登場人物紹介







「ぐほっ」

 反射的にストローから口を離す。一口飲んだだけで吐きそうになった。喫茶店の新メニュー、海の青色ドリンク夏仕立て、なるものを興味本位で頼んだのだが、あまりに凄まじい味だ。殺人的に苦いぬるみが食管で冥界の独演会だ。飲む前からその毒々しい色に嫌な予感はしていたんだが、まさかここまでとは。
 俺はコップをテーブルに置きストローごと、正面に座るアンの方に押し出した。いかに俺が忍耐強いとはいえ、これは限界を越えている。

「やる」
「……え?」
「壊滅的に不味いが、残して帰るとぼったくられたみたいで不愉快だ。余さず飲め」
「あ……そ、その……いいんですか?」
「何がだ。とにかく飲むのか飲まんのか」
「の、のみますのみますっ。……い、いただきます」

 アンの唇がためらいがちに動き、ストローに触れた。青色の液体をちゅーちゅーと吸い上げていく。残り物を押し付けられたというのに、その動作に嫌そうな様子はない。逆に頬をゆるめ、嬉しそうな表情をしている。残飯マニアか。……なんだそこの虫、文句あるのか?

「しかし、うあっちぃーな」

 手で扇を作り、ぱたぱたと仰ぐ。さっきのドリンクのせいで、消化器官がフル活動している。余計に熱が溜まってしまった。

「そ、そうですね。今年も去年に続いてものすごく暑くなっている、って新聞にも書いてありました」

 アンがストローから口を離して同意の言葉を発した。
 しかしながら、そう言うこいつ自身が汗をかいている様子は全く見受けられない。涼しい表情をしたままで、その肌には日焼けの片鱗すらない。このむっとする熱気は、彼女だけを避けて活動しているのではないかと感じられるほどだ。
 くそっ、不愉快だ。なぜこいつだけ。

「ていっ、スプーンバスター!」
 べしっ
「ひゃっ!」

 スプーンバスターとは――解説するのも馬鹿らしいが、まあ要するにスプーンの裏面で殴る技である。これなら相手に怪我を負わせることはなく、その上屈辱感は指ではじいた時の四割増しだ。
 ……それでも怒らんなアンは。丸い目をくりくりさせ、上目遣いで困ったようなそぶりを見せるだけだ。別に弱みを握られてる訳じゃあるまいし、不可思議な奴だ。

「ふー」
「あ、あの……?」

 やる気が失せた。テーブルに肘をつき、水を飲む。非建設的な八つ当たりはやめて、当面の問題解決法を探ることにしよう。

「もういい。それより何か考えを出さんか」
「え……あの、考えって」
「涼む方法」

 職業ウェイトレスでさえ汗だくになって働いているというのに、こいつは一人平然としている。きっと何か秘密の方法があるに違いない。
 アンが頬に人差し指をあて、考えるそぶりを見せる。

 数十秒後、ぽん、と両手を叩く音。アンの顔に笑みが浮かんだ。

「あの、海に行きませんか? こんな晴れ晴れとしたお天気の下で泳いだら、きっととっても気持ちいいですよ」

 時間をかけたわりに、出てきたのは当たり前でつまらん方法だった。
 しかもわかってるのかこいつは。夏休みが始まったばかりだとゆーこの時期に海だと。

「却下。混んどる」
「……そ、そうですか……(ずーん)」
「もっとこう、あるだろう。複雑で最新式な空調のアレとかソレとか」
「……空調、ですか……えーと……空気自体を冷やす、ということですか?」
「冷やす……氷……うむ、それだ」

 故郷においても、冬のうちに氷室に蓄えておいた雪を使って、客殿の冷装が行われていたのを目にしたことがある。冷凍技術の発達したこの欧州の地であれば、更に進化した形の空調が行われていることだろう。
 といっても、そんな氷室を用意できる家は限られている。キャンベル通りのレストランの様な場所ならともかく、個人の家で継続的にとなると、心当たりは――
 二つほど、思い当たる場所があった。さすがは俺の人脈。海より広く底無しだ。

「あそことかあの部屋とかなら氷柱の十や二十は取り寄せてそうだな」
「……?」
「なんでもない」

 後で行ってみるか。



 ザクロイドの家はマリーゴールド地区の西寄りに位置する。手入れの行き届いた庭と、四階建ての邸宅。その土地面積は、ドルファン国全体から見ても、ピクシス本家と王室を除き最大のものである――と、いうのが事前の知識だ。
 俺はその門前に来ていた。とりあえず土地面積については評判どおりのようだった。中身は知らないが。
 外からぼーっと見ていても仕方が無いので、門の脇にある詰め所を訪ねる。
 詰め所の男達は最初訝しがる様子を見せていたが、俺の名前を出すとすぐにその態度が改まった。俺の来訪を伝えるために(多分)、屋敷へと一人の男が走っていったのが見えた。ふっ、俺の威光はこんなところでも通じてしまうのだな。


 やみくもに広い庭を通り抜け、屋敷へと歩いてゆく。高さ三メートルはあろうかという玄関扉を抜けて中に入った。
 扉の内側には、これのどこがエントランスだと問い詰めたくなるような光景が広がっていた。シャンデリアやら中東風絨毯やら絵画やらが調和を無視して配置されている。その中央には一人の老齢の男。おそらく執事であろうその男は、細い目で俺を見据えると、お待ち申し上げておりました、と言い、貴族の作法にのっとった礼をした。

 執事に促され、一階の中央付近に位置する部屋に入る。ゲストルームと思われるその部屋の中央には、期待通り、杉の木のように太い氷柱が置かれていた。うむ、さすが成金だ。こういう贅沢にかけては他家の追随を許さないな。
 俺は氷柱になるべく近い椅子を選んで腰掛けた。漂ってくるひんやりとした空気が、熱せられてゆるんだ肌を引き締める。リンダが来るまでの間、この冷気を甘受することにしよう。もともとそれが目的なのだし。


 メイドが持ってきた冷水を飲み干していると、扉が静かに開き、夏服のリンダがしゃなりしゃなりと歩いて部屋に入ってきた。

「よーリンダ」

 リンダは振り向き、俺の姿を瞳に映し、あっけにとられたように表情を固めた。
 短い空白の時間の後、諦めたような声を出す。

「客、とは、あなたのことなの? まったく、お父様も物好きね……」
「ん。何か言ったか」
「いいえ」

 リンダは俺の疑問を遮断し、ゆっくりと対面のソファーに腰を下ろした。このうだるような暑さの中でも、その優雅な物腰は崩れていない。といっても、額に流れる汗は隠しようもなかったが。
 まあそれは仕方のないことだ。汗を一滴も流さぬアンの方が狂っているのだ。つくづくあいつは謎生物だと思う。
 っと、思考がそれた。

「それで、何の御用かしら?」
「うむ。その前に八騎将を立て続けに討ち取った俺の偉業に対し、何か祝いの言葉は」
「まぐれは続く物ね」
「んなわけなかろう。全て俺様の実力である」
「……どうやら性格に変わりはないようね」

 リンダは湯気の立つ紅茶のカップを唇にやり、音も立てずに飲んだ。この暑さの中物好きな奴だ。
 カップを置き、穏やかな語調で言葉を紡ぐ。

「用件はそれだけなの? 自慢話なら猫にでも話してなさい、と言った筈ですけど」
「そうだな……」

 本当はリンダにではなく氷柱に用があるんだが、そんなことを言ったら即座に叩き出されそうだ。なんとかしてもっともらしい理由を捻り出さねば。

「んー、あー、そういえば。十二日に貴様の誕生パーティーが開かれていたそうではないか。何故俺を招かなかったのだ」
「むしろ何故招待しなければいけないのかを聞きたいわね」
「俺様が英雄だから」

 俺の答えを聞くと、リンダはソファーに深く座りなおし、ふぅ、と諦めにも似たため息をついた。その長い髪をたくしあげ面倒そうに言葉を出す。

「あなたに道理を説いても無駄のようね。どういう精神構造をしているのかしら」
「非凡人的な」
「ただの狂人と思いたいところだけれど……」

 俺の答えを無視して、独り言を呟くリンダ。

「なぜか、結果は出しているようだし……」
「何を一人でぶつぶつ言っとる。まあ過ぎたことは仕方ないにせよ、来年は招待状を送れよ」
「だから、何故ですのよ?」
「ぬ、なんだと。既に俺の実績は疑いなく超英雄的なものに到達したことは皆の認めるところだが」
「まぐれでしょう」
「まぐれが三度も続くか。二度も言わせるな、実力だ」

 リンダは、はん、と馬鹿にするように鼻で笑った。

「しょうがないわね。そもそもそういう問題ではないのですけれど――どうしてもパーティーに出席したい、とおっしゃるなら、特別に許可してあげてもよろしくてよ」

 む。単に引っ込みがつかなくなっただけであって、どうしても、というわけではないんだが。プリシラのそれには及ばないだろうし。
 まーわざわざ断る理由は無いが。

「ただし、奇跡ではなく実力であると証明できたなら――次があったとして、そこで今までに劣らぬ結果を出すことができたなら――ですけど」

 まわりくどいが意図はわかった。要するに八騎将を更に倒し続けろということだろう。

「うむ。楽しみに待っていろ。はっはっは」
「……ふふ。せいぜい、頑張りなさい」

 リンダにしては珍しく微かな笑い声が、部屋に響く。氷柱から漂う冷気も相まってか、なんだか気分がよくなった。だからとりあえず、氷柱の上で呆れたような視線を俺達に向けている虫については、不問に付してやろう。
 
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