登場人物紹介
外食から帰ってきた際投函箱を開けると、一枚の羊皮紙がひらりと床に舞い落ちた。
拾い上げ、それの中身に目を通す。
『貴殿に決闘を申し込みたい。
本日、神殿跡にて待つ。
氷炎のライナノール
そんな物騒な文言が記されていた。その筆跡は迷いなく力強いもので、書いた者の内面を浮き上がらせているように思えた。
はん、なかなか面白そうではないか。
ただ一つ、今は夕方で、これが投函されたのは恐らく昼前であると推測されるため、差出人が既に帰ってしまった可能性が高いという問題点があるのだが……まあ、ちょうど暇だったところだ。行ってみても損はあるまい。
レリックス地区に点在する遺跡群は、全てトルキア暦以前のものである。この神殿遺跡も、その一つだ。
神殿の敷地に入った際、真っ先に視界に入ったのは遺跡の中央付近で彫像の様に立ち尽くし、こちらに背を向けている完全武装の長身の女。
俺は足音を立てないように忍び足で近づくことを試みた。が、女は空気の僅かな振動に気付いたらしく、すぐにくるりとこちらへ振り向いた。ウェーブする赤みがかったブロンドの髪、それが彼女の左目を隠しているが、右目は俺を突き刺さんばかりに凝視している。
「よく来たな……。私はヴァルファバラハリアン八騎将の一人、氷炎のライナノール。同胞ボランキオの仇を討つべく軍団を飛び出し、こうして貴様の前に立っている。もはや私に戻る場所はない。ただ願うは朋輩ボランキオの無念を晴らす事のみ」
だらだらとどうでもいいことを喋くると、ライナノールは、今まで押さえていた感情の全てを解き放つかのような調子の叫び声をあげた。
「愛した人の敵を討つのみ!」
「ふふん、ごたくはいい。要するに殺されにきたのだな。なら」
俺は剣を抜き、ライナノールの心臓に真っ直ぐ向けた。
「貴様も輝かしき俺様伝説の肥やしにしてやろう!」
「いざ、尋常に勝負!」
そう叫んで、ライナノールは二振りの長剣を鞘から抜いた。二刀流か。故郷でも中華皇国でも、またこの国でも二刀流の使い手は数多く見てきたが、両方の手に長剣を持つ女を見るのは初めてだ。
ライナノールの猛々しき瞳に殺意の光が満ちた。来る、な。
俺が二刀使いを相手に取ってきた手法は――
気にせず、問答無用で叩き潰す!
「はぁっ!」
「死ね!」
初動はライナノールが一瞬早かった。右手の大上段に構えた長剣が俺の頭上に打ち降ろされる。速い。一流の男の剣士が振るう剣と遜色ない速度だ。だが、かわせぬ程ではない。半身になって避ける。目の前を銀色の刃がかすめた。そして、俺は反撃を――
「ハッ!」
「なっ!?」
左手の刃が、斜め上から一瞬後れて迫ってきていた。それも右手とほとんど変わらぬ速度で。やばいっ! 俺はとっさに突き出した剣を引き、それをガードした。手がじぃんと痺れる。
休む間もなく風を切り裂く音と共に右手の刃が返ってきた。上体を反らし、紙一重でそれを避ける。
今度は左だ。力強い横殴りの一撃がわき腹を襲う。
「くそっ!」
ちぃっ! 手数が尋常ではない。そのうえ二振りの剣の動きに全く関連性がない。ライナノールの腕の動きは、右と左、それぞれが一つの武技として独立している。まるで一流の戦士二人を相手にしているかのようだ。両手の長剣は伊達や酔狂ではないということか!
「わが技に死角は無い!」
叫びを境に、刃の飛来する間隔が更に縮んだ。
真紅のマントをはためかせ、常識外の速度で上下左右から不規則な斬撃を繰り出す。俺はそれを天才的な動体視力と生まれ持った幸運で避け、受け流し、防ぎ続けた。
それが二十秒も続いただろうか。ようやく体力の限界が来たのか、ライナノールの剣舞が止まった。だが、ライナノールは剣を止めると同時にバックステップを踏み、俺に攻撃の機会を与えなかった。間合いの外で二振りの剣を隙無く構え呼吸を整えている。
く――そ。認め難いが、劣勢だ。俺は目線を落とし、手に握る剣を見た。刃こぼれしているが血の色はなく、鋼の鈍い輝きを保ったままだ。この剣はまだ一度として攻撃のために動いていない。その動作はすべて、ライナノールの剣を捌くためのものだけに限定させられてしまっている。まだ有効打は受けていないにせよ、さっきのように一方的に攻撃され続ければ、いつか捌ききれなくなる時が来てしまう。
く……仕方ない、本当に使う時が来るとは思わなかったが、奥の手だ!
俺はベルトにぶら下げた革袋に手を突っ込んだ。手探りで丸い物体を三つばかり掴み取る。そしてそれらをライナノールの足元に叩き付けた。
その地点からもくもくもく、と橙色の煙が上がる。煙の雲は爆発的な勢いで肥大し、周辺の視界を完全に遮断した。こんなこともあろうかとスィーズのアカデミーの連中に作らせた煙玉だ。
さらにその雲の手前に、同じく革袋から取り出した、箱の中身をばらまく。
「煙幕か、こざかしい!」
橙の煙を通してライナノールの叫び声が聞こえる。
一流の戦士は、例え試合の最中に視覚を奪われたとしても、問題なく戦闘を続行することができる。目に頼らずとも殺気を感じて敵の動きを正確に探り当てることができるからだ。
予測通りライナノールはすぐに煙の雲を抜け出し、俺の目の前に姿を現した。その足が神殿の床を力強く踏み込む。
「そこだっ! ……っ!?」
問題なく戦闘を続行できる――試合ならば。
ライナノールが右足に履く赤い靴、その甲から、紅の血を滴らせる黒いトゲが突き出ている。先ほど撒いた箱の中身、特大のまき菱だ。靴底に打ち込まれた鉄鋲の隙間をぬって足を貫通したのだろう。
隙だ。だが俺は斬りかからず、逆に後退しライナノールとの距離をとった。神殿中心部の一際巨大な円柱に背をつく。ライナノールは怒りに燃える目線を油断無く俺に向けていた。しかし追ってくることはない。かがみこみ、右足を深く貫くまき菱を抜きながら悪態をつく。
「く……キサマ、卑劣なっ!」
「ふん、英雄的策略と呼べ。俺の勝ちだ。その足では逃げ切れまい」
「なん――だと?」
俺の勝ちだ――その言葉の意味を、行動で示す。背後の柱の割れ目に挟まる箱。その蓋を、後ろ手で開く。まさかこんなに速く使用することになるとは思わなかった。単独で軍隊を相手にすることになった時のために用意したのだが。
俺はちらりと振り返り、箱の中で火花が散ったことを確認した。よし、始動した。
神殿を離脱するため、怪訝そうな表情をしているライナノールを尻目に全速力で出口へと走る。ぐずぐずしている時間は無い。
「……火薬の、臭い!?」
背後で立ち尽くすライナノールの表情が、驚愕の色に染まった。気付いたか。だがもう遅い。
俺は出口を遮る最後のがれきに足をかけ、飛び跳ねるように乗り越えて、危険地帯から脱出した。その瞬間。
ドオオォォォォン!
爆発音。そして、それに続くがらがらがら、という崩壊音。大理石同士が激突し、砕け散る音だ。俺の計算通り中心で起こった爆発と柱の倒壊によって、その偉容を千年もの間懸命に保っていた神殿は、あっけなく崩壊した。最後に史上最強の絶対勇者たる俺様の役にたてて神殿も本望だっただろう。
数分後。崩壊の音が止んだ。目の前の瓦礫の山からは、もうもうと砂煙が舞い上がっている。ライナノールはもう生きてはいまい。万全の状態ならともかく、足に怪我を負った状態で爆風の圧力をまともに受けたのだ。落ちてくる瓦礫を避けきるなどとうてい不可能だったに違いない。
……しかし。砂煙の幕に、人の影が映し出された。影が一歩一歩瓦礫を踏みしめ、こちらに近づいてくる。
影の本体が完全に姿を現した。それは確かに氷炎のライナノールだった。
「……う…………ぐ……」
ほこりにまみれた灰色の唇からうめき声が漏れる。彼女の戦乙女にすら例えられた風体は、見るも無残な姿に変貌していた。
身に纏うヴァルファの象徴たる真紅の鎧のあちこちに穴が開き、そこから血がどくどくと流れ出ていた。露出した肌に傷のない箇所は見当らなかった。右腕に至っては、肩口からだらんとぶら下がっておりその役目を完全に放棄していた。
これでまだ、歩けるのか。何という――
「ボランキオと同じだな」
「…………こ…………の…………」
「同じだ。いさぎよく死ね」
「…………ッ!」
ライナノールは、唯一無事で残された左手の剣をゆっくりと浮かせ、攻撃の意思を見せた。しかしその剣に力強さはなく、その動きに華麗さはなく、ただその心に燃え盛る執念があるのみだった。
ガギイィィィン!
俺は剣を引き、心をためらいなく突いた。
ボロボロの胸当てをはじき飛ばし、ライナノールの左胸を正確に貫く。生み出されたばかりの血が地面に飛び散った。
「…………バル…………ドー…………」
振り上げた剣を永遠のものとし、ライナノールはその身をゆっくりと地に伏せた。
俺は氷炎のライナノールを討ち取った。
「……ふん」
物言わぬ屍となったライナノールを残し、帰路に着く。
愛した人の仇、だったか。理解できんな。
――だが。
天を見上げた。まだ陽の明るみが残る夜空。そこでは、淡い輝きを放つ三日月を取り囲むようにして、四つの小さな星が瞬いていた。
この俺様の明晰にして柔軟な思考ですら理解及ばぬ不可思議なもの。そんなものがまだこの世に存在している。そして、それは不快感だけではなく――奇妙な充実感すら、俺に与えている。
そのことを、俺は知っていた。
といってもそれに自分を合わせてやる気は毛頭なかったが。
「まー、相手が悪かったな」
だから、こんな言葉はなんの慰めにもならないのだろう。
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