荷物には一杯の食料と、かなりの額の路銀、それに寝袋、生活用品一式。ポケットにはいざという時のための、きずぐすり。
 武器が無いのがちょっと情けないけど。でも、あればあったで危険に巻き込まれることも多くなるだろうし。はったりの道具は別に持っている。
 まあ、とにかくこれで準備は整った。大陸の端から端までを往復することも可能だ。

 リン、いやリンディスがキアランの孫娘として正式に認知されてから、一週間が経っていた。
 戦後処理もある程度収まったし、これからのキアランはリンが中心となって、平和の中発展していくことだろう。
 それはつまり、ぼくがここにいる理由も無くなった、ということだった。

「やっぱり、行ってしまうの?」
 と、訪ねてきたリンが言った。
 昔とは違う、華美ではないけどとても綺麗な貴族の服を着ている。
 これからのリンはその服を着こなすための戦いをしなければならない。サカの剣士としてだけではなく、キアラン公女として。それは長く、ときに苦しい戦いになるだろう。
 まあ、中身はたぶん変わらないだろうけれどさ。
 本当は『リン』なんて呼び捨てにするのは言語道断なんだろうな。現にフロリーナはリンディス様、と礼儀正しく呼んでいる。けれどぼくは一度決めた呼称を変えるつもりは無かった。
 それはぼくのある種のポリシーに起因するが、なにより「リンディス様」より「リン」の方が短くて言いやすいし。
「うん」
 ぼくは頷いた。
「キアランは平和になったんだ。もうぼくがここにいる意味はないよ」
「軍事指南として残って、騎士達に用兵学を教えてくれないか、ってケントやセインは言ってたけど……」
「ぼくは人に教えられるような人間じゃないよ。それに、しばらくは戦いの中に身を置きたいんだ」
 リンはぼくの答えを予想していたようで、そうよね、と残念そうにつぶやいた。
 この乱ではとてもたくさんのことを学べたが、なによりの収穫は、ぼくには未熟な部分がまだまだありすぎるということを自覚できたことだ。
 立ち止まるにはまだ早い。先が、進むべき道が、ぼくにはまだ見えているのだ。
「どこへ行くの?」
「一度ベルンに戻ってみる」
 ぼくの出発点であるベルン。感傷ではなく、単にあそこから戦争の匂いがするという理由だ。しばらくは不自由しないだろう。
「ベルン……遠いわね」
「そうだね。まあ、路銀も十分もらえたし、大丈夫だよ。何もしなくても三年は暮らしていける」
 ぼくはそう言って背中の荷物をぱんぱんと叩いた。
 キアラン公より報酬として賜ったお金だ。賊に襲われるのが心配なくらいの大金である。激しい戦いの中、リンを支えたお礼として、公爵は孫娘よりさらに年下のぼくにまで、深々と頭を下げておいでだった。
 本当は爵位までくれようとしていたのだが、ぼくは爵位を拒否した。
 貴族になるということは、自分以外の何かに、身を寄せるということだから。
 ぼくは軍師だ。軍師はたとえ誰かに仕えたとしても、身を寄せるのは自らの頭であり、頭の中にある主君であると、ぼくは信じている。
 それはつまり、頭の外の主君と、いつかは分かれのときが来るということだ。
「さて、そろそろ行くよ。見送りありがとう」
 ぼくが立ち上がると、リンは口を開いた。何かを言おうとして、そしてしかし、音は発せられなかった。
 そのままいくばくかの時が流れた。
 やがて彼女は顔を落とすと、全てを悟ったかのように小さく笑い、そしてはっきりと言った。
「ありがとう、マーク。あなたがいてくれて、よかった」
「――。そうだね。一つ、約束するよ」
 それはずっと前から考えていたことだ。
 ぼくの理念と、ややもすると相反するかもしれないが。
 それでも、これはぼくの一部を構成する要素である。
 ぼくは、ぼくの言葉をじっと待つリンに、強く断言した。
「もしリンが、不幸にも――この先また戦いに巻き込まれたりしたら、ぼくは必ずリンの助けになろう」
 この感情がぼくの満足感を、例え一部であっても満たしていることは、決して否定してはならない事実だ。
 まあ、ひらたく言えば、ぼくはリンのことが好きだという、それだけのことなんだ。




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