登場人物紹介
朝、宿舎でくつろいでいると、うるさい副長が文句を言いにきた。曰くこんなところでサボってないで訓練を観てください。だそうだ。
で、俺は今ロムロ坂の噴水広場で一息ついている。石造りの椅子を見つけ、深く座り込む。
奴のせいでこんな所まで避難する羽目になってしまった。二月の空気は、雪が降るまではいかないものの、刺すように冷たい。暖房の効いた喫茶店で粘るにも限界がある。どこか継続的にくつろげる場所を探すべきだろう。毎日こんなところにいては、いつまたあの忌まわしい風邪を被らんとも限らん。
と、見覚えのある水色の髪が視界に入った。立ち上がって石像の下を見やる。そこには異様な光景が広がっていた。アンが誰かと喋っている。考えてみればアンが俺以外の誰かと喋っているところを見るのは初めてだ。友達がいないのだろう、と思っていたんだが。
が、それより俺の脳に衝撃を与えたのは相手の少女だ。学園の制服を無難に着こなすおさげの髪の少女。サリシュアンだ。アンと向かい合って、何か――小声で、聞き取れない――を喋っている。何をだ? 興味が湧いてきたので、横からそっと近づく。
その瞬間、サリシュアンが目線を左右にすばやく、何かを探すように動かした。途中、俺と目が合い、その動きが止まった。気付いたか。勘のいい奴だ。サリシュアンはすぐにアンに向かって何かを喋り、早足で俺と反対方向に去っていった。明らかに避けてやがる。
遠ざかるサリシュアンに手を振っているアンに近づいて、声をかける。
「アン」
「あ、こ、こんにちはっ」
「うむ。今話してたのは」
「はい、ライズさんですよ。……あの、ライズさんとは、旧いお知り合いなんですよね」
「ああ……ライズ、か。旧いというほどではないが」
スィーズで短期間剣を教えただけだから、たいして深い付き合いではない。もっともむこうはそう思ってはいないかもしれないが。
「しかしアンとあいつの接点が見つからんのだが」
「あ、あの、去年、ライズさんと一緒に薬局にいらしたことがありましたよね?」
ぬ、そんなこともあっただろうか。記憶の糸を手繰りよせる。
んー。覚えてねー。俺はどうでもいいことは記憶の海深くに沈めておく主義なのだ。無論サルベージはいつでもできるが、面倒なので、滅多にしない。
「あれから何度か、お一人で薬局にいらっしゃって、薬を買っていってくれるんです。その時に、お話もしてるんですよ」
「お話……?」
お話? サリシュアンと? はっきり言って、あいつがそんな庶民的な行動をする姿は想像もつかんのだが。サリシュアンとこいつの会話――
こんな感じか?
『今度の暗殺に使う毒薬は調合できたかしら』
『は……はい……あ、あの、もう、これっきりにしてください……わたし……こんなこと……』
『黙りなさい。あなたは言われたとおりにしていれば良いのよ』(ぎろっ)
『あ、あ……』
『さあ、さっさと渡しなさい』
『………(ぐすん)』
『これね。……一応言っておくけれど、発覚したらあなたも同罪なのよ。間違っても、誰かに漏らしたりはしないように』
『う、う、ひどいです』
くぅ、なんて極悪非道で面白い奴だ。犯罪者なのは知っていたが。
「それはまた殺伐とした会話だな」
「……はい? い、いえ、そんなことはないと思うんですけど……」
不思議そうにアンが否定する。ふむ、謎がますます深くなった。
「薬ってなんだ? 毒薬か?」
「そ、そういうのは置いてないです……ふつうの傷薬ですよ」
なるほど。調達経路というわけだな。
しばらく無言の状態が続いたが、ふいに、アンが控えめな声をあげた。
「あの……ところで、いま、お暇」
「よし行くぞ」
「……は?」
言葉を途中で遮られてぽかんとするアン。先の展開が予想できたから先回りしてやったのだが、理解できなかったようだ。
「時間の無駄を避けるために、途中経過を省略してやったのだ。というわけで、一並木道,二酒場,三レッドゲート。どれだ」
「え、あの、その……い、一番で」
面食らいながらも、すぐに答えを出す。うむ、意図は大体伝わったようだ。
俺は答えを聞いて回れ右をした。歩きながら、背後で立ちすくんでいるアンについてこい、と手で合図をする。アンは逡巡するような表情を一瞬見せたが、すぐに決断を下したようで、足を弾ませながら俺を追ってきた。軽快な足音が響く。
ロムロ坂を下る途中、アンと話をする。
「しかしつまらん答えを出したなー。せっかく普段貴様に関係なさそうな場所をわざわざチョイスしてやったというのに」
「ご、ごめんなさい……」
「別に謝らんでもいい」
ヒマなのはその通りなのだから。
冬場の並木道を飾るのは緑の葉を捨て去った枝枝、そしてそれらが映し出すまばらで無機質的な影の線でした。そこには人の姿は全く見受けられず、その灰色を基調とした躍動感のない風景は、先ほどまで歩んでいたにぎやかなロムロ坂の通りが、どこか別の世界のものなのではないかと思えるほどの寂しさをかもし出していました。
だから勝手に解説をするなとそこの虫。
「あ……新芽が顔を出していますよ。もうすぐ春なんですね……」
アンが木の根元を指差し、感慨深く言う。
「そんなことはどうでもいい」
「ご、ごめんなさいっ!」
さて、並木道に来てはみたわけだが……単に近いからということで第一候補にあげたんだが、全くすることがないな。冬とあれば特に。俺は春の予兆を見つけて楽しむような非生産的趣味は持ち合わせていないのだ。
と、アンが耳をそばだてて、俺に確認するような声をかけてくる。
「あの、何か、聞こえてきませんか?」
「ん……?」
耳をすませる。すると、にゃーおん、とか細い鳴き声が頭に響いた。
「……子猫が……」
アンが顔をあげ、頭上の枝を見つめる。俺もそれにつられ、視線を上げた。
そこでは猫が小さい爪を必死で裸の枝に絡みつかせていた。そのつぶらな目が俺達を捕らえ、口からは妙に気の抜ける鳴き声をあげ続けている。見ようによっては、助けて、と言っているととれなくもない。
「……た、助けないと……」
「よし、許す。いけ」
俺の声に、アンは弾かれたように子猫が登った木へと駆け寄った。幹のくぼみに足をなんとかといった様子でかけ、登っていこうとする。しかし足場を探る手は震え、顔にも冷や汗が見え隠れしている。木登りにまったく慣れていないらしい。
自分で行かせといてなんだが、よくこんなんで何の迷いもなく木に駆け寄ったものだ。
案の定、俺の身長ほども登ったかというところで、足場としていた木のくぼみが、ピシピシと音を立てて割れはじめた。それを見たアンが、助けを求めるように手を枝に突き出す。その手は空気だけをつかみ、からぶった。落下は避けられないものとなり、アンの体があおむけに舞った。
言わんこっちゃない。
「きゃあっ!」
俺は両腕を伸ばした。アンの肢体が、狙いすましたかのように腕の中に落ちてくる。絹の上着とスカートの感触が両腕をとらえた。加速度の付いた落下物の衝撃を緩和するため、腕の重さにあわせてヒザを曲げる。しかし、いざアンを完全に腕の中に収めてみると、そんなことをする必要は全くなかったのではないかと思った。そう思えるほど、アンの体は羽毛のように軽く感じられた。
アンは腕の中で呆然として俺の顔を見つめている。
「……」
その瞳は静止した湖面のように穏やかなもので、感情を推し量ることはできなかった。
視線をアンから離し、頭上の枝を見上げる。アンが落ちた反動で、枝が派手に揺れていた。子猫が取り付いていた枝も上下に激しく震動し、枝をつかむ爪にはさっきより更に力がこもっているように見えた。
一瞬後、枝がバキっと音を立てて、幹との接触を絶った。支えがなくなり、子猫を乗せたまま枝が落下していく。
「あ――」
子猫は――くるくる、と空中で数回転し、四つの足を土の地面に綺麗に揃わせた。ひげをぴんと張った顔をこちらに向け、そのまま何事もなかったかのように、なぁ〜、と鳴く。その声がおめーの助けなんかいらねーよ、と言っているような気がして妙にムかついた。
最後に子猫はくるりと背を向け、たったっ、と軽やかな音を立てて草むらに消えていった。
いまだ呆然としているアンを、かがみこんで降ろす。アンは子猫の消えていった草むらをじっと見つめていた。
小さい声が聞こえてくる。
「――無事、だったんですね」
「まあ、無駄だったな。というかむしろ邪魔だったな」
「わたし……」
「どうせ貴様ら凡人のすることなど無駄ばかりなんだ。落ち込むヒマがあったら次の行動を考えることだ」
「いえ、そうではなく……わたし、いま、とても幸せな気分なんです」
そう言ってアンは目を閉じ、その整った顔立ちに微笑みを浮かべた。そして一言、よかった……と、心底安心したような声を、感慨深げに発した。
「……なんだそりゃ。どーゆー意味だ?」
「あ、えと……あ! ありがとうございました、その……さ、支えて、いただいて」
アンは俺の質問をはぐらかし、唐突に頬を赤く染め、唐突に礼を言った。頭が勢いよく下がる。
「うむ。貸しがまた一つ増えて三桁に達したわけだが、それは置いといてだ……質問に答えんか」
「え、あの、その、ももちろん、子猫さんが無事だったからです」
どもりながら言って、アンは胸の前で手を組んだ。
一応筋は通っている。だが、俺の世界英雄的な勘は、それ以上に深い理由がある、と告げていた。何かが不自然だった。
しかし、これ以上アンを問い詰めても、求める答えは返ってこないだろう。何より彼女自身、その理由がはっきりわかっているのかどうか怪しいものだ。
俺はこれ以上の追跡をあきらめ、アンの頭をぐーで殴った。特に意味は無いが妙にいらついたからだ。
アンが頭のてっぺんを両手で抑える。その表情には抗議の色はなく、困惑しているといった感じの潤んだ目を向けてくるだけだった。
「いたっ! ……あ、あの、何を?」
「何をやっている。帰るぞ」
「え、あの、はい……」
アンは俺と並んで歩き出した。
ふん……。ま、いい。いずれ確かめてやる。
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