それはあまりに不自然な光景だった。
「んー?」
ランスが城の一角を歩いていると、廊下の床に、白くてかる硬質の何かが転がっていた。
それは、貝殻のようであった。形状は一般的な二枚貝で、円の中心から放射状に溝が延びている。色は白。
粉の降ったようなぽつぽつとしたざらみがある。
貝マニアのランスとしては、見過ごすわけにはいかない。ランスは貝を拾い上げると、目を近づけてじっくりと観察した
「ふむ」
虫食いなどはなく、それなりに整っていた。が、華がない。色も形状も種類も平凡。ランスのコレクションの末尾に加えるには、あまりに平凡であり過ぎた。
「んー、いらんか」
鑑定を終えると、ランスは手に持った貝を、ぽいと床に投げ捨てた。
それはもうあっさりとした動作だった。奇妙なほど普通の行為だった。
その様子を、遠くから凝視していたものがいた。
「あちゃ。謙信、気を……うわ」
襖に開いた、指程度の大きさから、ランスを覗く二人の女性。直江愛と、軍神・上杉謙信であった。
謙信こそがあの貝を置いた、当の本人なのだった。
ランスの好みが貝殻だと香姫に聞き、貝・信濃の国中を駆け回ってようやく良さそうな貝殻を手に入れた、までは良かった。
が、いざ本人に渡す段階になって、謙信はふと気付く。よく考えたらランスにプレゼントを贈る理由が、というか言い訳がまったくないではないか、と。
これでは純粋な好意で渡そうとしているみたいだ――いやその通りなのだが、そんな感情を正直に出すには、謙信にはわだかまりがありすぎた。
不安定な立場と、不安定な感情。ランスに対してどう接せばいいのかまるでわからない。こんな自分から好意を寄せられたとしても、ランスは迷惑に思うだけではないだろうか。
でも渡さないわけにはいかない。愛しい人に喜んで欲しい。
自分の選んだ貝にどんな反応を見せてくれるのか、楽しみで不安で待ち遠しくて胸がときめいて爆発しそうでたまらないのだ。
悩みに悩んだ挙句、謙信が取った行動。それが、ランスの部屋の前に貝をそっと置き反応を見る、というものだった。
その貝が謙信の目の前で、あっさりと投げ捨てられた。
「……」
謙信と愛の潜む部屋に、暗く重い雰囲気がたちこめていた。
ずずずずーん、という音までなぜか聞こえてくる。襖の隙間から漏れ出しそうなほど、重圧感が物理的な現象となって辺りを包み込んでいる。
その源は謙信だった。
謙信は普段と変わらぬ澄ました表情をしているように見える。しかし愛だけは理解していた。
謙信の瞳が、さっきまで希望の光に輝いていた目が、この世のあらゆる絶望を一身に背負ったかのように濁っていた。軍神の威光は完全にその光を失っている。
それどころか灯篭の光まで消し去っていってしまいそうなほど、陰鬱な雰囲気をその身から発散させていた。
「あー」
見かねた愛が、慰めの言葉をひねり出そうとする。
と、そのとき。
「む。待てよ」
ランスは貝をまたいで廊下を進もうとした直前で、動きを止めた。かがみこんで、一度は放り出した貝殻をもう一度左手でひょいと摘み上げる。
貝を高く掲げて、片目をつむってじっと見つめる。
灯篭の光に翳されたその貝殻は、ぼうっと雪洞のように光って見えた。
「……うーん」
その光に価値を見出したのかどうか。
ランスはしばらくうなり続けていた。
やがてランスは手を下げ、歩みを再開する。
「!」
だが謙信は見逃さなかった。貝殻が、謙信の選んだ貝殻が、ランスのズボンのポケットへと無造作に突っ込まれたのを。
謙信の表情が百八十度反転していた。ぱあああ、と光り輝くような笑顔を浮かべていた。少女漫画の主人公のように、瞳を星状にきらめかせていた。
先程とは違う意味で、軍神の威光が影も形もなくなっていた。
謙信は頬に手をやり、身体を感激に震わせた。涙が出そうになったのを懸命の思いでこらえた。
「ふんふーん」
謙信の百面相など知る由も無く、廊下を曲がっていくランス。
その後姿を、頬に手を当て惚けた表情で見送る謙信であった。
見送って一分経っても、謙信は全く同じポーズのまま固まっていた。
動かない。徹頭徹尾動かない。蝋人形かと疑うほど動かない。
どうやら感激のあまり、思考が停止しているようだった。
「……処置なしね」
謙信の後ろで、愛が額に手を当て諦めたように呟いた。
どうしようもない。恋の病に付ける薬は皆無だ。
それは世界普遍の真理なのだった。
廊下を曲がり部屋に入ろうとしたランスを、一人の男が待ち構えていた。
「なんだ。しばらく見なかったな」
「はあ」
男の名は長倉。ランスの副官という、史上最大級のストレスを味わうことができるポジションにいる男であった。長倉はランスの乱暴な言葉に早くもやる気を無くしそうになったが、気を取り直して報告を始めた。
「ご承知の通り、昨日まで佐渡で戦後処理を行っておりました。県政なるものは、想像以上の俗物でした」
「承知してないぞ」
「……。馬場殿の威容にあっという間に気圧された様子。あのような当主では、きちんと監督せねばいつ裏切られるか、あるいは乗っ取られるかわかったものではありません」
「誰も聞いとらん」
長倉はふうううう、と深い深いため息をついた。ランスはどうやら本気で、まったく、これっぽっちも聞く気がないようだ。
近況報告は諦めたらしく、長倉は胸に手をやって言った。
「拙者、ちかごろ、胸痛と耳鳴りが更に強くなり申した」
「がはははは。栄養が足りんのじゃないか?」
皮肉とも取れる長倉の言葉を完璧に無視し、ランスは廊下を進んでいく。長倉はもう一度ため息をついてから、ランスの後を追った。
その長倉に、しっしっと手を振るランス。
「ついてくるな。これから香ちゃんに会いにいくのだ」
「そうは参りませぬ。まだまだお話することが……む? ランス殿。腰のものが違いますな」
なんとか機嫌を取り戻そうというのか、長倉が何気なく言った。ランスは腰に吊った刀を見て、ああと頷くと、どうでもよさそうな口調で問いに答えた。
「ん、カオスならめがねに預けた」
「?」
ランスの言うめがねとは、北条早雲のことを指している。
早雲はカオスの知識に興味を持ったらしく、半日ほど貸して欲しいという希望を出してきたのだ。ランスは気前よく二つ返事でカオスを貸し出していた。申し出た早雲自身が、その気軽さに驚くほどであった。
今頃気前良さの理由を思い知っていることだろう。
「蘭ちゃんの体と、使徒全般についていろいろ聞きたいとか言ってたが……」
たぶん無駄だろう。ランスが知る限り、カオスの知識は何かが起こった後でないと役に立たない。というより、事前に知ってもどうしようもない知識しか持っていない。
「蘭……南条蘭のことですかな? それに、使徒ですと? 拙者のおらぬ間に色々とあった様ですな。よろしければお聞かせ」
「やだ」
ランスがにべもなく言った。男に説明する理由は全くなかった。
そして、階段を上がっていく。今度こそ諦めたらしく、長倉はもう追っては来なかった。
「ああ……ランスか」
ランスが階段を上がり謁見の間に入ると、そこでは信玄がいた。一人、窓の外を見ていた信玄は、足音に振り返ると、自分と同じ顔の者に向かって笑った。
「久しぶりだね。江戸はどうだった?」
「香ちゃんはどこだ?」
「……変わらないなあ、君は」
くく、と楽しそうに笑う信玄。
「香なら下の部屋にいるよ。ああ、ちょっと待って」
信玄は、言葉を聞くやいなや駆け出そうとしたランスを呼び止め、襟をひっぱった。
「?」
さすがに信玄の呼びとめを、長倉と同じように振り切ることはせず、ランスは振り返る。面倒くさそうに首をひねり、信玄を睨む。
「なんだ? 手短に済ませろよ」
「そのつもりだよ。……早雲を捕らえたのは、君なんだって?」
「まあな」
「凄いね」
そう、凄い。今やランス、いや信玄の名声の高まりは、JAPAN全土に轟こうかという勢いであった。
上杉の軍勢を打ち破ってMAZOを奪い取り、更には謙信自身との一騎打ちに勝利し、上杉家を従属させた。そして北条の当主までをも無損害で捕えてしまったのだ。破竹の快進撃である。
ランスは誉められたことに気をよくしたのか、がはははは、と大きい声で笑う。両手を腰に当て、ふんぞり返った。
「当然。俺様は英雄だ、常に絶対に勝つ。そして成功する」
「ん? 義風に一度負けたって聞いたけど」
「ぐ」
勢いに水を差す信玄の言葉に、ランスは一瞬不機嫌そうに鼻を鳴らした。そのときの事を思い出したのだ。がりがりと頭を掻き乱しつつ、視線をあさっての方向にやる。
しかし、しばらく考え込んだ後、ランスは機嫌を取り戻してにんまりと表情を和らげた。首をたてに振り、うむ、と頷いた。
再びふんぞり返って信玄に向かう。
「あれは、わざとだ」
それは普通の人間が聞けば、あまりに苦しく聞こえるであろう、陳腐な言い訳だった。
しかし信玄は、感心した風に驚きの言葉を発した。
「……わざと?」
「そのとおーり」
「じゃ、負けたわけではないと」
「ふふん。俺様は負けない。負けたように見えたとしたら、最後に勝利するための布石にすぎんのだ。最強の俺様は、何をやっても成功してしまうのだからな。がははははは」
「――」
ランスの理屈は明らかに破綻した理論で構成されている。
が、信玄はそうは受け取らなかった。
「そうだね」
信玄はランスを真っ直ぐに見ると、深く鋭い口調で言った。
その目には不敵に笑うランスと同じ輝きを湛えていた。
「僕と同じかな」
「なに?」
「僕はきっと、何をやっても成功するだろう。……君と同じ理由で」
ランスは目を剥いて信玄を凝視した。信玄が発した言葉は、明らかにその態度に見合わぬものだった。
ランスの記憶によれば、信玄は一度も戦場に出たことが無い。
影の薄さから、今までランスは信玄のことを意識せずにいた。ただ香ちゃんの兄という認識があるだけだった。その信玄に、急に興味が沸いてくる。
貝で戦神と崇められる信玄である。普通に考えれば、戦場において四将軍以上の力を、つまりJAPANに並ぶものがないほどの力を持っているように思える。
それに自分と同じ顔をしているのだ。つまり英雄の顔をしているのだ。ひょっとしたらものすごい力を隠していたりするのかもしれない。
とりあえずランスは質問してみた。
「おまえ、強いのか?」
「……どうなんだろうね」
ストレートな問いに、信玄は肯定も否定もしない。
ランスと視線を合わしたままだが、態度は煮えきらぬものであった。
「むう」
ランスは考える。
どうせまともに問い詰めても、のらりくらりとかわされるだけだろう、ここは実力行使が手っ取り早い。
考えたが吉日。ランスはすぐに考えを実行に移した。
思考と実行のタイムラグが全くない男であった。
「とおっ!」
なんの前触れも無く、ランスは刀を瞬時に抜き放った。
刀身を信玄の頭に振り下ろす。そのままいけば体が中心線に沿って真っ二つにされる軌道だ。
びゅおう、と風を切る音が部屋に響いた。
信玄は動かなかった。
刀身は、信玄の髪の毛を数本押さえつけたところで止まっている。ランスが寸止めにしたのだ。
数センチの距離で鈍く光る刃を、信玄はまったく表情を変えず、指の一本すら動かさずに見つめ続けていた。
「驚かんのか?」
「……さて?」
「ちっ」
なんとなく不愉快になるランスである。試しの行動に、信玄は一切の反応を示さなかった。ランスに殺気がないことを見抜いていたのか、それとも全く別の理由によるものか。
どっちにせよ気に食わない。
ただ、とにかく、常人ではないことは確かだ。
例え信玄が本当は弱くてランスの動きが全く見えなかったのだ、ということであっても、いきなり斬りかかられても全く動じないのは明らかにおかしい。
端から見るものがいれば、信玄の態度に底知れぬ余裕を感じることができただろう。
「ふんっ」
ランスは刀身を鞘に収めると、不機嫌そうな態度を隠そうともせず信玄に背を向けた。
また別の方法で試してやる、と考えながら、どかどかと足音を立ててその場を後にする。
「……」
ランスを見送ってから、信玄は硬く握り締めていた手を開いた。手の平に汗を掻いてはいない。乾いている。
信玄は自らの手をしばらくの間食い入るように見つめていた。
やがて手から目線を離すと、薄い笑いを顔に浮かべる。
ランスの馬鹿笑いとは明らかに性質の違う、感情を奥深くにしまいこんだ笑みだった。
「……ふ」
抑揚のない音で呟くと、信玄はくるりと体の向きを変えて、ランスとは逆方向の自室へと去っていった。
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