登場人物紹介
城の周囲はすっかり闇に包まれていた。衛兵の目をかいくぐる為、光源を持つわけにはいかない。足下に注意しながら、巨大な城壁を迂回してゆく。
と、いきなり目の前に見知った顔の少女が現れた。
「あ、こんばん――きゃあっ!」
夜で城壁の外側。この時間のこんなところに何故アンがいるのか、なんて疑問はもう浮かばなかった。こいつはそういう存在なのだ。アンの胴体を片手で引っかけ、そのままずるずると引きずっていく。薄い服を通して、アンの腹部のふくよかな感触が手に伝わる。
目標は王城裏の林だ。
「え、あ、あの?」
「行くぞ」
ずるずるずる
「は、え、あ、え?」
「でーい、どうせ暇なんだろ。ついてこいと言っとるんだ。わかったら自分の足で歩け」
「は――はいっ!」
アンは返事をするとしゃっきりと背筋を伸ばし、自分の意思で歩き始めた。
目的を全然説明してないので何がなんだかわかっていないだろうが、それでも拒否はしない。うむ、下僕としてあるべき態度である。
ランタンの灯りを頼りにカビ臭い通路を進む。何度もでっぱりにつまずくアンの手を引っ張りながら、歩くこと十数分。ようやく俺達は、出口――いや、入り口か――と思わしき場所に辿り着いた。ここに至るまでに階段を数百段と上ってきた。かなりの高度だ。
通路の突き当たりには、赤錆に被われた小さな鉄扉。耳を当て、中の気配を探った。
分厚い鉄扉が、喧騒音で震える。だが、遠く。いや頭上か? とにかくこの扉の反対側で、ではない。予定通りだ。
耳を離し、ランタンの火を消し、鉄扉を開ける。じめじめした通路とは一転して、乾いた空気が流れ込んでくる。首を出し、左右を見回す。暗い廊下に赤い絨毯、反対側の壁には重厚な扉。衛兵の気配はない。よし。アンについてこい、と合図をする。
すばやく廊下に躍り出て、入ってきた鉄扉を閉めた。閉じられた鉄扉は、壁の模様の継ぎ目と同化し、一見しただけでは扉であるとわからないようにカモフラージュされていた。
反対側の扉を引き、アンと俺自身をその中に押し込み、即座に閉める。ふう。とりあえず一段落だ。
ランタンをしまいこみ、部屋に備え付けられている燐光石に灯をつける。まばゆい灯があたりを照らし、暗い所から出てきたばかりの目が眩みそうになった。
びゅう、と、夜風が吹いた。カーテンが揺れ、じめじめした空気が吹き飛ばされる。風通しは素晴らしいな。
と、今まで黙っていたアンが不安に染まった声を出す。
「あ、あの……ここって、ま、まさか……」
「喋るな。一人しかいないのは確認済みだが、万一のことも考えられる」
部屋を見渡す。視界に入るあらゆる調度品は、気品さえ感じられる年代物だ。染み一つ見当たらない絨毯に、幾多の宝石で装飾された二人がけのソファー。マホガニーの輝きを余すことなく利用した、最高級品のアームチェアとコーヒーテーブル。それぞれの四本の脚にはすべて、ドルファンの象徴、精細なイルカの紋章が刻まれている。壁には円形の額縁にルネッサンス期の静物画、そして埋め込まれた巨大な化粧台。それらは完全に調和し、威圧感すら醸し出していた。
その中でも一際俺の目を引いたのはコーヒーテーブルだ。正確に言えば、その上に乱雑に散らかっている開封済みの手紙だ。俺はその手紙の一つを手に取った。折り目を開き、中身に目を通す。
くらっ
「あ、大丈夫ですか?」
「……うむ。ちょっとめまいがした」
ものすごい破壊力だ。手紙の本文はミミズがのたくったような下手糞な字で書かれていたが、そのあまりにあっぱらぱーな内容に比べれば些細なことだった。
とりあえずさわりはこんなところである。
『わがいとしの姫君プリシラへ
ああ愛よ
真珠と見間違うかの輝く瞳
まばゆい金色の髪
いかなる神話のいかなる聖女すら及ばぬ清らかな心
すべてが奇跡的に調和する オーミラクル!
そうだそれは奇跡だ 僕は奇跡の享受者 オーミラクロード!
これでまだ手紙一通の十分の一である。とりあえずここまでで止めておこう。全部読んだら脳が破壊されそうだ。なんだよオーミラクロードって。あれか。何か高尚な冗談か。
俺は手紙を折りたたみ、参考として懐にしまいこんだ(嫌々ながら)。
「ふー。ま、情報通りで手間は省けたが」
「え?」
「行くぞ。あの扉の向こうが寝室だ。足音を立てるなよ」
アンを連れ、居住者一名の部屋としてあるまじき広さのこの部屋の、奥へと進む。入り口と反対方向の壁に、紅い扉があった。俺はそれのすぐ目の前で、油挿しを取り出した。扉を軋ませないためだ。
ノブをゆっくりと回し、中を覗く。
そこは予想通り寝室だった。ベッドが隅に置かれている。だがそのベッドは水色の布をたっぷりとあしらった天蓋付きの巨大なもので、庶民の使う簡素な寝台とはかけ離れたものだった。
その傍に、部屋の主がいた。燐光石の灯りの下、寝間着を着て重厚なロッキングチェアーに深く座り込み腕を組んでいる。背後からでは見えないが、恐らくその顔には疲れた様子が出ていることだろう。
「はあ――あと、一日かあ」
部屋の主は、そう言って大きく伸びをした。腰掛ける椅子が前後に揺れる。
俺はアンの方に振り向き、指を口に当てて声を出すな、という意味のジェスチャーをした。特に意味は無いが刺激は多いほうがよかろう。忍び足で扉と壁の隙間をすり抜け、寝室に入り、揺れる椅子に近づく。気付かれた様子はない。
「どうしよう。ごまかすのももう限界かな……」
十分に近付いたので、背後から返事をする。
「ごまかすとは」
「うん、気がある振りをして肝心なことは先延ばしにしてきたんだけど」
「それが限界だと」
「そうなのよ。もうあっちも必死になってき――」
彼女の言葉がそこで、ぴたっ、と止まった。代わりに首がぎぎぎ、とゼンマイ仕掛けの時計のように回転してゆく。
首が90度曲がったところで、その横目と俺の目が合い、動きが止まった。数秒の完全な静止時間。そして――
「って、どっから入ったこのど腐れ外道ー!」
きーいんいんいんいん
がらがらがらどったんどったん
ヒステリー気味な叫び声と椅子がひっくり返る音。プリシラは勢いよく立ち上がり、こちらに振り向いた。その顔には驚きの色があらわにされている。ふふん、作戦成功(意味は無い)。
ただ、あまりに暴れられると困ったことになる。
「叫ぶな。暴れるな。万一衛兵が来たらどうする」
自分で言っといてなんだが、誘拐犯みたいだった。
「そうよ! 誰かいないの!? 曲者よ!」
「いない。空中庭園で騒ぎが起こってるから。第一ここからでは隣の部屋ぐらいにしか声が届かない」
後半は単なる推測だが、このぐらい言っておいた方が納得させやすい。
「……な、なによそれー!」
「落ち着け。紅茶でも飲むか?(ごそごそ)」
「んなっ、なに勝手に人のタンス漁ってるの!」
「埒が明かんな。アン、黙らせろ」
「えぇっ!? ……あ、あの……お、落ち着いてください……」
それで黙る奴がいるか。案の定、プリシラの怒りがアンの方に飛び火する。
「これが落ち着いてら れ ま す かー!」
がー、っと威嚇するような声。まあ怒りがアンの方へ行ったのは丁度いい。対処はアンに任せよう。
プリシラの激昂はその後五分ほど続いた。少しは落ち着きを身に付けろよ。
「むー」
なんとかなだめることに成功し、プリシラを椅子に座らせることができた。いやー、大変だった。といっても苦労したのは主にアンだが。どれだけ声を荒げても抵抗することはなく、まさにのれんに腕押しといった感じのアンを相手にしているうちに、プリシラのやる気はなくなっていったようだ。アンを連れてきて正解だったな。俺だけだったら最終手段を取らざるを得なくなっていたところだ。
緩衝材役のアンを傍らに侍らせ、椅子に座り、不機嫌丸出しなプリシラとガラスの机をはさんで向かい合う。
「……」
「……」
話題がないな。いや、あるにはあるんだが何か口に出してはいけないような雰囲気だ。一触即発、といった感じだ。プリシラの心の中では、怒りが未だ燻っているのだろう。
だが、黙っていても仕方ない。とりあえず、緩衝材を使った当たり障りのない話題から。
「アン、あそこの机の下にクッキーの箱が隠されているのが見えた。取ってこい」
「わたしの部屋のわたしのおやつなわけだけど」
「食べかけなのか? 大丈夫だ、俺様の寛大な精神で許してやる。アン。何をぼーっとしている」
「え、あの……その……」
「(ぎろっ)」
「は、はいっ!」
「……」
「ん、どうしたプリシラ」
「……怒りと呆れを通り越して、放心してるのよ」
器用な奴だ。ま、とりあえず怒りは収まったようだからよしとしよう。
「それで結局、どうやってこんなとこにまで不法侵入してきたのよ」
「うむ、非常通路を通って来たが」
クッキーの箱を持ってきたアンに、ついでだから紅茶を淹れるよう命令して、俺は再びプリシラと向かい合った。ばりばりとクッキーをかじりながら、プリシラの質問に答えてやる。あの通路を見つけたのはちょうど一年ほど前のことだ。
俺は帰っていくプリシラを尾行していた。城の正門を通って部屋に戻るとは思えない。どこかに隠し通路があるに違いない。プライバシー? 俺以外の人間にそんなものは不必要だ。
想像通り、プリシラは城の正門を迂回し、裏側の林に向かった。林に着くと、中央付近に位置する大木まで歩き、かがみこんでその根元をごそごそと探る。と、その体が地に沈んでいった。おそらく地下への階段だろう。
プリシラの姿が完全に沈み見えなくなった後、大木に近づき、プリシラがいた場所を丹念に調査してゆく。一見なんの変哲も無い大木だが、どこかに仕掛けがあるに違いない。
探索はすぐに終った。背の高い草で隠された木のうろの中に、いかにも怪しいボタン。おそらく緊急脱出用の隠し通路だろう。
俺は再びうろに背の高い草を被らせ、元通りにしてからその場を去った。
それを利用し、この王女寝室まで辿り着いたというわけだ。
と、そこまで話したところで、プリシラが頭を抱えてため息をついているのに気が付いた。恨めしげな言葉が聞こえてくる。
「まずった……当然、尾行を想定しておくべきだったのに……」
はん。注意していたとしても結果は同じだろう。素人のしかもお姫様が、プロの尾行を見破れるものか。
「ま、あんな通路を遊びで使う時点で不注意だったのは確かだな。見つけたのが俺様でなかったら、犯されて殺されて埋められてもおかしくないところだ」
「……。ホントに衛兵呼ぶわよ」
「来ないと言っただろう。それに、来たとしてもお前の助けにはならん」
「なんでよ?」
「そうなったら、俺がお前を人質に取って逃げるから」
「(……なんでわたしこんなのと関わっちゃったんだろう……)」
と、その時、紅茶を淹れ終わったのか、アンがお盆にカップを乗せこちらに近づいてきた。プリシラと俺の間に割って入ってくる。
「あ、あの……お茶が、入り、ました……の、ですけれど……」
険悪な雰囲気を感じ取ったのか、アンの声が消え入るように小さくなっていく。
「……頂くわ」
「よこせ」
「は、はい、どうぞ」
プリシラは紅茶をアンの左手から奪うように受け取ると、行儀悪く一気にずずーと飲んだ。火傷するぞ。
まだ中身の残るカップを唇から離し、だん、とテーブルに置く。そして開き直ったような諦めたような口調で、俺に問いを投げかけてきた。
「で、結局何の用なのよ?」
「(ずー)安心しろ。わざわざお前をからかいに来た訳ではない。まして人質に取りに来たわけでも」
「当然よ。それで」
「忘れたのか。くだんのバカ王子を何とかしてやろうと約束したではないか」
いつまで経っても俺の部屋を訪ねてこないから、こちらから出向いてやったのだが――
「…………………………あーあーあー」
長い沈黙の後、プリシラとアンが、なるほど、と関心するように何度もうなずく。
アンはともかく、当の本人であるプリシラが忘れていたとはどーゆーことだ。
「思い出したわ。音沙汰無いからすっかりさっぱりくっきり忘れてたけど。それで、策って何?」
「うむ、っと、もう時間があまり無いな。手っ取り早く済ませよう。(ごそごそ)こいつをその馬鹿に渡せ」
俺は懐から王家の紋章が刻印された封筒を取り出し、プリシラの手に押し付けた。
プリシラは受け取ると眉をひそめて封筒を軽く二、三度振った。かさかさと紙の擦れる音がする。
「なにコレ?」
「それを渡せば一発で諦めフィーバー間違いなしだ。お前が直接会って、渡せ」
じろじろと俺と封筒を交互に見やる。
「ふーん……?」
「ではさらばだ。あ、封は開けるなよ」
「……わかったけど、もう帰るの?」
「用は済んだ。名残惜しいか?」
「嬉し涙を抑えきれないわね」
「ふん。まあいい。そろそろ騒ぎが収まってもおかしくない時間だ。アン、帰るぞ」
「あ、はいっ」
アンは返事をすると、ティーポットを慌てて元の場所に収め始めた。それが終ると、こちらにとてとてと駆け寄ってきて、プリシラに申し訳なさそうに頭を下げる。
「そ、それでは、プリシラさ……ん。どうもすいませんでした、こんな遅い時間に」
プリシラは、ふぅーーーー、とこれまでで一番深いため息をつき、ひらひらと手を振りながら、アンの言葉に答えた。
「もう、いいわよ。それに、どうせあなたも、この外道に無理矢理連れて来られたんでしょうし」
人聞きの悪い。が、反論している時間は無い。
何度も何度も頭を下げるアンを無理矢理引っ張って、真っ直ぐプリシラの部屋を出る。そのまま廊下を横断し、非常通路へと急ぐ。
カビ臭い通路を歩きながら、考える。とりあえず今回で使い勝手は把握した。オプションも活用すれば城の何処であろうと進入することができるだろう。
数週間後。公園のベンチで新聞を広げる。アム皇太子帰国の記事が一面を飾っていた。だが、婚約の二文字はどこにも見当らない。
新聞を閉じ、横に座る、おそらく礼を言いに来たのだろうプリシラに投げ渡す。
「どうだ、見事に成功しただろ」
「……まあね。手紙渡した翌日から、別人みたいに大人しくなっちゃったもの。なんか、一気に二十年ぐらい老けたような雰囲気だったわ。心ここにあらずって感じで。それにわたしと目を合わせようともしないの」
「うむうむ」
そうだろうなあ。『いかなる聖女すら及ばぬ清らかな心』なんて本気で思ってた上流階級の世間知らずが、あの手紙を読んだらそりゃショックで老け込むだろ。
と、不意に、プリシラが真剣な顔を俺の方にずい、と近づけた。ほのかに甘い香水の匂いが漂う。
「どうした? キスで礼をするつもりなら、全力で断る」
「するかっ! 手紙の内容を聞きたいのよ。結局、なんて書いたの?」
「なんだ。読まなかったのか?」
「開けるなって言ってたでしょ」
妙なところで律儀な奴だ。
「悪口満載の手紙? 馬鹿とかアホとか?」
「確かに悪口も入っているが――この俺様が精魂込めて書いてやったのだぞ。そんな生易しいもので済ませるものか」
「なっ!? なによ、一体どんなことが書いてあったのよ!?」
俺は答えずベンチから立ち上がった。
読まなかったのなら、教えない方がいいだろう。多分知ったら死にたくなるだろうから。
そういうわけで、俺は後ろで騒いでいるプリシラを無視し、部屋に帰ることにした。
もうすぐ、夏も終わりだ。
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