登場人物紹介







 どこから湧き出してきたのか不思議なほど、その通りは雲霞のような人で溢れていた。普段は遥か向こうの城壁まで伸びているのが見て取れるレンガ造りの沿道が、今日では足元のレンガの模様を見ることすら適わない。

「凄い人出ですねえ」
「うむ」

 春の訪れを祝う五月祭。極東圏を舞台に輝かしい伝説を作り上げてきた俺にとって馴染みのない祭りであり、新鮮さを感じさせてくれるものだった。
 が、流石に三年目ともなると新鮮味も薄れてくる。ステージで催されるイベントは毎年代わり映えのしない運営委員会の頭の固さが丸わかりのものだし、ずらりと並んだ露天商も、よく見れば商品は去年の売れ残りとわずかばかりに追加されたガラクタばかりだ。

「豪華だな」

 言って、俺は広場中央のステージの方へと顔を向けた。あれだけ巨大なステージを設置するにはかなりの出費を余儀なくされるだろう。

「費用は税から出してるのか?」
「えーと……入場費とかはありませんから、その通りかと」
「ふん、果てしなく無駄な出費だな」

 こんなところに回す金があるなら俺様の部隊にきちんと予算を配分しろっつーの。まったく……。おかげでまた私財の放出を余儀なくされたではないか。

「元は取るぞ。今年から賞品が更に豪華になったらしいからな」
「え?」
「コンテストだ。昨年、一昨年と続いた俺様に対する侮辱は今日こそ雨後の空のように晴らしてくれるわ」
「え、あの」

 俺の言葉を聞くとアンは何かを言いたそうにもじもじした。

「で、ですけど……えと、その……あっ!?」

 脳内で丁寧語にでも直しているのか、まごまごしているアン。
 それを無視して受付に直行する。どうせ大したことではないだろう、こいつは本当に緊急の用事や大切な事柄は戸惑わず伝えることができる人間だ。いや人間かどうかはかなり微妙な当落線上だがそれはこの際関係ない。
 とにかく、別に無視しても問題なかろう。
 だがその考えが間違っていたことを、すぐに思い知らされることになった。


「――どーゆーことだ」

 中止、だと?
 がやがやと賑わうコンテスト入り口脇の、出場者用受付。発した聞き捨てならん言葉に対して、俺はナイスガイコンテストの受付(のはず)に立つ不細工に詰め寄った。

「はあ。評判が悪かったんですよねーあのコンテスト。見てて気持ち悪くなったとかいう苦情が大量に来まして。代わりに」
「黙れ。理由なぞ聞いとらん。俺様のこの憤り遣るかたない怒りをどこに向かわせろというのだ!」
「……はあ?」

 不細工は俺の言葉に対して、そんな返事をしてきた。こともあろうに、この、俺様の言葉に対して。
 その目も口調も不愉快だ。社会的に抹殺してやろうか。

「あ、あの……」
「……なんだ、アン。こいつを合法的に粛清する方法でも考え付いたか」
「は、え? え、あの、その……しゅ、しゅくす?」
「ぜんぜん違う」

 というか語形を留めていない。

「あ、はい、すいません。なんでしょう?」
「なんでしょうとこっちが言いたいわい」
「す、すいません」
「おや」

 と、意味のない会話をアンとしている途中に、不細工がカウンターから身を乗り出し、アンの顔を覗き込んでそんな声を漏らした。鼈甲ぶちのメガネを日光にきらりと輝かせ、嘗め回すようにしてにアンの全身に視線を渡らせる。それに気づくとアンは居心地悪そうに身を萎縮させ、か細い声を上げた。

「あ、あの……?」
「……ふむ。そちらのお嬢さんが、花嫁コンテストに出場なさってはどうですかな? あなた様が出場されるよりは現実的だと思いますが」

 メガネを片手でくいと上げ、不細工が気取った口調で提案する。

「花嫁?」
「ええ。今年からは性別を変更して行うことになりまして」
「……ほう。それを早く言わんか」
「言おうとしたら怒鳴られたんですが」
「言い訳はいい」
「……。それで、いかがですかな。貴方様なら優勝も狙えるかと」

 不細工はアンに顔を向けてにこりと笑い、そう提案した。俺と不細工の視線が、俺もアンを見る。

「……え」

 何を言われたのかわからなかったようでアンはしばらく呆然としていたが、不意に頬を赤くすると、手足をばたつかせて抗議の声を上げ始めた。身に着けるスカーフと束ねられた髪が、ふるふると首の動きに応じて左右に揺さぶられている。

「そ、そんなっ! だ、だめです、わたしなんかが、はっ、花嫁コンテストなんて、とてもとても!」
「そう悲観することもないと思いますがね。どうです、彼氏さんは」
「誰が彼氏だ。しかし、うむ。不細工にしては面白い提案だな。行けいアン」
「不細工とは誰のことで」
「うるさい。貴様は用済みだ、すっこんでろ。アン!」

 俺の声にぴたっとアンの動きが止まる。
 代わりに首を動かし、懇願するような潤んだ瞳を向けてくるが……。

「行け」
「あ、あう……」

 もう一度言うと、アンはようやく諦めたようだ。
 しばらくステージを見つめていたが、やがてぐっと拳を握り締めて、その瞳に強い光を湛え、唇をゆっくりと開く。そして言った。

「……が……がんばります」

 ……少し頼りないが、まあいい。

「うむ。俺様の代理人という自覚を持って、俗人どもを完璧に打ち負かすがよい」
「……は、はい……」

 要求された成果を得るに自分は力不足だと思ったのか、アンは力なく笑ったが、それでもしっかりとした返事を返してきた。そして俺に一礼をし、係員に誘導されながら重い足取りで控え室の中へと消えていった。

「……やっぱ無茶だったかな」

 ま、一度決めたことだ。任せよう。
 コンテストが開催されるまでの間、露店を見て回るとするか。


 店また店。
 地べたに直接絨毯を敷き何やら怪しげな土産物を陳列している老人に、りんごを山積みにし客の目の前で加工して見せている果物屋、やたら豪華なテントに葉っぱを所狭しと並べたお茶屋、何の店で何を売っているのかすらわからん紫色のテント。
 三日前まではただの憩いの場だったこのキャラウェイ中央広場は、今やそんなわけのわからん店が乱立する無秩序な空間へと変わり果ててしまっていた。
 いやまあ俺様好みの空間なんだがな。

「らっしゃーい」

 そんな無秩序空間をさ迷い歩いていて、俺はふと古物商と思われる露天の前で足を止めた。
 どうせ贋物しか置いてないだろうが、まあ物は試しだ。あまり期待せずにざっと目線を流す。
 その途中で、眼が止まる。机の端っこに並べられた一振りのナイフ。

「……ふむ」

 俺は身を乗り出しそのナイフをしげしげと眺めた。
 銀の装飾が施された、刃渡り二十センチ程のナイフ。なにかの紋章が柄に小さく刻印されている。手入れはあまり成されていないらしく、年代物のその刃からは光沢が失われており、横に置かれた鞘も所々が手垢だか油だかで黒く薄汚れている。
 状態は悪い。しかしその装飾は精巧で、妙に引き付けられるものがある。……ひょっとしたら、掘り出し物かもしれん。
 俺は手にとって確かめるべく、腕を木机に伸ばした。

「あ」
「……」

 と、俺が手を出すのと同時に、別方向からにゅっと手袋に覆われた腕が伸びてきた。
 自然、手のひらが重なり合う。反射的に声が出た。俺からだけではなく、相手からも。

「ごめんな――」
「これは俺様の――」

 振り向き、その声の主と目を合わせる。で、言葉が途中で止まった。
 不遜にも俺と同じナイフに目を付けたその女は、黒っぽい紫の帽子を髪に乗せ緑のショールを羽織った、無表情な奴だった。付け加えるなら無感動で無愛想な奴でもある。
 こいつのことを俺はよく知っていた。その名はサリシュアン。今はライズ・ハイマーと名乗る。……諸々の情報を統合すると、ひょっとしたら逆なのかもしれないが、とにかく俺はそう説明を受けた。ヴァルファバラハリアンの一員、腕は一流心構えは三流の敵国潜入中スパイ。
 妙なところで妙な奴に出会ったものだ。確かこの前も――

「……」

 ――なんてことを考えていたら、気付いた時にはサリシュアンは既に俺に背を向けて立ち去ろうとしていた。
 慌てて肩を掴み引き止める。華奢だが引き締まった肉体の感触が、手のひらに伝わる。

「こら無言で去るな」
「……譲るわ。さよなら」
「譲らなくとも、もともと俺様のものだ」
「へ、あの、お客さん?」

 何故か慌てた顔をしている店員を無視して、こちらに背を向けているサリシュアンを睨み付け、つかむ肩に力を入れる。
 サリシュアンはしぶしぶ、といった感じで立ち去ろうとしていた足を止め、こちらに振りむいた。話をする気になったか。

「離して」

 ……違ったらしい。
 いつも思うのだがこいつの俺様への対応には譲歩とか妥協とかそういう類のものが一切存在しない。誰に似たんだか。

「こんなところで何をやっている」
「貴方には関」
「なるほどわかった皆まで言うな。特に用もなく遊んでいるわけだな」
「……」
「どうした」
「……手を離して。大声を出すわよ」

 なにっ。質問に答えないばかりか、師であり地上最大の英雄である俺様に向かって、なんという言い草だ。こいつの態度は年々横柄になってきている。けしからんことだ。あと大声出して困るのはこっちではなくサリシュアンの方だ。

「それ以上言うと」
「その口を――塞ぎなさいッ」

 サリシュアンは低く鋭い声で、そう俺に言った。警告のつもりらしい。

「……む」

 なんだか知らんが、いつにも増して殺伐としている。
 俺は仕方なく肩から手を離した。するとサリシュアンはすぐに肩の俺が触れていた部分を、ぱんぱんと乱暴にはたいた。
 不快感丸出しである。なんと礼儀のなっとらん奴だ。
 だが――なにか変だな。
 ここまで感情を表に出す奴だったか?

「どうした。いつにも増して感情がブレてるようだが」
「……貴方とは関係ないことでしょう」

 取り付く島もない。
 俺と目を合わせようとすらしない。

「まあそう言わずに話してみろ。今日は気分がいいから、相談に乗ってやらんこともないぞ」
「断る」

 たったの二文字で俺の提案を一蹴する。これ以上会話をする気はないらしく、サリシュアンはまたも踵を返し、駅の方角へと歩き出した。この場から一刻も早く立ち去りたいようだ。
 生意気が限界を突破しすぎて最早腹も立たんな。

「ふん……。確かに貴様がクビにされようが勘当されようが、知ったこっちゃないが」

 ピンと背筋を伸ばしている姿勢の整った後姿を見ながら、改めて口に出してみる。
 まったく持ってそのとおりである。
 知らない間に死なれるのは気分も都合も悪くなるが、そこまで行ってないならただの弟子に過ぎぬこいつが絶望に陥ろうが後悔の大海で溺れようがどうでもいい。
 薄情だねぇ、だと? 何を言う。信頼の証だ。
 うむ、そうだな。どうでもいい。
 どうやら機嫌が悪いようだし、こんな馬鹿は放っといて別の店でも見て回るかな。

「……ッ!」

 が、独り言のつもりで口に出した俺の言葉に、意外な反応がきた。
 勘当、と言った瞬間に、サリシュアンは肩をビクリと吊り上げると、一度は立ち去ろうとしたその足を止めて再び俺と対峙する姿勢をとった。その瞳には驚きと怒りの炎が見え隠れしていた。
 サリシュアンは羽織ったショールに手をやると、ぎゅっと握り締めた。形相は一見普段と変わりないように見えるが、僅かに口元が引き締まり厳しいものになっている。

「……黙り……なさい」

 ……なんだか知らんが、琴線に触れてしまったらしい。

「いまさら黙ったところで、事実は変わらんが」

 とりあえずはったりでそんな言葉を口に出してみる。

「……」
「……」
「……」
「……」

 これにも意外な反応。反論が来ない。効いたらしい。
 動揺している、あのサリシュアンが。

「……どこから……」

 長い沈黙の後、サリシュアンはそう問いかけてきた。目線は地面に張り付いたままで、声も低く小さかったから、ひょっとしたら独り言のつもりなのかもしれない。あと、どこからと言われても俺は一から十まで何も知らないしな。
 少なくともドルファンに来てから、こいつの境遇についての新情報は入ってきていないし、勘当だのクビだのという言葉は、こいつには全く似合わないと思うんだが。まあいいか。

「どこからでもいいだろう。真実は一つだ」
「……勘違いしないで」

 だから何をだ。

「私は……私達は……! 必ず貴方を、この国を打ち破ってみせる」
「そうか」

 とりあえず納得してみせたが、わけがわからん。さっきの言葉から全く話が繋がっていない。
 それに国を打ち破るとか言ってる割には、今まで大した活動をしていなかったようだが。

「……」

 サリシュアンは最後に目を瞑ると、素早く俺に背を向けてすたすたと歩き出した。三度目はなく、今度は振り向かなかった。背中が寄る人波で隠れて見えなくなり、サリシュアンの姿は人込みの中に消えていった。
 なんだかわからんが、情緒不安定な奴になったものだ。

「……あの、お客さん。このナイフは……」
「む? ……ああ」

 声を受けて振り向いた。そしてカウンター越しに立つ困惑した顔の男に目線を向ける。ナイフ売りの露天商か。俺とサリシュアンのやり取りが終わるまで待っていたらしい。
 しかしこいつ、今までの話を聞いていたんだろうか? しかるべき筋の奴に聞かれたら色々と危ない内容が一部混じっていた気がするが……ま、大丈夫だろう。あの会話の流れだと、俺までは被害は及ばないだろうし。
 さてライバルは去ったのでナイフを買うか……と、ポケットに手を入れたところで、あることに気付く。

「……いらん」
「はあ……そうですか」

 あからさまに失望した感じだ。

「じゃあな」

 会話を打ち切り、ステージの設置された中央広場へと早足で急ぐ。
 ポケットに手を入れたら、すかすかだった。よく考えたら財布は会場に入る時、アンに預けたままだったのだ。
 くそっ。サリシュアンを何とか言い包めて金だけでも出させておけば良かった。


 色とりどりの春の花々によって彩られたステージ上に、派手なタキシードを着た男が一人。どうやらコンテストが始まったばかりらしい。
 控え室に行くのは、まあ後でいいか。

「さあ、五月の花嫁に輝くのは誰なのか!? さあ参りましょう、記念すべき第一回花嫁コンテスト、開幕です!」

 司会者の掛け声と共に、観客から男女の入り混じった歓声や品のない野次が飛んだ。
 その声を俺は特等席で聞いていた。三桁に届く数の観客を押し分け、かぶりつきの席を交渉(主に強硬手段)により確保したのだ。木椅子の背もたれに体重をかけつつ足をぶらぶらさせる。
 花嫁コンテストとは、五月の花嫁だとか何とかを決定するとか、そういった感じのコンテストである。詳しいことは説明を聞いていないので不明だ。
 だが一つだけ、重要な事項を俺は耳にしていた。
 隣でべちゃくちゃ喋っている気障な二人組みの男の話によれば、どうやら優勝者にはウェディングドレスが副賞として授与されるらしいのだ。豪勢なものだ。ウェディングドレスといえば結構な高級品である。
 つまり売れば相当な金になる。そう思うと嫌が応にも期待感が高まってくる。

「あ」

 そんなことを考えている途中、ふとステージを見上げると、既に端からアンが進み出てこようとしていた。どうやら最初の出番らしい。アルファベット順で回ってきたんだろうか。
 アンはぺこりとお辞儀をすると、かくかくと間接が軋む音まで聞こえてきそうなほど硬い動きで、ステージ中央まで進み出てきた。そしてこちらに振り返ると、やはり硬い表情のまま、何とかといった感じで笑った。何やってんだあいつは。

「一番は、アンさんです!」

 司会の声に促されるかのようにアンがおじぎをした。服は一緒なんだが、雰囲気がいつもと違っていた。化粧をしているようで、アンの唇の色は普段より赤みがかって見える。まつ毛はいつもより更にピンと伸ばされ、目の周りを縁取っていた。そのせいで目がパッチリと大きく開いている。さっきまでリボンで結われていた髪は真っ直ぐに投げ出されており、風が吹くたびに髪がたなびいた。
 化粧の甲斐あってか、普段よりも何となく華やかな印象を受けた――いや、受けたはずなんだが、あれほど硬くなってしまっていてはそれも帳消しだった。緊張しすぎだ。何しろ真正面に座っていて簡単に発見できるはずの俺に、気付いていない。初々しいというより単に場違いという感覚の方が正しいだろう。
 それでも後ろの観客席からはピーピーという口笛の音が聞こえてくる。意外と反応は良いようだ。

「……あ……」

 だがアンは慣れぬ歓声で更に萎縮してしまったらしい。特に派手なアピールをするでもなく、ただ中央で一回転してスカートをはためかせただけで、自分の出番を終わらせてしまった。

「あ、アンといいます、よ、よろしくおお願いします」

 そして最後にそう言ってから舞台の中央で深々と頭を下げると、パチパチと鳴る拍手から逃げるかのように、さっさと控え室に引っ込んでしまった。
 舞台役者の卵と友達な割には、舞台の心得がまったくなっとらん。
 それでも拍手が渦巻いたのは、単に素の顔の作りが上の部類に入るからだろう。さっき引っ込んでしまったときも特に不満のブーイングは出なかったし、他の候補者次第では意外といい線いけるかもしれない。だが優勝は微妙なところだ。
 などと思いながら、俺は後に続くどうでもいい女どもの出番をぼーっと見つめ続けていた。


 夕焼け色に染まった空の下、ようやく人波の収まってきた中央通りを、申し訳なさそうに肩を落としたアンと並んで歩く。化粧は控え室で落としたらしく、アンの唇はまた元の薄いピンク色に戻っている。

「すいません……」
「うむ」

 コンテストの結果、アンは二位だった。
 実行委員を問い詰めたところ一位との投票数の差はほんの僅かなものだったらしいことが判明したが、負けは負けだ。
 やはり無理だったか。期待してたようなしてなかったような、まあ無理なものは仕方がない。アンはできないことをやれと言われて、成功できるタイプではないだろう。……まあそんなタイプの人間は一人しか見たことが無いが。

 びゅう、と風が吹いた。アンの羽織るアンティーク調の上着から垂れた紐が細かく揺れている。

「ごめんなさい……」

 と、アンがまた謝罪の言葉を発した。今日何度目なのか、もう数える気も起きない。

「何度も謝るな、と何度言わせる気だ貴様は。まあ反省して精進しろ」
「は、はい。…………あの……ところで、その……」
「ん? なんだ」
「あの……えっと……ど、どなたに……と、投票され……ましたか……?」

 アンは頬を真っ赤に染め、俺にそう問うてきた。
 果てしない愚問だ。

「お前に決まってるだろうが」

 俺は利敵行為をするほど愚かな人間ではない。
 あとそれ以前に他の出場者など名前すら定かでないような奴ばかりだ。
 アン以外の女になど、票の入れようが無い。

「……! そ……そうですか……あ……あの、ありがとうござい……ます」
「存分に感謝せよ」
「は、はいっ。本当にありがとうございますっ」
「うむ、もう一度」
「とっても感謝しています」
「よし」

 謝辞は何度言われても気分がいい。
 最後にまたぺこりと頭を下げると、アンは足を弾ませて俺の隣に寄り添ってきた。

「そういえば、優勝された方なんですが」
「ん?」
「どこに行っちゃったんでしょうね……」
「……」

 優勝したのは確かサーだかスーだとかいう、パン屋の看板娘と自己紹介した、俺と同年代の女だ。やたらと自己主張が激しかった。そのせいでアンを除けば、もっとも鮮明に俺の記憶に残っている出場者だ。アンとは対極な性格の持ち主に見えたが、やはりこういったコンテストではああいう性格の方が好まれるのだろうな。
 で、その女なんだが。
 箱に入れられたウェディングドレスが、主催者の太った偉いさんからその女の手に渡ったかと思うと、女はすぐさま控え室に引っ込み、ドレスに着替えてステージの上に立った。自ら輝いているかのように春の日差しを反射する純白のドレスと、大きくカールした紫のロングヘアーと見事に調和したヴェールは、改めて間近で見るとやはり……金になりそうだった。
 つくづく惜しい。
 話がそれた。その女はドレスでステージの上に立った。そこまではいいんだが、観客に見せ付けるようにステージの上でくるりと一回転して見せたかと思うと、

「思い知らせてやるわっ!」

 そう叫んだ次の瞬間にそこから飛び降り、そのままどこかにばびゅーんと走り去ってしまったのだ。

「ふん。先を越されたかな」
「……はい?」
「ええい、とにかく他人のことなどどうでもいい。それより来年は貴様が五月の花嫁だ。いいな」
「……え」
「どうした。たかが四票差だ、その程度の差は一年努力すれば簡単に埋められるわい」

 そして俺にウェディングドレスを献上するのだ。

「来年……ですか」
「うむ」
「……」

 アンは少し躊躇するように唇を僅かに開くと、奇妙な行動を取った。長袖の先から伸びる右手のひらを開き、そして閉じる。両目で見つめ続けたまま、その行動が二度繰り返された。
 それが終わるとアンは一度目を閉じ、唇を僅かに動かした。短く独り言を呟いたようだが、音までは聞き取れない。

「――」

 まぶたがゆっくりと開いた。唇がぎゅっと噛み締められる。
 アンは正面から俺をじっと見据えた。その瞳に瑞々しく深い色彩を湛えていた。
 夕方の太陽に照らされた輪郭の中に、どこかぎこちなく眩しそうな笑顔を浮かべ、彼女は言った。

「――はい。喜んで」

 今度ははっきりとその言葉を口に出す。
 その笑顔と言葉に、なぜか俺は――悲壮な感情を見た気がした。

 
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