登場人物紹介
空を見上げた。灰色にくすんだ天井の隙間から、これまた灰色の雲が見え隠れしている。視線を少し落とす。ひび割れ、見る影もなくなった壁。そして、足元には彫刻の残骸。
「崩れそうね」
「そうだな」
げしげしっ、と目の前のひび割れた円柱を蹴りつつ答える。隣で頭がなくなった女神像の彫刻をつまらなそうに見ていたプリシラは、ぎょっとしたように眉をよせ、声を荒げた。
「なっ、何をしているの!? 危ないじゃない!」
「いや、崩れないかなーと思って」
「少しは結果を考えて行動しなさい! 自殺なら一人の時にして欲しいわ」
ちらちらと円柱と天井の接点を見上げ、すり足で後ずさりながら言う。顔には呆れと不安の色が見てとれた。
「馬鹿者、結果はちゃんと計算しておいたぞ。万一のことがあっても、俺だけは死ぬことはないから安心して黙ってろ」
「……一応聞いてみるけど、それ、どういう意味?」
「要するに、俺の反射神経なら例えガレキが落ちてきても、貴様を盾にして無事逃げおおせることができると」
「ぶん殴っていい?」
「不許可である」
「……」
何を当然のことを聞くか。
俺の拒否の言葉を皮切りに、沈黙が訪れた。生暖かいすきま風が肌に感じられる。ついでにプリシラの異様に敵意が――いや、殺意が――剥き出しになっている視線も。
プリシラは一分ほど睨み続けた後、ふいに目を閉じ、ふう〜、と深くため息をついた。そして目を開け、けだるそうな口調で問いかけてきた。
「ねえ、なんでわたし、こんなとこにいるの?」
「それはこっちの台詞だ。俺は単に興味があるからここに来ただけだぞ。お前が勝手に尾けてきただけだろう」
「破壊活動でも起こさないか心配になって、監視しに来ただけよ――本当に破壊しようとするとは思わなかったけど。それはそうと興味って、この遺跡に? あなたが?」
「悪いか?」
「悪いわよ。不気味よ。変よ。むしろ異常よ。いっそ狂ってるわ」
なんだそれは。五段論法で徹底的に決め付けやがった。
プリシラはそこまで言って、口元にこぶしをやり、何事か考えこみはじめた。そして数秒の後、手を打ち、どうでもよさそうな口調で呟いた。
「あ、そっか。だったら別に不自然じゃあないわね」
「どーゆー論理展開でそこに辿り着いたのかは知らんが、その通り不自然ではない」
「そうね。狂ってるのは元々だし」
「そうだな。元々狂った性格に狂った国に狂った出自だ」
「……見解の相違があるようね」
「そうは思わんが」
「……もういいわ」
そう言ってプリシラは、神殿跡から離れ、雑草の生い茂る細い道にぽつんと生えた切り株に腰をかけた。ただし、疑わしげな目線を俺に向けたままにだ。
俺はその目線をあえて無視し、調査を続けた。がれきを乗り越え、遺跡の中央に移動する。
そこには一際巨大な円柱がそびえ立っていた。俺は千年の月日を経てなお重厚な威圧感を保っているそれにもたれかかり、こんこん、と鉄靴で床をノックした。反響を確かめる。背中の円柱に、その音が響いていることを確信した。顔を上に向け、これが支柱ではなく、最も重要な柱であることを確認する。間違いない。
ここが中心部だ。この柱さえ崩せば、天井は跡形もなく崩落することだろう。うむ、使えそうだ。俺は工兵部の机の上に落ちていた箱を懐から取り出し、それをプリシラの目に映らないように体で隠しつつ、円柱の割れ目にねじ込んだ。ぱんぱん、と手の平で叩き、傍目にはわからないように埋め込む。
さて、もうこんな殺風景な場所に用は無い。再びがれきを乗り越えて、土の地面へと辿り着く。そのまま暇そうに雑草をむしっている(わからん奴だ)プリシラを横目に、遠く丘の頂上にその存在を主張する銀月の塔へと続く道に入る。
「ちょっと、どこに行くの?」
プリシラが慌てて立ち上がり、抗議の声をあげた。
「展望台だ。……なんだ、まだ尾いてくる気か」
「あなたを一人にしておくと、何をしでかすかわからないからね」
「やりにくいなあ」
「だから"何を"よ……」
いろいろとだ、と、言うのはやめておこう。キリがない。
「つっ――かれたぁ」
三百段を越える石階段を登って、塔の頂上に辿り着いた後、プリシラは全身からひねり出すようにしてそんな言葉を口に出した。傍らの石造りの椅子に、べったりと座り込む。
「運動不足のようだな」
「人を、おばさんみたいに、言わないで。こんな、やけくそに、長い、階段登ったら、誰だって疲れるに決まってるわよ」
深く座り込み、ジト目で睨み付けてきながら、不満を漏らす。
「俺は疲れてないが」
「肉体労働者は論外」
「何を言っている。俺はこの素晴らしい肉体だけではなく、比類なき明晰さを誇る黄金の頭脳を」
「あーあーわかったから、少し黙ってて。あなたと話してると倍疲れるわ」
会話を始めてるのは主にお前だ。
プリシラは一分ほど深呼吸をしながら休んで落ち着いた後、よしっ、と元気そうな声を出し、立ち上がった。塔のはじまですたすたと軽快に歩いていく。
「やっぱり聞いたとおり、ここからの景色は最高ね」
プリシラが眼下に広がる、ドルファン首都城塞の町並みを眺めながら言った。身を手摺りから大きく乗り出している。
危なそうだが、それ以上に邪魔だ。
「どかんか、よく見えん」
「……あのさ、今、なんていった?」
「どけと言った。耳が悪いのか?」
「あなたね。一国の王女に向かって」
「王女が国王でも変わらん。何度言ったらわかるんだこの馬鹿者」
まだぶつくさ文句を言っているプリシラを押しのけ、観察を始める。ここからなら首都城塞全体を見渡すことができる。
赤門を突破された場合、城へと続く三本の道に攻撃部隊が集中することになる。そもそも防御のほとんどを城壁に頼っているため、あれを突破された場合、戦力を限定する拠点は城門以外はほぼ存在しないだろう。その城門ですら、抜け穴は多い。つまり赤門を突破された時点で、通常の手段では侵攻を防ぐことは不可能になるということだ。
「何やってるの?」
「ああ、戦術上の重要拠点を確認している」
「どういうことよ?」
「そのまんまだ。無い知恵振り絞って理解しろ」
「……まさか、この」
プリシラは手で宙をなぞって輪を示した。その輪にはミニチュアのようなドルファンの町並み全体が、すっぽりと収まっていた。城塞全体、という意味だろう。そして真剣そうに、俺に疑問を投げかけてきた。
「ドルファンの街が、戦闘に巻き込まれるっていうんじゃないでしょうね」
「間違いなく。時期はまだ未定だが」
それに関しては、間違いない。俺が言うんだから絶対に間違いは無い。
プリシラは眉をひそめ怪訝そうな表情をした。つかつかとこちらに歩み寄り、不満の色を隠そうともしていない声を発した。
「トルキアみたいに、っていうわけ? けど、あの国とは状況が違うでしょう。ヴァルファが赤門を越えて攻め入ってくるようなことは、もうほとんど考えられないわ。貴族達は激しく対立しているけど、内戦が起きるほどの状況じゃないし」
別にそういう意味で言ったのではないのだが……。プリシラはそこまで言った後、付け加えるように「私がいる限りね」と呟いた。ただ、その表情はなんとなく曇っているような気がした。
木造の手摺りに持たれかかり、プリシラは言葉を続けた。
「この美しい街が誰かに壊されてしまうなんてことは――私が、絶対に、許さないんだから」
言い終わって、俺の顔から目線をそらし、ドルファンの街並みへと振り向く。風がびゅう、と吹き、プリシラの金色の髪が空に投げ出された。サテンのワンピースが春風に波打つ。眼下の広大な南欧の大地に比べあまりに小さなその後ろ姿は、奇妙なことに哀愁を帯びているような感じがした。――おそらく、気のせいではないだろう。プリシラはそのまましばらくじっと景色を見つめていた。
二分ほど経っただろうか。彼女は再度俺の方に振り向いた。その表情にはもう、暗闇を連想させるものは含まれていなかった。
プリシラの口が開く。いつもの、馬鹿にしたような口調だ。
「そういえば他人事のように言ってたけど、この首都城塞を戦場にしないのは、あなたの仕事でしょう」
「はっはっは、そうだな。俺様が居る限り、少なくともヴァルファが首都を侵掠することだけは有り得ないな」
「限りなく不安なんだけど」
「何を言う。自分で言い出しておいて」
「ま……そう、ね。性格と実力とは無関係なものだってよく言われてるし、一応、期待しといてあげるわ」
「ふっ、思う存分期待を寄せるがよい」
「そういう態度が不安の原因なのよ!」
そのまましばらく城塞を観察していると、横で椅子に座り足を振っているプリシラが、はっとしたように表情を変え、声をかけてきた。
「そうよ、そもそもあなた、仕事はどうしたの?」
「今は春休み中だ」
信じられないことだが、訓練所は現在閉鎖中である。夏、冬に加え春にも長期休暇を騎士団員のみならず傭兵達に与えるという信じられない政策が、この国では取られているのだ。
なに、閉鎖中でなくとも俺の行動は変わらないだろうと? その通り。何か悪いか?
「はー、信じらんないわ。軍が春期休暇を申請していたのは知ってたけど、まさかそれを本当に実践しているなんて」
騎士団が弱体化するわけだわ、と、プリシラは呆れたような言葉を続け、深いため息をついた。愚痴が続く。
「わたしは春も夏も秋も冬も風の日も雨の日も! 毎日公務に追われてるっていうのに、軍隊の奴らは休暇をのほほんと楽しんでいるわけね。まったく。とんでもない連中ね。国防を預かってるって認識がないんじゃないかしら」
「風も雨も貴様には関係ないだろ……。あと、軍隊だけではないぞ。文化局もきちんと休んでいるはずだ」
「なお悪いわね」
吐き捨てるように呟く。いやしかしお前も好き勝手に出歩いて遊んでるだろう。
「ま、いい。とりあえず調査は終った。帰るぞ」
「そうね。そろそろ侍女達も気付くころでしょうし」
「うむ、もうすぐ夕方の見回りが来る時間だな」
「……なんで知ってるの?」
俺は答えず、きびすを返して階段の方へと歩いていった。
「あ、待ちなさいよ!」
後ろには慌てて追ってくるプリシラ。落ち着きの無い奴だ。よくこんなんで王女が務まるものだ。
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