「どういうことですかっ!?」
 香姫はランスに詰め寄っていた。
 信玄の死から数日。泣き疲れてひどいくまを目にこさえていたところに、香はその知らせを聞いた。
 死の翌日に行われた家老会議にて、ランスが信玄の影武者役を断ったこと。一将軍として軍勢を率いるだけだという。
 そのうえ、信玄の死を既に他国に公表してしまったらしい。
「なん……で……っ!」
 信じられなかった。兄の決死の願いをなぜ断るのか。
 それが悪意からだとすれば、人間の仕業とは思えなかった。
「おお、香ちゃん。今日も可愛いな、がははははは」
 ランスはまったく悪びれた様子もなく言った。
「誤魔化さないでくださいっ! なんで、どうして、あ、兄の――むぐっ!?」
 突然、香の頭をランスが押さえつけた。手の平をぐりぐりと押し付ける。頭を撫でる、というにはあまりに暴力的な行為だ。
「な、なにを……」
「あんま無理するな」
 撫でる手つきは乱暴そのもの。外見を除き、何もかもが、兄とは違う。それでも香は、ランスの行動に、兄の優しさを見出してしまい、それ以上言葉を続けられなくなった。

 そんな二人の様子を、柱の陰からはらはらしながら見守っていたものがいた。
 シィルである。
「(ランスさま……どうして……?)」
 シィルは知っている。ランスは信玄の影武者という地位に、不満など感じていない。事実として自分から名乗っていたほどだ。
 面倒になりそうだから、というわけでもないだろう。だったら信玄が死んだ時点で、この武田家を出奔している筈だ。
 立場を悪くしてまで残る理由は無い。

 シィルの思いをよそに、ランスは香に背を向け、またなー、と軽く言いながらその場を後にした。
 香はランスを呼び止めない。
 様々な感情が香の心を複雑にかき乱している。感情のそれぞれが爆発するかのようにせめぎ合い、香の行動を縛っている。
 香は、失望と怒り、それに悲しみの入り混じった視線をランスに向けたまま、立ち尽くしていた。

「あ」
 その姿を見てシィルはランスの意図に気付いた。
 透琳の提案を拒否した理由。それはきっと、ランスが自らの欲望に忠実に行動した結果に過ぎないのだ。

 信玄の影武者を続けることはできない。
 もし、ランスが信玄の号を名乗れば。
 香はきっと、その悲しみの感情を、自分自身に向けたままだったろうから。

 時代の風もまた、ランスの選択と同様、香姫に内に閉じこもる暇を与えてはくれないのだ。
 信玄の死を切欠とし、JAPANは今まさに未曾有の動乱の時代を迎えようとしている。 

 時が、動こうとしていた。
 速く――そして、激しく。



 貝の北、佐渡の春日山城。
 その最上棟で、二人の男が密談を行っていた。
「そ、それは真か?」
「本当でなきゃ、わざわざこんなとこまで忍び込まんよ」
「……。よ……よしっ! 出陣だ! ワシをコケにした物どもの目にもの、見せてくれるわっ!」
 どかどかと足音を立てつつ、男のうち一人がその場を後にする。
「あんなんでも、足しにはなるだろ。……さて」
 もう一人の男が、とんとんと肩を叩きながら言った。
 白い巨体、背中には巨大な銃。名を煉獄。この動乱を引き起こした、張本人とも言うべき者であった。
「戻る前に、あいつらを起こさんとな」
 煉獄は銃でもう一度とんとんと自らの肩をたたくと、窓から跳び降り、森の木々の陰に姿を消した。

 LP5年5月13日。
 上杉県政は従属同盟を反故にし、武田家に宣戦を布告した。
 反旗を翻すと同時に駐留する武田軍を急襲。
 布陣の弱点を突いた攻撃により大打撃を与え、武田軍を上杉領から完全に撤退させた。



 武田信玄、刺客の手により没す。
 刺客たる煉獄自身により、各地にもたらされたその知らせは、遠く北条家にまで届いていた。
「(……チャンスだわ)」
 知らせを聞いて、蘭はぐっと拳を握り締める。
 北条マサコをはじめとする陰陽師達の信任を得て、彼女は早雲の代行として陰陽機関を切り回していた。
 目が回るような忙しさと押しつぶされそうなほどの責任が降りかかってきたが、早雲を助けるためと思えば、辛くはなかった。
 その早雲を武田家から取り戻すチャンスだ。
 早雲の身柄の返還は、いままで頑なに拒絶され続けてきた。
 が、今なら交渉を進められるかもしれない。
「蘭さま」
「なに?」
「武田家の使者殿が、いらしております」
 蘭はすっと立ち上がると、部下に向かってすぐに言った。
「会います。通して――ううん、こっちから行くわ」
 蘭はそのまま、部屋を後にする。
 廊下を歩く途中、蘭は首から下げた包みをずっと手で握り締めていた。
 早雲を助ける、せめてそれまでの間は。待ってくれますように。
 蘭はひとり、心の中で呟いた。
 その呟きに応答の声が聞こえることだけが、たまらなくつらかった。



 丹波の国。
 その居城で、カン、カンと、硬質の音が絶え間なく響いていた。
「おう、もっと火を入れろ! ぼさっとすんな!」
 汗をたらして鉄砲鍛冶に精を出すのは、この国の国主、種子島重彦。人間とは思えぬ異様に角ばった体を持つ鉄砲鍛冶師にして、戦国を駆ける武器商人である。
 そんな重彦に、一人の少女が背後から声をかけてきた。
「……重彦様」
「柚美か? なんだ」
「……すごい……火薬の匂い……」
 重彦はひゅう、と口笛を鳴らした。火薬庫は安全のために鍛冶場からはるか遠くに離れているが、柚美はそんな匂いまで感じ取ってしまったらしい。
 重彦は少女に振り返ると、完成した鉄砲を持って言った。
「東でどえらい戦が始まるみてーだ。鉄砲を売り込むチャンスだぞっ」
「……」
「しかも戦の中心は、あのてばさきの武田家! これからの戦場をどっちが制するか、種子島の天下分け目の大合戦だ。腕が鳴るぜ!」
「……てばさき?」
 それまであまり興味がなさそうだった柚美の目が、一瞬うっとりと輝いた。
 重彦はそんな柚美の様子に気付かぬようで、そのまま言葉を続ける。
「つーわけで、働いてもらうことになるぞ、柚美」
 重彦の野太い声に、柚美は我に返る。
 手に持つ鉄砲をゆっくりと見やると、柚美はこっくりと頷いた。



 貝の南、三河の地。
「(ううむむむ……)」
 その主、徳川家康は悩んでいた。
 配下の子たぬー忍者・服部半蔵によれば、尾張からもたらされた情報に間違いはないとのこと。
 カリスマであった信玄を亡くし、それを他国に知られた武田家は今や四面楚歌の状態にある。
 長年屈辱の服従を示してきた武田家を見返し、ついでに豊かな貝の地を奪い取るには今が最大のチャンスである。
 が、どうも気にかかることがあった。織田だ。
 大妖怪狸の家康を持ってしても、織田信長の真意と実力は全く計り知れない。ひょっとしたら、寝首をかかれるかもしれないのだが……。
「いや」
 しかし、今現在の最大の脅威は、やはり武田家だ。
 家康は決心した。もはや待ちきれなかった。
 今を逃しては、徳川が小国を脱すことは永遠にないだろう。
「よし! 敵は武田だ! われら妖怪狸がJAPANを牛耳る時、ついにきたぞ!」
 家康の宣言と同時に、それまで黙って家康の前に並んでいた五匹のたぬー達が、一気に立ち上がった。
 そのうちの一人が進み出る。
「(……俺はやるぜ)」
 一番前に陣取っていた、巨体のたぬー・忠勝。彼は右手の槍の石突きでどんと畳を突いた。
 腰に左手を当て胸を張る。子たぬーとは思えぬ巨体と寡黙な面構えが、人間では決して及ばぬ威圧感をかもし出していた。
 頼もしい姿を見て、家康はうんうんと満足げに頷いた。
 続けてそれ以外の面々をぐるりと見渡す。
 すると、
「いやぁっふー! てばさきゲットでちゅー!」
「直政じゃその前に蹂躙されまちゅよ。その点僕は、あ、いたい! つっちゅくな!」
 なんか仲間割れしてる子たぬーが二匹。
「てば酒ー!」
「……ぐう」
 あと、やる気の全然なさそうな子たぬーが二匹いた。
「(……早まったか?)」
 彼らの様子を見て、また不安になる家康であった。こんなとき取りまとめ役になるはずだった最後の一匹は、出奔中でここにはいないし。頼りになるのは忠勝だけなのだろうか。
 とはいえ戦国の大大名(になる予定)の家康が、一度言い出したことを撤回するわけにはいかない。
 もう遅い。賽は投げられたのだ。
 と、必死で自分に言い聞かす、ぶんぶく茶釜こと徳川家康であった。

 LP5年5月14日。
 徳川家は、武田家に宣戦を布告した。



 狸達が決起を果した、その地下。
「ふんっ」
 数百回の試みの後、彼女の努力はようやく報われた。
 さび付いた手錠。千切れた鎖。それらを手首にぶら下げたまま、彼女はこきこきと首を鳴らし、身体をほぐした。
 長い牢屋暮らしにも関わらず、支援者によりきちんと手入れされた長い髪が、ふぁさりと舞った。
「……さて。……戦の匂いがするな」
 端正な顔に笑みを浮かべると、彼女は目つきを鋭くする。
「面白くなりそうだ」
 彼女の名は千姫。狸達に乗っ取られる前は、徳川の性を持っていた。狸達はその勇敢さと乱暴さを恐れ、彼女を戦の姫、戦姫と呼んだ。
「ひいっ!? な、な、なっ!?」
 声に戦姫は振り向く。見ると老年の男が、鎖を引き千切った戦姫を見て狼狽していた。おそらく見回りに来たものだろう。
「お。丁度良い」
 シュン、と風を切る音。
「ご!?」
 戦姫は手刀で不幸な牢番を気絶させた。
「すまんな」
 長い間鎖に繋がれていたとは思えぬほど、俊敏で手馴れた動きだった。
 牢番の手からからん、と落ちた槍を手に取り、戦姫は口元をほんの少しだけ吊り上げる。
 ぶんぶんと槍を振り回して、感触を確かめてみる。握りが悪い。刃も脆そうだ。数打の安物で、戦姫が以前に使っていた特製の皆朱槍とは、比べ物にならぬほどボロで粗悪な槍だ。
「ふふっ」
 しかし戦姫は、手の獲物に似合わぬさわやかな笑みを浮かべると、楽しそうに言った。
「今の私には、これがふさわしい」
 そして地下牢を後にする。
 まだ見ぬ理想の戦場を求めて、戦姫はこの日、脱獄を果した。




 西の地、伊賀の里。
「むー」
 木に持たれかかり、空を見上げる女がいた。
 ただでさえ布地の少ない服の前を大胆なほどに空けている、猫の耳のような形の髪をした女。
 彼女の名は鈴女。天才の名を欲しいままにする、JAPAN一のくノ一であった。
「まずいでござるなあ」
 鈴女はこの里の危機を考えていた。
 交戦国、織田軍の攻勢は苛烈そのものだ。
 天志教と、つい先日陥落した足利家を含めれば、織田家にとっては三正面作戦だったはずだ。
 しかしそうは思えぬほど、織田の軍勢には勢いがある。
 もともと伊賀忍軍が直接戦闘向きではないこともあり、伊賀は織田軍に連敗を重ねていた、
 このままでは伊賀は滅びる。なんとかしなければならない。
 なんとか、の一番手に上がる信長暗殺は、ことごとく失敗している。となれば正攻法。他国との同盟はどうか。天志教とは既に共同戦線を張っているが、それでもまだ足りないようだ。
「でも」
 犬飼は盟を許さない。
 武士に抵抗して興した国が、武士の国と同盟を結ぶわけにはいかないらしい。
 それは確かに信念としては正しいのだろう。しかしこのままでは伊賀は間違いなく滅びてしまう。
 誰かが、なんとかしなければならない。思考の迷路に入り込んでしまう鈴女である。
「お悩みのようね、すずめちゃーん!」
 その耳に、どう聞いてもハスキーな爺声が、どこからともなく響いた。
 間をおかず、奇妙な服の忍者達が鈴女の前に次々と降り立っていく。
 総勢五人が、お揃いの服を着ている。その服は一言で言えば、児童書によくある特撮戦隊物の衣装であった。
「うぉんちゅー! 元気かね、鈴女や」
「なんじゃいまの」
「若い鈴女ちゃんの感性に合わせようとしたんじゃろ。しかし」
「滑ったな」
「滑ったわ」
「ええいうるさい。鈴女や。儂らが誰わかるか? わからんじゃろ」
「ちょーろー」
 鈴女はあっさりと言った。
「なぬ!」
「ばれた」
「なぜ」
「どうしてーっ!?」
「どう考えても、お前のせいじゃろ」
 奇妙な服で奇妙な漫才を繰り広げる五人組。彼らは鈴女の前でしばらく言い争いを続けていたが、やがて、リーダー格らしい青服を着た一人が進み出た。
「話は聞いたぞい」
「まだ何も言ってないでござるが」
「言わずとも」
「わかるとも」
「不甲斐ないからの、現当主は」
「鈴女ちゃん、伊賀を出たいのねっ」
「というわけじゃな」
 ややニュアンスが違ったが、鈴女は反論しなかった。同盟が駄目なら、せめて織田の敵国の数と質を増やすしかない。そのためには伊賀の防衛を捨て、他国に出向く必要がある。
 だがそれは、他の伊賀者からすれば裏切りも同然の行為だ。
 青服の忍者が、そんなことを考える鈴女の肩をぽんと叩き、優しい声で言った。
「行くが良い」
「え」
「抜け忍扱いにならんよう、犬飼には儂が話しておく」
「鈴女ちゃんの穴は、わたし達がうめて見せるわっ」
「やれやれ、大役じゃな」
「腕が鳴るわい」
「でも」
 何かを言いかけた鈴女を、黄色の服の忍者が手で制した。
 そして感慨深そうに呟く。
「鈴女ちゃん。忍者は自由に生きるべし、じゃ」
「その通り! 鈴女ちゃんはその魁!」
「犬飼はそこのところがまだよくわかっとらん」
「まったく」
「儂らが何故こんな格好をしているのかも、わかっとらんと見える」
「へ」
 最後の一人の言葉に、鈴女は目を丸くして驚いた。
「趣味と違うのでござるか」
「まあ、それが九割九分じゃな」
「でも残りの一分は」
「これからの自由な忍者には、自由な格好も許される」
「そんな自由な世の中を体現するのが、このゴニンジャイなのよっ!」
「こいつが締め括ると説得力がなくなるな」
「なんですってー!」
 また口げんかを繰り広げる五人。
 彼らの様子を見て、鈴女はなんとなくおかしくなり、顔に笑みを浮かべた。
 けんかが止んだ間を見計らって、鈴女はぺこんとお辞儀をする。
 そして嬉しそうに言った。
「ありがとうでござる。鈴女、行ってくるでござる」
「がんばれ」
「期待しとるぞ」
「土産を頼む」
「手紙もよこせ」
「元気でねっ」
「だから何故お主が締める」
「いいじゃないのよー」
 五人の激励の言葉+αを聞いて、鈴女は再度くすりと笑った。
 そして彼らに背を向ける。
 心強い味方から自由の翼を貰い、鈴女はスキップに近い足取りで里を後にした。



 JAPANの最果て、妖怪城。
「行くのか、梵天丸」
 全ての妖怪の聖域にして、現妖怪王・独眼流政宗の居城。
 その最上階に二人はいた。
「すまん」
 政宗は、その大きい目玉をお町に真っ直ぐに向けると、ゆっくりと頷いた。

 どうしても気にかかっていた。
 妖怪王に従わぬ大妖怪・徳川家康が、人間の国を相手に戦争を仕掛けたと聞く。また、尾張に残した3Gからの定期便りが途絶えている。
 どちらもよくない兆候だ。
 そして何よりも、このJAPAN全体に漂う、異様な魔の気配。
 JAPANに乱の気配がする。
 それも人間のものだけではない。
 人間も妖怪も、それ以外のものも、全てを巻き込んだ動乱の気配だ。政宗はその気配を、独眼で誰よりも敏感に感じ取っていた。

「梵天丸が決めたのなら。……だが……」
「わかっている。無茶はしない」
 お町の意図に、政宗は強く頷く。梵天丸だったあの頃とは違い、もはや政宗の体と意思は、政宗だけのものではないのだ。
 二人は向かい合い、最後の別れを済ませようとした。
 と、そのとき。
「あー、政さんみっけ」
「……む」
「わわわわわ、きすしーんですか」
 二人の背後から、かしましい声が聞こえてきた。
 折女にノワール、野菊。政宗の嫁にして、護天と呼ばれる妖怪たちだ。
 彼女らの声を聞くと、お町はお預けを食らわされた犬のように、不満げに眉をゆがめた。
 そんなお町の肩をぽんぽんと叩きながら、折女が進み出て言った。
「行くの? 政さん」
「ああ」
「そっか。さびしくなるね」
「政宗様の留守は、わたしたちが守ります!」
「……でも、はやく戻れ」
 それぞれの激励の言葉。
 彼女らの言葉を正面から受け止めて、政宗は応えた。
「ありがとう。努力する」
 そんな政宗を、お町はしばらく無言で見つめていたが、やがて一歩近寄って言った。
「助けが必要ならすぐに呼べ。飛んでいこう」
「わ、やったーです」
「お町姐さん、ほんとに飛ぶからねぇ。たのしみだ」
「その時はしっぽ貸せ」
「……。毛並みが痛む。背にしろ」
「ははは」
 たわむれるお町と護天たち。彼女達の様子を見て、政宗は笑った。
 この平和を護りたいと心から思い、決意の念を強くした。
 妖怪にもそんな心が芽生えるということは、彼女達が教えてくれた。



 そして、貝の南西、尾張の地。
 清洲城の天守閣にそのものはいた。
「……く」
 信長は右手に生首を転がしていた。先の対足利家の掃討戦において、信長自らの手で討ち取った、将軍格の者の首だった。
「……くくく」
 ぼう、と黒い炎が信長の手から出でた。生首は一瞬で燃え上がり、数秒と経たず燃え尽き、頭蓋骨を残すのみとなった。にも拘らず、骨は青い炎を纏ったままだ。
「酒」
「は……は、は、はいっ!」
 信長は側女に頭蓋骨を突き出すと、短く命じた。
 先程まで生首であった頭蓋骨に、女はかたかたと恐怖に震えながら酒を注ぐ。
 粗相は許されない。信長の手に酒を溢した罰として、惨たらしく犯され死んだ女は幾人もいるのだ。
 酒が骸骨の杯の満杯までいくと、信長はそれをぐいと飲み干した。
「許さぬ……許さぬぞ……」
 人間のものとは思えぬ、凄まじい怒りのオーラをその身から放つ。
「ひ……!」
 側女は震えた。理解はできない。ただ身体が反応する。生命体としての根源的な本能を揺さぶり、恐怖そのものを呼び起こす波動が、信長から発せられていた。
「……くく……くくく、くはははははは……!」
 信長、いや、かつて信長であったものは、狂気に溢れた声をひときわ強く発した。

 LP5年5月15日。
 織田家は、武田家に宣戦を布告した。
 その布告は、信玄の死を発端とするこの戦乱の、本格的な始まりの合図でもあった――。




 
return to index
感想・連絡・苦情その他ありましたら掲示板または下記フォームにお寄せください。
執筆意欲になります。あと作者が泣いて喜びます。返信不要の場合、末尾に『/返信不要』とお付けください。