登場人物紹介







「失礼致します。招待状を拝見」
「ほれ」
「……結構です。どうぞご乗船ください」
「うむ」

 リンダからの招待状を着飾った受付に見せ付けた俺は、夕方の桟橋に繋がれた架け橋を渡り、停泊する船へと乗り込んだ。とはいっても架け橋は直接甲板に直通しているので、乗り込むというより上るといった感じだ。
 この中型の帆船はザクロイド家が所有する船の中ではまだ小さい方だろう。リンダの奴がこういうことに金をケチるわけもないから、これより大型の船は全て航海中なのだろう。
 巷の噂通り、ザクロイド家の海外投資活動は異常なほど活発になってきているようだ。

「こちらでございます」
「おう」

 老執事の案内に従って甲板に上ると、既にパーティーは始まっていた。
 マストの横木にふんだんに吊るされた燐鉱石の明かりに照らされる中、数十人の賓客達が立食パーティーを楽しんでいる。
 甲板の上に臨時に設営されたテーブルの上には、世界各国から集められたであろう色とりどりの料理・果物・デザートが盛られた皿が所狭しと並べられていた。
 なかなかいい感じだ。誰が企画したんだかしらんが、立食パーティーの醍醐味というものをよくわかっている。
 辺りを見ると、着飾った品のいい男女が談笑をしていた。そのうち幾人かの顔は見覚えがある。プリシラの誕生日パーティーにも来ていた顔ぶれだろう。知り合いはいなかったが。
 しかし主催者の年齢に反して、招待された人々の年齢層はかなり高い。というより、おっさんとババアだけだ。招待者の中では俺が一番若いのではないだろうか。

「……あら」

 と、談笑の中心にいた一人の少女が、俺に気付いたらしく話を止めてこちらにしゃなりしゃなりと歩いてきた。彼女の見るからに高級な宝石や毛皮でごてごてと装飾された紫色のドレスは、完璧に均整の取れたその容姿と見事に調和し、居並ぶ見栄えのよい上流階級の面々の中でも一際輝いている。
 彼女の名はリンダ・ザクロイド。ザクロイド家の一女。このパーティーの主役。俺のドルファンの知人の中では一番お嬢様らしいお嬢様である。
 彼女はともすれば身分上最も高貴な人物であるプリシラ以上とも思える、自信と威厳に溢れた佇まいを既に身に付けていたが、それは生まれついてのものだけではなく、彼女の不断の努力の賜物であることを俺は知っていた。
 リンダは俺の前に立つと、何も読み取ることができない、彼女にしては珍しい人形のような無表情を浮かべた。

「リンダか。なかなか豪華なパーティーではないか、褒めてつかわす」
「……」
「リンダ?」
「……」
「おーい」
「……。ふう」

 ようやくリンダは無表情を崩し、額に白手袋で覆われた手を当てたと思うと、天を仰いだ。
 やっと反応が来たかと思ったら、なんだそれは。

「なんだそのわざとらしい溜息は」
「やはり、来てしまったのね」
「当たり前だ馬鹿」

 招待状を送りつけておいて、しまったのね、とは何という言い草だ。

「今日は貴様の誕生日をわざわざ祝いに来てやったのだぞ。少しは愛想良くすればどうだ」
「さっきのが最大限よ。貴方に対してはね」
「礼儀のなっとらん奴だな」
「……」

 俺の言に対し、リンダは一瞬不快そうに目じりを吊り上げた。
 だが自らの誕生日に原始的な感情を顕わにすることは避けたかったのか、あるいは寛容性というものを身に付けたせいか、リンダはため息を何度も吐くだけで、俺に対して何か文句を付けるようなことはしなかった。

「ところでこの服はどうにかならんのか、窮屈なんだが」

 招待状と共にリンダが送りつけてきた、現在俺の着ている服のことだ。
 この国では正装とされている服らしいが、着る際にはめるボタンが多すぎる上やたらと角ばった部位があり、まったく俺の好みに合わない。ものは試しということで一応着てはやったが。

「何時もの服で来たなら受付に止められていたわよ」
「ふん」

 鼻を鳴らし、傍のテーブルに置いてあったグラスを傾ける。弱いワインが喉をごくりと鳴らした。
 と、俺はここへ来た名目上の目的を思い出した。

「ま、とりあえずのところ誕生日おめでとうと言ってやろう。うむ、めでたい。貴様もついに十五だか十二だったか」
「…………」
「十三? いや十四かな」
「…………わざと?」
「いや」

 実に本気だ。どうやら外れたらしい。
 リンダは軽く髪をかきあげると、俺を上から見下すかのような口調で言った。

「十八よ。覚えておきなさい。このリンダ・ザクロイドが成人に達した、記念すべき日をね」
「ドルファンの成人て、確か二十だったような気がするが」
「その定義は非合理的よ。学生という身分を脱ぎ捨て社会に飛び立つべき十八という歳こそ、成人とされるべきだわ」

 そんな自分勝手な自分定義で文句を付けられても困るんだが……。
 と、一つ気になる部分が。

「社会に?」
「ええ」

 リンダは顎をくんと上げると、右手を左肩に添え格好をつけて言葉を続けた。

「一昨日、ようやくお父様を説き伏せてみせたわ。ザクロイド財閥の経営陣に私を加えることが、必要不可欠だということをね」
「ふーん」

 そいつは知らなかった。財界に本格的に乗り出すつもりか。
 リンダのことだ、年若い女性が経営に口を出す困難さは理解しているだろうが、その準備も入念に整えていることだろう。
 そういえばこのパーティーには年配の奴が多過ぎると思っていたが、それも準備の一貫か。
 財閥令嬢としてではなく、役員としての顔見せのつもりだろう。

「しかしザクロイドは今色々と不穏のようだがな」
「……はん。それも来年の三月までで終わりよ」

 リンダは鼻を鳴らし不敵に笑ってそう宣言した。

「なんといっても、この私が経営に加わるのですからね。オーホホホ!」

 俺様には及ばぬまでも、凄まじい自信である。もちろんそれを支える知力と実力があってこそだろうが。
 と、その時、甲板の隅からリズムの良い弦楽器の協奏曲が聞こえてきた。
 見ると数人のスーツ姿のオーケストラ団が指揮者に従いその曲を奏でていた。それに合わせて、テーブルの存在しない甲板の中央に数ペアの男女達が進み出てきて、互いの手を掴み奇怪なステップを踏み始めていた。

「ダンスが始まったようだな」
「そうね。それでは失礼するわ」

 リンダは手に持った扇のような毛皮のなめし物で口を隠すと、俺にそう言った。

「ほう。俺様にダンスを申し込もうという気は」
「まったく、これっぽっちも、かけらも無いですわ」
「ふん、俺様もだ。だがパートナーのあてでもあるのか?」
「貴方と踊るくらいなら下水のネズミ達とステップを踏む方がマシよ。それでは、ごきげんよう」

 そう言い捨ててリンダは賓客の輪の中へと、来るときと同じく優雅な仕草で戻っていった。
 凄まじい言い草である。だが質問の答えにはなってなかったぞ。

「あら、忘れていたわ」

 と、リンダは足を止め俺の方に首だけで振り返り、心底どうでもよさそうな口調で言葉を付け足した。

「貴方の祝言、確かに受け取ったわ。それではごゆっくりどうぞ」

 やっぱり答えになってなかった。


 一人手持ち無沙汰となった俺は甲板の端、船首に最も近い欄干に腕をかけ、パーティーの喧騒を背後に海を眺めることにした。
 デッキの高さ自体は王城の広間とは比べ物にならないが、船から見える月明かりの海の美しさは、室内に飾られる装飾画よりも、テラスから見渡すミニチュアの城砦よりも、俺の瞳に好ましく映った。なかなかいい風景だ。
 なにしろいずれはこの大海原も俺様の支配下に置かれるのだから……そんなことを考えていると、自然に気分が良くなってくる。

 その時強い風が吹き、ぐらり、と船が傾いた。背後から慌てた男の声が聞こえてくる。甲板の中央でダンスを続けていた人々も、その動きを止めざるを得なくなっているようだ。
 ボロい船だ。と思って俺は傍の安全柵の手すりに体重をかける。
 まったく、もう少し傾けば誰かが落ちたかもしれんぞ。

 バギイン!

 って、なにいいいいい!?

 どっっぼおおおおおおん

 金属がひしゃげる音の後、視界が数回転した。
 そして沈没音と共に数千の泡ぼこが視界を占拠した。
 要するに、俺は海に落ちたらしい。

「って落ち着いてる場合ごぼぐがががっ!」

 言葉は泡となって消え音を構成する間もなく消えていった。
 ええいいや冷静になるのだ俺様! まず服を脱いで……絡まって脱げん!
 誰だこんな脱ぎにくい服を考案した奴は!
 いや待てそれより早く泳いで……く……腕が……重い……! くそっ、ここ十年ぐらい水練をしてなかったツケか!?
 その間にも月明かりは暗くなり水面は遠くなっていく。いかんっ、最高にまずい!
 呼吸ができん! 胃に、肺にまで冷たく塩辛い水が入ってくる。意識が遠い。水圧に押し潰されそうだ。
 こん……な……
 人類史上最大の至宝たる俺様が……
 こんなところ……ぐ……
 苦し……息…………が…………!


 …………く…………そ……………お…………



 ――――青から黒へと消え行く波打った視界の中に、なぜか彼女の姿が浮かんだ。
 一枚の大きな花びらから誂えたかのような水色のふんわりとした服を潮の流れに乗せながら、彼女はその手も動かさず優雅に海中を舞っていた。海水の中にあって、まるで飛ぶように泳ぐ。波打つ長い髪の一本一本が水面から差し込む光に照らされ美しくきらめいていた。
 彼女は俺の上方数メートル前まで泳ぎ着くとくるりとその体の向きを変え、下――つまり、俺の所――へと降ってきた。
 彼女の唇が小さく動く。
 俺に語りかけてくる――

『…………』
『…………!』

 ――ん――なんだ――と――

『…………』
『………………………』

 ――――――知る――か――

『…………………………………………』

 ――だから――そんな――悠長な――

『………………』
『…………………………!!』

 ――ことを――
言ってる場合かあっ!

 どくん、と全身の筋肉が力強く脈動した。
 意識を覚醒させる。全身の細胞という細胞を奮立たせて酸素を無理矢理引きずり出し、脳に回して叩き起こす。
 水圧に押し込められたまぶたを上げ、視力を失いかけた目をかっと見開き、彼女を凝視する。水面から差す月明かりが逆光となって彼女の表情を伺うことはできなかったが、そこに驚きの表情があることを感じ取って俺は口元を歪めた。心の中で舌打ちをする。
 最早一刻の猶予も無いのだ。それがわからん程馬鹿なのか貴様は。そんなどうでもいいことを気にしている場合ではないのだ。
 ――だから――

『……助けるなら……とっとと…………しやがれ!』



 そして、俺は目覚めた。

 まぶたの裏側の闇に満ちた世界から逃れて最初に目にしたのは、限りなく深い藍色の空にきらめく星々、そしてやけに大きく明るく見える満ちた月だった。
 その星空の端に、見知った顔がすっと現れた。あらわにした肩にかかった髪の先から透明の海水を滴らせている赤い瞳の少女。服装は違うが、海中で見た彼女に違いなかった。

「……アン」
「……あ、は、はい! だ、大丈夫ですか!?」
「……」

 言われて、体の状態を確かめてみる。
 肺に水が残っているような不快感は無い。意識を失っている間にすべて出してしまったようだ。
 記憶ははっきりしている。あの海中で見た映像が夢だった……なんてことは、こいつがすぐ傍にいる以上有り得ない可能性だろう。
 体に無茶な要求をしたせいか、顔には出さないが全身の筋肉が打撲されたように激しく痛む。筋肉繊維が何十本かブチ切れて燃え尽きているかもしれない。命に代えるわけにはいかなかったが。

「ふんっ」
「あっ」

 痛む腰に気を使いつつ上半身を曲げて体を起こす。そして俺はようやく、自分が海辺の砂浜に寝かせられていたのだということに気が付いた。手と指に伝わる乾いた砂のさらさらとした感触が、俺にそれを追認させた。
 緩やかな波の音が聞こえてくる。その音は鼓膜を揺らし多少耳の痛覚神経に障ったが、その痛みで俺はようやく実感した。

「……ふう。助かったようだな」
「は、はい。お船から落ちられたようなんですが」
「別に解説せんでもいい」
「あ、そ、そうですか」

 言葉の字面とは裏腹に、アンは特に落胆した風でもないようだ。
 実際のところ疑問点は多数だ。そもそも何故こんなところにいるのか。何故俺のいる場所がわかったのか。服を着たままどうやって泳いでたんだ。服はどうしたんだ。他。
 だがこいつに関することで疑問に思えない点の方が珍しいということを俺は知っていた。そして、詮索したところで何の意味も無い答えが返ってくるだけだということも。
 よってはっきりと判明していることはたった一つだけだった。
 即ち――俺はこいつに助けられたのだ。


「調子に乗るなよ」

 ずぶ濡れで使い物にならなくなった上着を脱ぎ、上半身を裸にして、アンの持ってきたタオルで体を拭きながら言う。
 傍にいるアンに向けての言葉だったが当のアンは俺の完璧な裸体を見て照れたらしく、頬を紅に染めて目線を逸らしていた。

「聞いてんのかこら。この程度。お前が俺様から受けた恩に比べれば、太陽とこの砂浜の砂粒ほどの差があるのだぞ」
「…………え? あ、は、はい」

 海水に濡れてきらびやかな装飾に見る影もなくなってしまった俺の上着を、その腕に預ける。
 アンはようやく俺の言葉に気付いたらしく返事をした。

「もちろんです」

 アンは上着を受け取ると微笑み、言葉を続けた。

「私が受けたご恩に比べれば本当に、ほんとうにちっぽけなことですから」

 屈託のない笑みを浮かべて何の躊躇もなくそう答えるアンを見て、少し言葉に詰まる。
 ……。
 って待て待て待ちやがれ何故言葉に詰まらねばならん。俺の言ったことに間違いはない。その筈だ。
 ……だがしかし、まあ、その、通俗概念上とはいえ一応はこいつに助けられた訳だ。そのあたりに一考の価値すら無いとは言い切れない。

「……? どうかなさいましたか?」

 黙り込んだ俺のハンサムな横顔を、アンが不思議そうに覗き込んでくる。それを横目で見つつ、俺はあごに指を当て考える。ふむ。
 未来の聖騎士確定済みである俺様即ちドルファン一のナイスガイ様が、ちっぽけといえど受けた恩をそのままにしておくというのはどうも気分が悪い。
 それ以外にしても、二年少しの間、こいつには多少なりとも世話になってきたこと言えないこともないかもしれない訳であることだし……。

「……あ、あの?」
「……ふん。一応、礼は言ってやる」
「…………え」
「どうした」
「……」

 見ると上着を腕にかけたまま、アンは呆気に取られた風な顔で固まっていた。
 なんだ? ひょっとして言葉だけの礼など何の足しにもならないし信用できないとでも思っているのか。
 なんと贅沢な奴だ。けしからん。
 ……だが過去と現在と未来の超絶英雄たる俺様は、それに怒るほど狭量ではない筈だ。
 ここはひとつそんな贅沢にも応えてやり、極大の器を見せ付けてやるべきだろう。

「……ふむ、ならば。礼の代わりに、もし貴様が同じような危機に陥るような事があれば、助けてやらんこともない」
「――」

 まだ反応が無い。

「どうした。俺様の助力を戴くという史上最大の栄誉を、たった今貴様は授かった訳だぞ」
「…………あ」

 アンの目がぱちぱちと何度かまばたきしたかと思うと、その赤い瞳がきらきらと輝く光を湛えて、俺の目を真っ直ぐに捕らえた。信じられない、とでも言いたげに、口がぱくぱくと動いた。
 そしてしばらくの間の後、アンは声のオクターブを上げて言った。

「…………は、はいっ! ありがとうございますっ!! わたし、わたし……感激です!」

 言い終わると同時に勢いよく頭が下がる。濡れた水色の髪の毛がぶるんと揺れ水滴が俺の頬に跳ねた。
 十分な時間の後、顔が上がった。その時、俺は上目遣いのその瞳が海水以外のもので潤んでいることに気が付いた。感極まって嬉し涙まで出てしまったようだ。
 うむ、真っ当な反応である。

「よし。それでいい」
「はいっ! ……あ……」
「では行くぞ」

 アンの腕から濡れたままの上着を取ってむき出しの肩にばさりとかけ、天にも昇らんばかりに幸せそうな表情をしているアンの手を取る。
 そして俺は、俺をこのような目に遭わせた張本人から賠償金をふんだくるべく、港の方へと足を向けた。
 満月の明かりの下砂浜を歩くその途中、アンはずっと黙っていたが、しかししっかりと俺の手を掴んだまま、常に俺の後ろに寄り添っていた。

 
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