登場人物紹介







 シルベスターはドルファンで開催される祭りの中でも収穫祭と並び、もっとも規模の大きいイベントである。ただ皆で年を越すだけだというのに、クリスマスが終わると商売人はその準備でおおわらわになり、一般の市民も忙しそうにしながらも、その中にどこか浮かれた様子を隠しきれなくなる。

「あの……具合の方は、どうでしょう?」
「最悪」

 だというのに何故、この俺様だけが! 二年も連続して、シルベスターを病で床に伏せった状態で迎えねばならんのだ。
 看病に来たアンの呼びかけに答えるのも億劫だ。視界が常にぐらぐらと揺れ続け気持ちが悪い。指一本動かすにも、凄まじい努力を強いられる。全身に絶えず脱力感の波が打ち寄せている。
 首元まですっぽりと覆ってくれる羽毛の詰まったスィーズ製の布団、遅配された給料の延滞利子分として城から(勝手に)接収したものだが、それすら重く感じてしまう。燐光石の照明器具で薄く照らされた部屋に、コチコチと鳴り響く掛け時計の音が、やけに耳に遠い。

「なにか、食べたいものとかありませんか?」
「……食欲がない」

 凄まじい吐き気が常に胃を満たしている。俺様の人外的な忍耐力がなければ、既に胃液の全てを吐き出してしまっていてもおかしくないところだ。
 ……こうして思考を巡らすことすら、とにかく辛い。アンもそれを察したのか、沈痛な面持ちでこちらを見つめている。

「あの、タオルを取り替えましょうか?」

 見かねた、といった感じでアンが言った。

「……許す」
「はい。失礼します」

 アンの声はやけにはっきりと耳に入る。
 白い腕が俺の眼前を通過して額へと伸び、置かれたタオルを取り上げた。アンはそれをヒザに置き、丁寧に畳んでいく。
 その途中に、少し違和感を覚えた。伸ばされた手。その平にはキズのかけらも見当らない――というわけでは、なかった。
 スペルまではわからなかったが、黒い文字が手の平の中央に綴られていた。
 あれは――

「なんだ、それ」
「はい? ……ど、どれでしょう?」
「それだ……その手の文字……くっ」

 俺は目線でアンの右手を示して言った。
 本当は指でも差すつもりだったのだが、身体がついていかない。くそっ。

「……あ……」

 アンは俺に指摘されると同時にタオルを畳む動作を中断し、腕をはっと上げた。開いていた手の平をぐっと握り締め、胸に添える。その顔は赤らんでいた。なんだ?

「……あの……覚えて……いらっしゃいませんか?」

 アンはしばらくの間の後、そう、ゆっくりと問いかけてきた。

「記憶停滞中」
「え?」

 脳細胞の活動が鈍い。記憶を能動的に掘り起こす気力を出すのもしんどい。
 そんな状態の俺に謎掛けをするなど何を考えているのだこの馬鹿者は。

「……病人に考えさせるな、たわけ。……さっさと説明しろ」
「あっ、ごめんなさい! その、初めて会った時に、書いてくださったものなんですけど……」

 初めて、会った時――?


『あの…改めてお礼に伺いたいので、せめてお名前だけでも教えて頂けますか?』
『貴様に教える名などあるものか!』


 ――明らかに違うな。こっちか?


『これで忘れないだろ。ちなみに水で洗いつづけても三ヶ月は消えん、特製のペンだからな』
『あ……ありがとうございます! わたし……感激です!』


「……ああ、わかった」

 思い出した。あの時書いた俺の名前か。

「……よくもまあ、一年以上も残しているものだ」
「はい、これを見ていると、なんだか元気が湧いてくるような気がして……」

 アンは語尾を濁したまま、手を広げその中央――おそらく俺の名前――を、宝物でも愛でるかのように柔和な瞳で見つめた。
 言葉が続かないのでなんとなしにその光景を見つめ続けていると、アンは何を勘違いしたのか、俺の視線に気付くと同時に申し訳なさそうな顔をした。

「その、迷惑でしたら消させていただきますけど……」
「……うむ。殊勝な心がけだ、許す。続けろ」
「は、はい!」


 その後替えのタオルを持ってきたアンは、熱を確かめますね、と前置きしてから、両手をそれぞれ俺と自分自身の額に添えた。ひんやりと冷たい手の平が俺の額を覆う。

「お熱は……まだすごく……あるみたいですね」

 アンの手が離れていく。

「……待て」
「はい?」
「いや。タオルより、これの方がいいようだ」
「え……あっ!?」

 俺は離れていったアンの右腕を掴み、再び額に手を招いた。
 どういうわけかはわからんが、これに触れていると何か得も言われぬ安堵感というか、とても暖かいなにかが全身に流れ込み、包み込まれるような気分になる。額を他人の手で覆われているだけだというのに。
 アンは俺に腕を掴まれた際、一瞬動揺したように肌を震わせ、次に意味もなく左右に視線を振り落ち着かない様子を見せた。先ほどから紅潮していた頬は、今やトマトのように真っ赤に染まってしまっている。
 ただ、嫌がっている、というわけではないようだ。手を額から離そうとするそぶりはみじんも見せていない。

「……」

 表情を隠すようにうつむいて沈黙してしまったアンから目線を離し、天井を見上げる。
 ――心地よい。
 全身の抵抗が消え去る。
 綿の雲で身を撫でられるような感触だ。

 自然、まぶたが閉じる。

 鳴り響く秒針のコチコチというリズムに従い、俺自身の意識が深遠の闇へと落ちていく。
 最後の瞬間まで、それが妙にはっきりと認識できた。



 深遠の闇の中、光り輝く巨大な球体の上をさまよい、無限とも一瞬とも取れる時の流れを無視し、ただ存在し続けていた。とっくに消滅していなければならないこの身が、なぜ形を保ち続けているのか?
 未練は、あった。やり残したことも。だからって――許されるのだろうか。
 
 ――そんなことを考えていた時だった。
 ――彼が、目の前に現われたのは。



 目を覚ました俺はまず、まぶたをしぱしぱと開閉し覚醒を認識する。
 それから呼吸の確認。完調。心肺機能は本来の人類最高クラスにグレートなものに戻っている。
 手足の確認。有る、動く、すばらしい反応速度。さすが俺様の四肢。
 胴体と頭の確認。滅多になくなることはないと思うが、万一のことも有る。
 と、違和感。胴体に重みを感じた。

「……ん……」

 くぐもった声まで聞こえてくる。俺は上体を少しばかり起こし、違和感の正体を目で探った。
 そこではアンが、俺の腹のあたりにしなだれかかって、静かな寝息を立てながら眠っていた。透明感のある水色の髪が、浜辺に打ち寄せる波のように白い布団の上へと投げ出されている。
 顔は伏せた状態からわずかに俺の顔の方に向けていた。どんな夢を見ているのか、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。

「……ア…………さ……ん……」

 こもってよく聞き取れない寝言を言うと、アンは小さく首だけで寝返りをうち、再びすうすうと安らかな寝息を立て始めた。
 俺はそれをたたき起こさんと――振りかざしたこぶしを止めて、再び後頭部をまくらに押し付けた。

 ――まあ、いいか。

 あと五秒ぐらいはこのまま寝かせておいてやろうと、そう、思った。
 
return to index
感想・連絡・苦情その他ありましたら掲示板または下記フォームにお寄せください。
執筆意欲になります。あと作者が泣いて喜びます。返信不要の場合、末尾に『/返信不要』とお付けください。