の閃光へと変貌し、背中に鈍痛が走った。
そこで目が覚めた。天井の木目がやけにはっきりと見える。気分がいい。昨日一日、意識全体ににかかっていたぼやが、全て振り払われたかのようだ。
「んー」
窓から入り込む金色のまぶしい光を避けるため、体を起こし、首を軽く振って眠気を払う。酷い頭痛は……もうなくなったようだ。
「あー、あー」
念のため声も出してみる。うむ、痛みも咳が出る気配も無い。病気だか呪いだか知らんが、一晩ぐっすり寝たら完治したようだ。ふっ、流石は俺様。例え一時体調が崩れたとしても、凄まじい回復力により即座に克服してしまうということだな。また一つ俺の伝説が増えてしまった。
ふと、夢の中に見たアンを思い出し、隣を見る。アンが椅子に座ったまま、こっくりこっくりとたゆとうように眠っていた。朝日に晒されていっそう輝きを纏う彼女の寝姿は半ば幻想的なものがあり、身体が透けて椅子の背もたれが見えてしまうほどだった。……帰ってなかったのか。暇な奴だ。
――ってちょっと待て。目を指でこすって、もう一度よく確かめる。――別に、異常は無かった。アンが椅子に座ったまま寝ている。何もおかしいことはない。だが、なんだ? この違和感は。
「ん……んん……」
妙に艶っぽい声が部屋に響いた。アンの目がゆっくりと開く。そして上体を起こすと、眠気を覚ますためにか、軽く腕を伸ばした。それが終った後、アンは俺の方に振り向いて目を細めたまま言葉を発した。
「あ……おはよう、ございます……」
「うむ」
アンが眼をごしごしと擦り、二、三度まばたきをする。その後口に手をかざし、あくびを……しようとしたところで、俺が見ていることに気付いたのか、はっとしたような表情になる。そして頬を赤く染め、恥ずかしげに言葉を紡ぎだした。
「あ、その、失礼しましたっ。……その、わたし、寝ちゃってました……? すいません、三時まで起きてたのは覚えてるんですけど……」
「謝る必然性が無いような気がするが、まあ許してやろう」
「ありがとうございます」
とゆーか三時まで起きてたのか。自慢か? いや何の意味も無いし、ただヘンな奴なだけか。
両腕を頭上に高く伸ばし、休みでなまった身体を解きほぐす。足も同様に伸ばし、布団をベッドから蹴り払う。その様子をアンが心配そうに見つめているのが横目で視認できた。
「お体の方は、どうでしょうか?」
「ふっ、完璧。偉大なる俺様伝説再開だ」
「そうです……ね、熱もないみたいですし…………よかったです……本当に……」
そう言って、アンはふうぅ、と、心底安心したかのような息吹を漏らした。
俺は鬱陶しいふとんを傍らにまとめて蹴飛ばし、首をぐるぐると回した。スムーズだ。間接の動き具合が昨日とはまるで違う。パーフェクト俺様の復帰だ。
「そ、それでは改めまして……」
どういう考えからか、アンはそう言って椅子からすくっと立ち上がった。手を前で組み、顔に微笑を浮かべ、口を開く。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い……します」
あいさつを終えて、ぺこんと頭を下げる。そういえば今日はもう新年だったか。
「アン」
「はいっ」
言葉に反応して、アンの頭がさっと上がる。
「今年もよろしく頼まれてやろう」
「…………! は、はい! お願いします!」
満面の笑顔に力のこもった声。元気なのはいいが、別にそんな気合入れんでもいい。空回りしそうで見ていて不安になるから。
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