今日も場末の温泉宿に、気持ちよいほどの馬鹿笑いがこだまする。
「がはははは、美人だな君。俺様とセックスせんか」
「は?」
 宿の一室、昼食の給仕に来た使用人に、そんな暴言をあっさり吐くこの男。名前をランス。魔人殺しの英雄としてゼス国にその名を轟かせた男であった。
 が、実態は只の馬鹿、もとい只ならぬ馬鹿であることを知る者は少ない。
「(あうう、ランスさま、また……)」
 その傍には、はらはらと気を揉んでいる女がいた。ランスの奴隷(自称助手)であるところの、シィル・プラインである。ピンクのふわふわした髪を紐で押さえつけ後ろに流し、服はJAPANには珍しいミニスカートのその容姿は、ひとえにランスの好みに合わせただけのものであった。
 つまり、エロい。
 そのエロい格好の女の子を従えて、初対面の女性を平気でナンパ、いや性交要求をするのが、この男ランスであった。
「え、あの、ええっ!」
 女はランスの言葉に一瞬理解が及ばなかったらしく、言葉を詰まらせた。が、意味を理解して瞬時に赤面する。初対面で男女の営みを提案する男になど、女はこれまで出会ったこともなかった。これからも無いだろう。
 その仕草は、JAPAN女性らしい『恥じらいの精神』を感じさせるものだった。それがまた、ランスの欲望を炊きつけるのであるが。
「だ、だめです。私には、想い人が……!」
 と、女が言った。ふつう、JAPANの女性が男の告白を断るには、多大な努力と勇気が必要とされる。男性上位の風習が、大陸より色濃いのだ。このように即時に断ることには、かなりの勇気が必要とされた。
「なに。誰だか知らんが、俺様よりいい男はおらんぞ」
「私が好きなのは……しん……あ……?」
 女はそこで言葉を切り、まじまじとランスの目を見つめる。
 信じられないものを見たかのように、棒読みで言葉をつむぐ。
「信玄……様……?」
「信玄?」
「あ、この国の殿様、リーザスやゼスでいう王様のことですよ、ランスさま」
 ぼかっ
 いきなりランスがシィルの頭を拳骨で殴った。
 本気とは言わないまでも、かなり痛そうな音である。
「あうっ」
「その程度のことは知っとるわい、馬鹿もん。確認しただけだ」
「あうう、すみません」
 その間も、女はランスをじっと見つめ続けている。
「いえ……やはり、違いますよね」
「なんだなんだ」
「あ、すみません。信玄様が、こんな場末の温泉にいらっしゃるわけがないですよね」
「わけがわからんぞ」
 むすっとした表情のランスに、女は信玄の説明をした。


 名門・武田家第二十代当主。軍略・知略・武勇全てに長けた知友兼備の名将で、戦場で采配を取らば不敗を誇る。
 また、そのカリスマは圧倒的である。若くして名君の誉れ高い国主である父を失いながらも、精強な家臣団を完璧なまでに掌握している。
 貝に生きる全ての人間は、信玄に忠誠を誓っていると言っても過言ではない。


「その信玄様に、あなた様は似ております。生き写しかと思うほどに」
 女はそう語り、話を締めくくる。その表情は誇らしげであった。
「ほう」
「そうなんですか」
 ランスとシィルは、話を聞きなるほどと納得した。
 言われてみれば、この貝国に入ってからは怪訝な目、もしくは驚嘆の視線を送られることが多くなっていた気がする。あれは単に異人だからという理由だけではなかったようだ。
「ほう、ほほほう。面白いかもしれんな」
「へっ」
 慌ててシィルはランスの顔を覗き込んだ。
 なにしろ自分は世界一強くて美形でかっこいい超英雄だと本気で信じ込んでいる男である(もっとも、信じているのは本人だけではないが)。そんな完璧人間の話を聞かされて、しかも自分に似ていると聞かされたにも関わらず、こんな反応をする理由は……一つしかない。
「ぐふふふふ」
「(ランス様、やっぱりぃ)」
 シィルは瞬時に悟る。何か企んでいるのだ。いや何かではない。
 エロいことを企んでいるのだ。もう間違いなかった。
「シーイル! これが終ったら出かけるぞ、仕度しておけい!」
 突如、ランスが立ち上がって言った。女の信玄語りを聞いてから、僅か十秒。
 少なくとも決断力だけは世界一の男であった。
「は、はいっ」
「完璧に準備しとけ、でないと前戯なしでぶち込みの刑だ」
 そう言ってぐいと給仕の女を引き寄せる。
「喜べ、君が貝で一番目の女だぞ。がははははははは」
「へ、あの……ぽっ」
 憧れの人に似た顔で迫られて、抵抗などできようはずもない。
 そして二人は襖の向こうへと消えていった。手の早さも世界一の男だった。
「(あうあうう)」
 シィルは果てしなく広がる悪い予感に苛まれつつも、健気にも乱雑に広がった荷物を纏め始めた。




 戦国ランス/R




 引いた弓弦を離すと同時に、矢が標的の眉間目掛けて吸い込まれていく。
 それが五度。森から燻し出された五匹のぼたんが、正確に半秒おきに動きを止めていく。
 最後の一匹が射抜かれた瞬間、大きな歓声が弓主の後方から挙がった。
「お見事です、透琳様!」
「うむ」
 部下達の声に、一声。弓手は表情を変えずに答えて、弓を侍従に預けた。
 細い目から発せられる、全てを貫くかのような鋭い眼光。空のように青い武者鎧。
 その弓技は武田一と畏れられ、その頭脳は天下一と称えられる。
 この男こそ武田四将軍が一、武田全軍の頭脳である当代一の軍師、真田透琳であった。
「皆も楽しんでおるようだな」
「左様でございますな。透琳様の弓技を見るのは、久方ぶりのものが多く」
「うむ。信玄公の補佐のため、領地に帰ることは今後更に少なくなろう。このような機会は大事にせねば」
「は、はあ。しかし透淋様もお楽しみになられたようで、何よりです」
 天下統一。民達の永遠の平和と安寧を求め、その四文字を掲げて以来、透琳に休日はほとんどなかった。戦に軍略立案、政務。武田家の軍師として、求められる責はあまりに多い。
 が、それらの全てを完璧にやり遂げた上で、更なる成果を挙げてこそ、天下にその名を轟かす武田家の幹部である。少なくとも透淋はそう信じまた実行しているが、時には息抜きも必要ではあるまいか。そう考え、副官がこの狩を提案したのだった。
 もっとも透琳にとっては、たまの狩りですら部下との交流という任務の一部でしかなかったようだったが。
「ところで透淋様、近頃気になる噂を耳に致します。ただの噂とは捨て置けぬ類の話でして」
「どうした?」
「信玄公が、この辺りの村々を隠密に視察なさっている……そういう噂が宿場の女将や娘の間で広まっております」
 透淋は眉をぴく、と動かした。
 武田信玄。透淋が唯一忠誠を誓う主君にして、武田の全てを治める現人神である。
 その信玄が、自分の領地を視察する?
「有り得ぬ」
 透淋がぴしゃりと言い放った。
 真実を知る者であれば、即断できる。本物の武田信玄が領民に姿を現すことなど、ほとんど完全に有り得ないことなのだ。
「は。しかし、信玄公の素顔を見たことがある者も、揃って証言しておりまする。あの顔は確かにお館様であると」
「だが、有り得ぬのだよ」
「は……?」
 どんなに顔が似ていようと、それは偽者である。よりにもよって信玄の名を騙るとは。
「捨て置けぬな。その男の所在は」
「は、丁度二里の村の宿に泊まっているとのこと」
「行くぞ。その様な不届き者を放置していては、真田家の名折れ」
「畏まりました」
 透琳はてばさきに足をかけ飛び乗ると、即座にその腹を蹴った。



「がははははは」
 半裸で馬鹿笑いをしているランス。その傍らでは、シィルがため息を吐きながら畳に飛び散った精液をふき取っていた。
 シィルの悪い予感どおり、ランスは信玄の名を騙って村娘達をとっかえひっかえ。あれから三日間、噂を聞きつけて集まる信玄のファン達をやりまくりの毎日である。
「いいぞいいぞ、信玄の名を出せばやり放題ではないか」
「ら、ランスさまぁ」
「なんだシィル、今日は晩飯はへんでろぱにしろよ」
「あ、はい、わかりました! ……あ、そうではなく……」
「なんだと! できんというのか!」
「ち、違いますぅ! あの、まずいですよ。もし本当の殿様が来たりしたら……」
「がははははははは、その時はそいつを倒して俺様が殿様になればいいのだ」
 無茶苦茶である。が、シィルが言い返すことは出来ない。
 シィルにとって、ランスの言うことは絶対に正義であり、そして真実なのだ。
「はううっ」
 今日何度目かのため息を吐く。シィルの心労は募るばかりだ。
 武田信玄の名は、当初シィルが予想していたより遥かに重い意味を持っていた。領民達は名乗った瞬間に土下座さえしかねないほど信玄を慕っている。その様はまるで、神を崇拝する敬虔な信者のごとしだ。
 もし、崇拝の対象が偽者だったとバレたら……どうなることだろう?
 あまり想像したくない結末が待っているに違いなかった。
「……あの、あの、ランス様!」
 シィルは意を決して口を開いた。
 このままではとてもまずいことになる。その前に、できれば以前の平穏な生活に戻りたかった。
「なんだ」
「その、自由都市に」
「御免」
 話を遮るようにして突如、部屋の襖が開いた。シィルにとっては不幸なことに、結末はすぐそこにまで迫っていたのだ。いや、結末というよりは、始まりであったか。



 透琳は部屋の中をぐるりと目線だけで見回すと、ランスに視線を止めた。
 そして、感情の色を全く出さずに、低い声で言った。
「貴殿が、武田信玄公であらせられるか」
「なんだお前、俺様は……ん」
 そこでランスは言葉を止める。特に意味があったわけでもなく、透琳の鋭い眼光がなんとなく気になったのだ。
「(ん……なんか凄いぞ、こいつ)」
 ランスはカオスを掴めるよう、体勢を変えた。瞬時に部屋は一触即発の雰囲気を呈す。
 ランスは透琳の全身を観察した。あまり大柄ではないランスから見ても、透琳は体格で劣る。が、動きには一切の無駄が無く、その視線からは静かで冷たい、殺気ともいえるほどの気が発せられていた。
「もう一度聞く。貴殿が、武田信玄公であらせられるか」
 その殺気はランスの錯覚ではなかった。事実、透琳は殺す気満々だったのである。
 もしこの問いに肯定の答えを返すようなら、即座に首を刎ねる。
「(似ている。しかし)」
 躊躇は全く無い。それが信玄の威光を守る武田四将軍の、義務であると確信していたからだ。
 信玄の名を騙る。それは武田の地にあって最大の罪なのだ。
「……」
 だがランスの戦士の本能は、ともすれば見逃しがちな透琳の殺気を見過ごさなかった。
 無言のまま本能的にカオスを握り締める。
「(どーする?)」
 ランスは考える。男でしかも敵に会った場合、選択肢は二つだ。見逃すか、もしくは殺すか。
 女なら後者が犯すに変わる。ランスはそういう男であった。
「(なんだ、簡単だ。殺そう)」
 それゆえ、決断だけは異様なまでに早い男であった。
 常人とはかけ離れた思考回路が結論を出すと同時に、必殺の技が繰り出される。
「不意打ちランスアタタタック!」
「!?」
 何の前触れも殺気も無く、突如としてその一撃は放たれた。一挙に爆発するように膨れ上がったエネルギーの塊がカオスの刃に乗り、暴力的な勢いを持って透琳の頭上に襲い掛かる。
 流石の透琳も、この一撃は予想外であった。
 問答無用で抵抗に出ることは十分に考えられた。だが速すぎる。
「くうっ!」
 ガギィィィィィン!
 透琳は即座に刀を抜き、ランスの一撃をなんとか受け止めた。とてつもなく、重い。巨大な鉄塊を押し付けられるような重圧が透琳の両腕に圧し掛かる。ともすれば刀ごと胴体が真っ二つにされそうなほどの剣圧だ。
 しかも、ランスの一撃はただの剣閃ではなかった。物理的な圧力を感じさせる紫色の風が、透琳の持つ刀身に受け流されて、部屋の床畳をずたずたにしていた。一瞬でも気を抜けば、その渦に巻き込まれてしまいそうだ。
「(強い。しかし!)」
 未知の敵の前に準備もなくのこのこ赴くようでは、武田全軍の軍師は務まらない。
 透琳は刀をずらしてカオスの勢いを懸命の思いでずらすと、機を逃さず後方に飛びずさった。
「ちいっ、待てい! 殺おーーす!」
 舌打ちをしながら踏み込み、二の太刀を繰り出さんとするランスと更に距離を取る。
 そして透琳は自由な左手を空に挙げ、部下達に合図を出す。
 と、バタタン、とランスを取り囲むようにして木製の物が落ちるような音がした。
「ら、ランスさまあ!」
 落下音の後を追うようにして、シィルの驚愕の声がランスの後方から聞こえてくる。
「なんだ、ってげっ!」
 シィルの悲鳴に振り返ると同時に、ランスは驚愕した。数枚の畳が捲れ上がり、襖という襖が内向きに倒れていた。そして、それまで隠れていたのか、刀を手にした数十人の鎧武者達がランスとシィルを包囲していた。
「不届き者よ、降伏せよ。命の保障はできぬが」
 体勢を整えた透琳が、刀をランスに突きつけ静かに言う。
 その言葉と同時に、包囲を構成する武士達が一歩、ランスに近寄った。
 目の荒れた畳が、ざくりと音を立てて軋む。
「ぐ、ぐぐぐぐ」
 アリの這い出る隙間すらない包囲をぐるりと見回して、ランスは迷う。
 目の前のこの憎たらしい男はそこそこに強いが、武士達全員があそこまで強いわけがない。自分一人なら、包囲網の一角を崩し、強引に突破して脱出することも可能かもしれない。
「あ、あううう」
 しかしランスは瞬時にその考えを捨てる。シィルを連れて逃げ出すのは、この状況下ではほとんど不可能だ。いっそこの場の敵を皆殺しにした方が、二人とも生き残る可能性が高いように思えた。
 が、不意打ちのランスアタックにも耐えたこの男と、背後に敵を引き連れたまま戦うことが、自殺行為であることもまた承知していた。
 無論シィルを捨てて逃げるなどという選択肢は、はじめからない。
 進退窮まる。ランスにとっては初めての状況ではないが、絶望的なことに変わりは無い。
「むむむむむむ」
 降伏は嫌だ。逃げることはできない。
 となれば、選択肢は一つしかなかった。自殺行為であろうと、全員殺す。
 そのほうが後腐れも無くてよい。
「行くぞシィーーール! 全員ぶち殺す!」
「……む」
 ランスの作戦は明らかに破綻した論理で構成されていたが、彼にとっては幸運なことに、その作戦が実行に移されることはなかった。
「どおおりゃ……れ?」
 透琳に向かって荒々しく一歩を踏み出したランスが、直後に動きを止め、床に正面からどさりと倒れ伏した。
 そのあまりの突然さに、部屋はしん、と静まり返る。周囲の兵の目から見て、その動作には何の前触れも無かった。
 透琳の目から見てすら、ただ銀色に光る線が一瞬ランスの頭上に見えた気がしただけであった。
「あ、ランスさ! ……ま……れ?」
 シィルも同様に、言葉の途中で動きを止めると、正確にランスと折り重なるように、畳の上に倒れた。
 部屋は沈黙に包まれる。武者達は回りと顔を見合わせ、動けない。何かの罠か。まさか死んだ振りなどではあるまいが。
「……これは」
「透琳、だめですよ〜」
 いぶかしむ透琳と武者達の前、倒れたランスとシィルのすぐ傍に、いつのまにか男がいた。どこから入るでもなく、天井から飛び降りてきたわけでもない。ただ、瞬きを一度した次の瞬間にはそこにいたのである。それも、武士たちの何十対の目の前で、である。その異常さに気付いた武士達から、驚愕の表情が見て取れる。
 透琳の知る限りでは、こんな人間離れな技を披露できる者は、たった一人しかいなかった。
「義風殿。なぜ貴方がここに」
「ま、こういうことは、専門家に任せなさいよ」
 と、男はにこやかに言った。この男こそ、関東一円を縄張りとする風魔忍軍の棟梁、武田四将軍が一、高坂義風である。ひょうひょうとした口調からは想像も出来ぬほど卓越した忍の者であり、その実力はJAPANで一、二を争う。
「妙な顔で妙な事を口走る男がいると聞いてね〜。透琳も来るとは予想外でしたが」
 なるほど、と透琳はすぐに納得する。このような事態に関して、むしろ義風の方が専門家だろう。
「さて。この男如何しますか」
「ふうむ。さて、ねえ?」
 気絶したにも関わらず、大の字にあまりに堂々と倒れている男を足元にして、二人の将軍は視線を小突き合わせた。




 気が付くと、ランスとシィルは座敷牢に両手両足を縛られて転がされていた。
 状況を把握するのに十分。縛る縄を外そうと試みるのに三十分。
 手錠プレイを楽しむのに一時間。
 そしてランスが一息つく。そういう馬鹿らしい時間の後、ランスはあっさりと運命の対面を果たすことになる。
「君が僕の偽者か。なるほどそっくりだ」
「あん? おわっ」
 不貞寝していたランスが声に振り向くと、武者鎧のランスが立っていた。
 少なくともランスとシィルにはそう見えた。後ろに将軍らしき壮年の男と、清楚そうな少女を従えてはいるが、顔の輪郭に髪型、体格。全てがランスに酷似している。
「ふむ。間近で見ねば、ワシにも見分けがつかぬほどですな。薄気味悪いほどに殿に似ておる」
「なんだとそこのダルマ。逆だ逆、こいつが俺様に似ているのだ」
「なんてことを!」
 と、信玄に寄り添うように立つ少女が言った。
 ランスは少女を見る。赤を貴重とした着物を羽織り、明るい紫の髪を金色のかんざしでまとめ、大陸で言うポニーテールのように後ろに流している。仕草の一つ一つから洗練された高貴なものが漂ってくるかのようだ。年は15か16か。くっきりした目尻と染み一つ無い肌。ぴんとはった背筋からは、芯の強さが伺える。
 そしてなによりも、その容姿は疑いようも無い美少女であった。
 少女は信玄とランスの間に入ると、小さな腕を一杯に広げ、声高々に主張を始めた。
「ここにおわすのはJAPAN一の名君、武田信玄公ですよ! あなたのような」
 そして美少女と見れば、ランスがやることは一つであった。
 凄まじい勢いでだらけた体勢から跳ね起きると、開口一番。
「97点!」
「どこの……は?」
 ランスのいきなりの意味不明な言動に、硬直する少女。それが仇となった。
「おまえら、ナイス差し入れだ誉めてつかわす! さあやろうよしやろう今すぐやろう」
「へ、あ? や、やろう? とは?」
 ランスのアホくさい言動に言葉を遮られる格好になり、思わず聞き返してしまう少女。
 その選択を(実際には選択というより反応なのだが)即座に後悔してしまうことになる。
「うむ! 男と女がやることといえば決まっているだろう、セックスだ!」
「せ……」
「は……」
「あ……」
 三者三様の反応が狭い牢屋に反響する。その内訳は驚嘆、感嘆、そして諦めである。
「せ、せ、せ、せっくす……ってえええ!」
 トマトのように耳たぶまで赤くなる少女。そんな直接的な言葉が他人の口から出ることなど、初めてのことだ。まして自分から口に出すなど。破廉恥な単語を思わずオウム返しにしてしまったことを即座に後悔する。羞恥心がとめどめなく沸きあがってくる。
「くっくっく、やあ香、よかったね。お婿さんが見つかったみたいだよ」
「なっ! 兄上、な、何をのんきな……きゃあっ」
 香と呼ばれた少女は、言葉の途中でランスがすぐ傍にまで近寄ってきたことに気付き、思わず後ずさりをした。
「香ちゃんというのか。どこかで聞いたような名前だが、中々可愛い響きではないかよーしすぐにベッドぶべ」
 パーン、と小気味よい乾いた音が、少女の手の平から発せられた。ランスに対し、平手打ちが炸裂したのだ。
 シィルが思わずきゃっと悲鳴をあげた。それとは対照的に、信玄は顎に拳を当て面白そうに笑っている。まるでこの状況を楽しんでいるかのようだ。
 いや、断言しよう。楽しんでいるのだ。
「あっはっはっは」
 我慢しきれなくなったのか、信玄はとうとう笑い声をあげる。その顔は馬鹿笑いをするランスにとてもよく似ていた。
 が、香にとっては面白くないことこのうえない。赤面した頬を膨らませ、涙目で抗議の視線を向ける。
 こともあろうに、この世で最も敬愛する兄の名を騙る悪党に、妹が迫られているのだ。にも拘らずその態度はなんなのか。怒りとも嫉妬ともつかぬ感情が、香を駆り立てる。
「ぶ、ぶ、無礼! 無礼千万! 極まりないっです! 兄上も笑ってないで、はやく助けてくださいーー!」
「ああ、そうだねー」
 などと言いつつ、信玄は微塵も動く気配を見せない。
 対照的に、
「がはははは、俺様の愛はこの程度では止まらんぞ!」
 はたかれた頬を赤く染めつつも、ランスが香に更に迫る。
 両手両足を縛られているというのに、それを苦にする様子は微塵もない。
 器用にも摺り足で香に近寄り、顔を突き出す。その勢いは、口だけで相手を犯してしまいそうなほどである。
「ひゃっ」
「うーむ近くで見るとますます可愛いな。よし気に入った。君を俺様の女にしてやろう」
「い、いりません! ことわります!」
「……止めなくてよいのですかな」
 見かねた昌景が信玄に助言をする。が、信玄は手を振りながら楽しそうに言った。
「いや、香もなんだか楽しそうだし、もう少し放っといていいよ」
「おおそうだ、はじめは痛いかもしれんが慣れてくると楽しいぞー」
「はっはっは、うまいこと言うねー」
 妙に気が合っている二人に対し、香の怒りが頂点に達する。
 ぶちん、と奇妙な音が部屋に響いた。
 とっくに限界を迎えていた香の堪忍袋の緒が、物理的な音を立てて崩壊したのだ。
「二人ともーーーーー! 恥を知ってください、恥を! だいたいその果てしなく下劣で品性に欠けた言動、人間として恥ずかしいとは思わないのですか! 昌景さま、あと、そこの女性! 傍観してないでこの殿方をはやく止めてください!」
「がははははは、香ちゃんは可愛いなあ」
「はっはっは、まったくだねえ」
 香の怒りもどこ吹く風、とのんきに笑い続ける同じ顔のバカ二人。
 香は両拳を握り締めて天に突き上げ、怒ってますよーと言わんばかりのジェスチャーをしている。だがランスと信玄に対して、そのジェスチャーは明らかに逆効果だった。それがまた香の怒りの火に油を注ぐ。
「聞いているのですかーーーー!」
「ご、ごめんなさいー! ……ひんひん」
 結局、一人だけ香のとばっちりをまともに受けるシィル。
 怒りが静まるまでに、たっぷり三十分。あの時のことは絶対に思い出したくないとシィルは後に言う。


 この通り、二人の英雄の邂逅は、とても平穏なものに終った。
 この出会いが近い将来にJAPAN全土をひっくり返すほど重要なものになるということは、
「……むう」
 後ろで存在感無く呆れていた昌景だけが、何となく予感していた。



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