登場人物紹介
「ふーん、なるほどね」
城の北西角、暗く狭い物置部屋の中。壁に持たれかかってプリシラは言った。
懐の時計に目線を移すと、指しているのは草木も眠る丑三つ時。
そんな時間に俺様が、隣でなんとなく幸せそうに笑っているアンを伴い城内に忍び込んだのは、ある噂話を耳にしたからだった。
『お城に幽霊が出るらしい』
――くだらない噂だが、暇つぶしにはなる。
「たしかにそんな噂はあるのよねえ。メイドとか侍従の証言だっていっぱいあるし」
「ほう」
くだらないことにしか関心がないプリシラの言うことだ。
かなりの真実味があるな。
「ではその場所に案内してもらおうか。まさか断らないだろうな」
「はいはい。今更断れる訳ないでしょ、あんなことしといて……」
「……ご、ごめんなさい……」
アンの謝罪の言葉に対しプリシラはふん、と鼻を鳴らす。
あんなこと? 口と鼻を押さえて拉致監禁しかけただけだろうに。色々あって止めたが。
命に別状無かったんだから別に気にすることもないだろう。心の狭い奴だ。
と口に出したら刺されそうだな。こいつは理不尽だから。
む、なんだそこの虫。
「ま、謝られて済むうちはいいんだけどね。どうせ何言っても無駄なんでしょ。苦労するわねアンも」
「……あ、そ、その……」
「くだらん戯言を気にするな。さっさと行くぞ」
「あーそう。くだらないことでわたしを生死の境目に押し出したのね」
「世の中そんなもんだ」
「あんたが言うな!」
このとおり理不尽な奴だろう、この女は。断じて、俺が、じゃないぞ。
「ま、わたしも元々興味はあったのよねー。幽霊なんてこればっかりは王家も庶民も変わりないものね」
「ならケチケチせずに最初から案内しろよ」
「あなたを? わたしが? なんで? どーして!?」
「やかましい」
多少キレ気味なプリシラを冷静に諌めつつ暗い廊下を進んでいく。
光源の光に照らし出される大理石の廊下からは、平時でさえ重厚な印象を受けるというのに、先頭のアンが纏う妙なオーラと相まって、かなり不気味な印象を受ける。
なおアンの持つ光源は、プリシラの部屋にあった金の燭台である。
後で売っ払おう。
「だいたいあなたはいつもいつもいつもいつもいつも騒ぎを引き起こしていった挙句勝手に姿を消してそりゃたまには役に立つけどそれにしたってもう少し態度というものがあああ腹立ってきたー!」
「あ、あの……落ち着いてください……」
「ええい止めてくれる………な………! ! !」
止めに入ったアンを振り払おうとしたプリシラの動きが止まる。
その視線はアンの肩の向こう側、宙をさ迷っていた。
「!!! ゆ、ゆれ、あそこ、あそこ揺れてるー!」
後ずさりつつ、震える声で叫ぶプリシラ。
ふむ。ようやくお出ましか。
「どこだ、教えろ。あとうるさいから黙れ」
「ムチャ言うなー!!」
指差せばいいんだ、無能が。
「あ、あれですか?」
プリシラが高速でコクコクとうなずく。なんか涙目になってる。
アンが振り返って指指した方向に目をやると、なるほどそこには確かに、白いもや状の気体がゆらゆらと後ろのカーテンに釣られたかのように揺れていた。
そのカーテンの下では、何か青白い人間大の大きさの固まりが、これもふわふわとたゆとうように揺れていた。ところどころが、まるで夜の闇の侵食を受けたかのように黒ずんでいる。
「ふむ確かに」
「なななに冷静にみてんの逃げよ逃げましょう!」
「……何言ってんだ」
言語体系が激しく崩れている。
振り向いて見ればプリシラは顔を真っ青にしていた。
「だだだだって見えないの見えるでしょううわ来たイヤーー!」
「ええいっ黙れこのバカ!」
これ以上騒ぐと宿所の衛兵が声を聞きつけかねない。
ちっ、何かの役に立つだろうと思っていたが、連れてきたのは失敗だったか。
一見気弱に見えるアンの方がよほどしっかりしている。
……というかアンはあれに恐怖という感情を全く見せていないが、こういうことに慣れているのだろうか。
「きゃーーーーっ!」
っと、考察している場合ではなかった。コレを何とかしなければ。
騒がしく悲鳴を上げるプリシラを黙らせるべく、つかつかと歩み寄った。
手を回りこませ、うなじを軽く指で押さえる。
「ひゃあ! っぁ…………」
視界外からの接触によっぽどのショックを受けたらしい。
ふっと体から力が抜ける。
これはこれでOKだ……が、なんか様子がおかしい。
「プリシラさん、しっかりしてください!」
見るとプリシラはまぶたを閉じ、アンの肩によりかかり倒れこもうとしていた。どうやら気絶しているようだ。
怖いもの好きの癖に幽霊に弱いらしい。なんて矛盾した奴だ。
「それは適当に介抱しておけ(しなくてもいいが)。俺様はあれを追う」
「は、はいっ」
そのまま絨毯を蹴り、あの白い謎物体の元へと駆け出す。
すると白い謎物体の一部がのそりと動き、足音を立てながら俺から逃げるように廊下を滑っていった。
ふん。幽霊だか亡霊だか知らんが、俺様の前に現れた以上その正体はすでに割れたも同然だ。気にせず窓に近づく。
揺れるカーテンの下には、残った白い謎物体の痕跡が残っていた。
「これか」
カーテンの傍の机に、香炉が炊かれたまま放置されている。月光がこれに反射して幽霊に見えたのだろう。そして逃げていったアレは……。
タネが割れればくだらないものだ。
俺は香炉を放っておき、これを仕掛けた張本人――逃げていった白い塊を追うべく、再び廊下を蹴った。
幽霊はあっさり捕まった。数十秒の追いかけっこの末辿り着いたのは、城の北隅の袋小路。
逃げ場が無くなった謎物体は、立派なガラス窓の手前で立ち往生している。俺とは数メートルの距離しかない。
本当の幽霊なら壁抜けでも飛び降りでもやれるだろう。
だがその謎物体は明らかに幽霊ではなかった。
白いひらひらはただの縫い繋ぎ合わせたシーツで、黒いまだらは何の変哲も無い黒インクだ。
その下にいるのは、間違いなくただの人間だろう。
だいたい幽霊は足音なんか立てないからな。
「……」
そいつはくるりとシーツを回してこちらに振り返ると、逃げ切れないと観念したのかゆっくりシーツを床に滑り落とした。
「……とうとう見つかってしまったのね」
ゆっくりとした女性の声が聞こえた。
窓からの月明かりが逆光となって、その女性の顔は一瞬視認できなかったが、カーテンが軽く揺れると光が和らぎ、その輪郭が露になった。
そこに現れたのは――
「誰だお前」
……そこに現れたのはメイドだった。頭にラインプリム、腰に短いメイドスカート、ご丁寧なことに手には小さい羽箒まで持っている十代後半の少女。
誰がどこからどう見ても王宮付のメイドに違いないと確信できる、正真正銘のメイドである。
で、なんでメイドがここに。
「見逃してはくれないでしょうね。プリシラ様を気絶させてしまったところ……貴方には見られてしまいましたしね」
メイドは俺に一歩近寄ると、頭を垂れた。
そして両腕をくっ付けて俺の方に差し出す。
「どうぞ、衛兵さん」
……俺を王宮の警備兵だと思っているのか? 確かに服はそれっぽいのを着ている。
「何をやっている」
「え? 連行するのでは?」
「何故」
「……で、ですからプリシラ様が……」
やはり完璧に勘違いしている。
「俺様を誰だと思っている。勘違いだ」
「はい? ……プリシラ様付きの警備の方なのでしょう?」
「あんなヘタレ王女は心の底からどうでもいい」
断言するとメイドの顔が混乱の色に染まった。
「それでは、貴方はどなた?」
「古今無双の究極英雄と記憶しておくが良い」
「は?」
どでかいクエスチョンマークがメイドの頭上に忽然と現れた(気がした)。
混乱がますます深くなったようだ。
「よくわからないんですけど……とりあえず、私を捕まえる気はないってこと?」
「……」
その通り、と言いけて思いとどまった。
この女の態度、何か変だ。
いきなり口調が変わったのも変だが、それ以上に変なのが、覚悟を決めたのにがっかりといった雰囲気。
何の覚悟を決めたのだ? 捕まることを覚悟したのか?
それも妙だ。逃げられそうだと知ればがっかりはしないだろう。むしろ安堵か、あるいは期待すべきだ。
「む」
俺は急にこの騒ぎを引き起こした動機に興味が湧いてきた。
間違いなく裏がある。大した物的根拠はないが俺は確信した。
「いや……事と次第による。一応事情を聞いておこうか」
いくらなんでも捕まれば刑は免れないようなことを、なんの目的もなく実行するバカをはいない。
そのあたり、面白い話が聞けそうだ。
「……はい」
女は特に抵抗する様子もなく、洗いざらい話す気のようだった。
落ち着いた口調で彼女は告白を始めた。
「復讐です」
話によると、先代王と旧家の陰謀がどうたらこうたらだとか。その辺りのことはゴシップ誌で嫌という程知ることができるので省略する。
要するにそうした王室のゴタゴタに巻き込まれたメイドの祖母がゴタゴタの詳細を記した日記を公開しようとしたら、口封じをされたのだそうだ。で、それを恨みに思って犯行に及んだらしい。
復讐の対象が違うような気もするが、まあ王家に繋がる相手なら誰でもよかったんだろう。
無実の罪で肉親が社会的に消されたとは、世間一般的に見てとても可哀相な話である。
が、俺様にとってはどうでもいいことだということがわかった。
ただ一点。話の中で興味をそそるものが。
「ところでその日記とやらは」
「はい。私が持っています」
メイドは隠す様子もなくはっきりと言った。
それは面白い。
内容自体はトルク辺りが撒き散らす王室中傷と同じものなんだが、当事者の証言を含んでいるとなると。
その日記は、出版すれば中傷を事実にまで押し上げるこれ以上ない証拠になるだろう。
内容が真実かどうかはさておき、政治的切り札の一つとして利用できることは間違いない。
「……ん」
だが待てよ。
冷静になって考えてみると、いまさらそんな物が必要か?
俺様の計画においては、そんな日記は歴史家の研究資料以外に何の使い道もない。
というかむしろ邪魔なのではないだろうか。
特に取り乱しもせず落ち着いて俺の出方を待っているメイドに目線を落とす。
顔は可愛いらしいの範囲に入るが頑固そうな女だ。
王室を告発するという決心は固いだろう。
ちょっと困ったな。どうするか。
「……うーむ」
物理的にこいつの口を封じて……というのはあまりに短絡思考か。
「むう」
ここは一つ正攻法で行ってみるか。
「よし。寛大な俺様は、ひとつ取引を提案してやろう」
「……取引?」
「見逃す代わりに、貴様はこの件に関して口を噤む」
我ながらオーソドックス極まりない交換条件である。
普段ならこれに金なり地位なりをおまけで要求するところであるが、時間が無いので大サービスだ。
「それは」
「駄目か」
「……身の程知らずと言われるかもしれませんが……やっぱり、無理です」
そうか。まあそうだろうな。
この程度で納得するような奴なら最初からあんな騒ぎを起こしてはいまい。
だがここでスパっと諦める俺様ではない。
かつて大天才無敵話術師と自称した俺様は、この程度では引き下がらない。
「まあ待て、冷静に考えてみろ。告発なんてあまりに無意味だぞ」
「他人からは無意味と取られるでしょうね。でも――」
「違う。そういう意味じゃない。その婆さんの恨みとやらは何もしなくても自動的に晴れるから告発なんて無意味だ、と言ったんだ」
「……え? 何故ですか?」
「ふむ」
これは言っていいものか……いや別にいいか。
こんな小娘の口から秘密が漏れても誰も信用しまい。
「これは極秘事項だが、貴様には特別に教えてやろう。その理由はな」
足を一歩進め、不思議そうな表情で俺を見つめている少女に向かいあう。
そして俺はできるだけ説得力を含んだ口調で、つまり地上最大の説得力を込めて言った。
「ドルファン王室は二年以内に崩壊するからだ」
言い切った言葉が絨毯に吸収されると、袋小路は極度の静寂に見舞われた。
「……どうして?」
表情を凍りつかせたままのメイドのかすれた声が、静寂の中、ようやく発せられた。
かすれた声とはいっても、動揺とかそんな雰囲気ではなく、単に混乱極まって声帯が満足に動かないだけといった感じだ。
「俺様がそう決めたから」
「……」
気を取り直した風なメイド。
すーはーと深呼吸をすると、ゆっくりと唇を開く。
「ぜんぜん理由になってないですよね、それ」
「そんなことはないぞ」
「具体的な証拠とかは?」
「細かいことは気にするな。根拠など俺様の決定だけで十分だ」
「……。冗談ですよね?」
「俺様の言葉は常に、全て、紛れも無い真実だ」
言い切るとメイドは目をまん丸にして俺の瞳を凝視した。
ふん、本気度と器量を測ろうとしているのか。無駄なことだ。
なぜならどちらも常にマックスだからな。
「……本気みたいですね。根拠なしでそこまで大それた事を言い切れるなんて、すごい頭の構造してますね」
「たわけ。根拠はある。単に凡人には見えず感じられるのみのモノだ。そもそも根拠などというものは俺様の言葉という概念そのものに内在するのだから、それ以外の証拠など単なる下位概念に過ぎないのだ」
「はあ」
「どうだ、完璧な理論だろう」
「…………は」
少女は目をぱちくりさせると表情を崩した。
肩が震えている。年相応の笑顔を浮かべて可笑しそうに笑う。
何がおかしいんだ。
「あははっ。……不思議ですね。物凄い詭弁だけど、それでも何となく期待させてくれます、貴方の言葉は」
「うむうむ、前半部が気になるが期待感を限界まで煽ることは確かだ」
「はい。それにあまりに無茶な出任せで滑稽で信憑性がなくて馬鹿馬鹿しくて――」
「そうそう、無茶で出任せでって待てコラなんだと? おい貴様」
どさくさに紛れて何言ってやがる。
その間違った思い込みを訂正してやる――
「――だから逆に、信用したくなりました」
――前に、少女はそう告げた。
そして何かを思い出したかのようにまた笑った。
喧嘩を売ってるのか? だがそういう雰囲気でもなく……
というか今俺様の提案を了承しなかったか? したか? ええい混乱するな俺様!
「あー、つまり結論は」
「告発は二年待ちます。それでいいんですね」
……過程がなんとなく納得行かないんだが……。
「う、うむ」
とにかく説得には成功したんだ。それでよしとしよう。細かいことは忘れよう。
と、少女は不意に身をくるりと回して振り返り、窓枠に手をやった。ガラス窓越しの月を見上げて背筋を伸ばす。
「………………ほんとは」
独白でも始まりそうな雰囲気だ。
がしかし、他人の独り言などというつまらん話に耳を貸す気はない。
さっき細かいことは忘れると決めたし、第一、裏事情はもう知ったのだ。これ以上突付いても何も出てこないだろう。
本当の犯行動機などというものは事件解決の前にわかってこそ役に立つのであって、解決後に聞いたところでどうしようもなく、場合によっては気分が悪くなるだけの代物だ。
それがどうでもいい女のどうでもいい身の上話となればなおさらだ。
「――ただ、理由が欲しかっただけだったのかもしれません。私の祖母」
「待て。動機を語ろうとしているのか」
「え? ……は、はい、いちおう」
「なら黙れ。もういらん。長い話はパスだ。耳穴を通過ゴミ箱直行だ」
「え、でも」
「それでも聞いて欲しいというなら、五文字以内にまとめてから話せ」
俺が言葉を遮ってそう言うと、少女は俺の方に振り返って間の抜けた顔をした。そしてしばらく黙り込む。
ああでもないこうでもない、といった風に顎に手を当てて首をひねる事十数秒の後、ようやく彼女の口から出た言葉は、
「……ありがとう」
とても明快で誰が聞いても理解できる、一番単純な言葉だった。
「うむ」
「はい。それでは失礼しますね――見知らぬ英雄さん」
メイドはそう言ってから一礼した。
にこりと笑うと、俺の横を擦り抜け廊下の闇へと消えていく。
それを見送ってから、俺も役立たずを介抱しているアンの元へ戻るべく、廊下を引き返していく。
うむ。これでよかったのだ。
ドルファンの平和と秩序とその他諸々は俺様の機転によって守られた。
いずれブッ壊されるんだが、それは俺のせいじゃないし別にいいや。
そしてあのメイドの命も俺様によって守られたのだな。
よく考えりゃあんな内容の日記を世に出すとなれば、旧家の老獪なじじい共が放っておくわけがない。十中八九始末されていたはずだ。
となると、俺様はあの娘にとって命の恩人であること間違いなし。
よし。後で見つけ出してこき使ってやろう。
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