信玄の死を公表するにあたり、透琳はランスに二つの条件を出した。上杉謙信と北条早雲。この二人の協力を取り付けること、である。
 絶対的カリスマで名臣達を支配していた信玄の死を他国に知られれば、武田家は間違いなく窮地に陥る。
 下手をすれば、昨日反旗を翻した上杉家だけではなく、隣接する全ての国が敵国に回る。
 よって、予防措置が必要となる。謙信と早雲は、元敵国の国主として、どちらも信玄に劣らぬ名声を持つ英雄だ。彼女らの協力を取り付けることができれば、予想される大反抗に対抗することができるだろう。

「お、見つけたー!」
 そういうわけで、ランスは謙信を探していた。もちろんその理由としては、上のような最もなものだけではなく、押さえようもない色欲が九割以上を占めていたりするのだが。
「……む」
 中庭で一人たたずんでいた謙信は、いつかランスが戦場で相対した時と同じように、長い烏帽子を被り、袴のように長いスカート状の鎧を着ていた。
 謙信はランスの声に視線だけで振り向くと、上段に構えていた刀をゆっくりと下ろしてから、鞘にぱちんと収めた。

 心臓がばくばくと早い鼓動を打ち始めていたが、謙信はなんとか平静を保って見せた。たゆまぬ毘沙門天への祈りが、謙信の精神統一を助けていた。いきなり泣き出すようなみっともない真似は、抑えることができるようになっていた。

 ランスはそんな謙信の涙ぐましい努力の成果に気付かぬまま、ずかずかと近くに寄ってきた。
「お、今日は大丈夫そうだな」
 謙信を心配するランスの言葉。それだけで、謙信の胸がずきゅーん、と刺激された。謙信は拳を全力で握り締め、心の中で必死に祈りを続けることでなんとか感情の昂りを押さえた。
 謙信はすー、と息を吸うと、妙にぎくしゃくとした口調で返事をした。
「な、何か、用、ですか」
「うむ、手短に言おう。県政とかいう奴が、生意気にも喧嘩を売ってきた」
「……? 叔父上が……」
「で、おっさんどもは、兵は用意するから謙信ちゃんに戦ってほしいとか言ってる」
 他人事のようにランスは言ったが、その内容に謙信は多少驚いた。要は、武田の将軍となれということだ。
「……」
 謙信は真剣に考えてみた。武田の軍を率いて戦うこと自体は、やぶさかではない。県政の専横を許したのは、愛の忠告を聞かなかった謙信の不覚である。責任は取らねばならない。
 ただ一つ、気になることがあった。
「ふんふーん」
 ランスは謙信の目を真っ直ぐに見て、鼻歌を歌いながら答えを待っている。
 その愛らしさに思わず震えが来てしまったが、謙信はなんとか体を抑え、できるだけ冷静な声で、ランスに疑問を投げかけた。
「それは……あ、あなたの意思ではないのか?」
「んー? 俺様はどっちだっていいぞ」
 透琳との約束を完璧に忘れて、ランスは無根拠かつ正直に言った。
「謙信ちゃんが嫌ならいいぞ。俺様が代わりにやるだけだ。気にすることはない、お茶の子さいさいだ」
 謙信は一度視線を落とし、何事か考え込むさまを見せる。
「いや……聞き方が、悪かった。……私が戦った方が、あなたは嬉しいか?」
「そりゃ心強いが」
 ランスの簡素な答えが、謙信の心に深く響いた。
 意図がややすれ違っているのは、些細な問題だった。
「……わかった。私は、叔父上殿と戦おう」
「おお!?」
 謙信のあっさりとした物言いに、ランスは驚きを隠せない。仲が悪いことは知っていたが、肉親が率いるかつて国主であった国と戦うことは躊躇するだろう、と透琳は予測していたし、普通はそう考える。
 それがあっさりと決まってしまった。
「(俺様の魅力のなせる技だな)」
 おそろしく都合のよい考えにすぐさま辿りついて(その考えは実のところ完璧な正解だったりするが)ランスは機嫌をよくし、謙信ににやりと笑いかけた。
「よーし。では、領地を取り戻したら、お祝いに一発――いでっ!」
 下品な言葉を言いかけたランスの頭に、ばん、と軍配が打ち下ろされた。
「誰だこら、何をするー!」
「あなたこそ、何を口走っているのですか!」
 ランスが振り返ると、そこではきりっとした目つきの女がこめかみに青筋を立てていた。
 彼女の顔を見て、ランスは振り上げかけていた拳を下ろした。美女だったからだ。
「あ。愛ちゃん」
「あなたにちゃん付けされる筋合はありません」
「では愛たんと呼ぼう。それならいいだろ」
「なお嫌です!」
 愛の辛辣な言葉を軽く受け流すランス。
 その様子を見て、愛は深いため息をついた。
 なんでこんな男がー、という投げやりな疑問が、愛の思考をとめどめなく侵していく。
 険悪な二人の様子を見て、謙信はどうしていいのかわからないようで、しばらく口に手を当てておろおろしていた。
 が、やがて何かを思い出したようで、愛に向かって言った。
「愛。実は」
「だいたいは聞いてます。かまいませんよ、それにもう決めたんでしょう?」
 県政との戦。武田家の後押しを得て、逆賊・上杉県政を討伐する。謙信の立場を回復するにあたって、それはむしろ好都合な話だ。上杉謙信の戦として、これ以上の大義名分はなかなかないだろう。
 とはいえ今の謙信の頭にあるのは、きっとこの変態エロ異人と、その助手のことだけだろうが。
「……よかった」
 本気で安堵の笑顔を浮かべる謙信を目の前にすると、愛は何も言えなくなってしまう。不器用な彼女をサポートするのが、愛の役割なのだ。
 愛はおでこに手を当てて嬉しそうにため息をつくと、笑って答えた。
「当然よ」
「がははははは、その通り、当然だ」
「あなたには言ってません!」




 平野に、紅い鎧が並んでいた。
 中心に、横列に並んだ足軽達の部隊。彼らは槍の穂先を列ごとに保ち、今か今かと命令を待ち受けている。
 その両脇を大きな動物に乗った、武者鎧の者達が固めていた。赤色に染めた兜をかぶり、長く太い槍の柄を脇の下に固定した武士達。
 彼らは、武田家の誇る騎馬部隊だ。それも山県昌景が直々に統率する、てばさき、騎手とも最精鋭の部隊である。
 やや広い間隔を取って整然と並ぶ彼らの勇姿は、戦国最強の四文字を正しく体現していた。
 騎馬隊がひとたび進軍を始めれば、何人たりとも止めることはできない。それほどに昌景配下のてばさき部隊は速く、また勇敢だ。また、てばさきを駆る騎手達は、それぞれが槍の達人であると同時に一流の騎手でもある。

 万の単位で数えるその軍隊を、二人の男が率いていた。
 軍勢の先頭に立つ二人の壮年の男。ともに青い肌のてばさきを、手綱も取らずに乗りこなしている。
 彼らこそこの武田騎馬軍団のトップ・山県昌景と、全軍の軍師たる真田透琳であった。

 昌景は後ろを振り返り、ひととおり陣形を見渡して確認すると、透琳に向かって言った。
「一見、静まっておるな。……しかし」
 昌景の低い声の問いに、透琳が答えた。副官達に聞こえぬようにするためか、こちらも小声だ。
「動揺が広がっていますね。やはり」
「で、あろうな」
 絶体絶命。武田家は正にその言葉どおりの危機を迎えていた。北に上杉、南に徳川、そして西に織田。
 外部からの脅威だけではない。カリスマであった信玄を欠き、戦国最強を誇る軍団が、地盤から崩れようとしている。
 今は動揺を織田憎しの感情へと転化させることで、なんとか兵達をまとめている。が、それは空元気のようなものだ。
 精神的支柱を失ってしまった兵達は、一度戦局が不利に傾けばあっけなく崩壊してしまう。
 武田は先代・先先代と、信玄のもと一致団結してきた国だ。信玄を神と奉じ、信玄だけを頼りに生き続けてきた民であり、兵達だ。
 今はまだいい。上杉軍に反撃を許したとはいえ、あれは同義にもとる不意打ちによるものだった。
 しかし、もし正面から戦って敗北してしまえば、軍事国家たる武田は、そのまま空中分解してしまうのだ。昌景と透琳は、先先代信玄の死により、それを痛感していた。
「……厳しいの」
 勝利への道は無敗を誇る武田随一の将軍・昌景をしてすら、無謀極まりない試みの連続に満ちているように見えた。
「負けることは許されぬ、か」
「しかし、やらねばなりません……亡きお館様のためにも」
 それでも。この窮地を、信玄の力なしで切り抜けることができれば、それは間違いなく武田家にとって、そしてJAPANの歴史にとって偉大な勝利となるはずだ。

 透琳には誓いがあった。
 主君に自らを謀る覚悟をさせてまで、果すべき責務があった。
 民が自らすべてを決定し、民のために行動する。透琳はそんな国を目指して、信玄の全面的な信任を受けてあらゆる策を実行に移してきた。
 ランスの抜擢も、膨大な数にのぼる策の一つに過ぎない。

 その国は予想外の形で実現してしまった。信玄の死という、最悪の形で。民が信玄を必要としなくなる日を、透琳と信玄は確かに待ち焦がれていた。だが速すぎる。
 武田家はいまだ戦乱の渦中にあり、民の自律心はいまだか弱い。君主が国を統治するという世界の常識を覆すためには、数十年という長い時間が必要なのだ。
 機はいまだ熟していない。だから透琳は、全ての手段を尽くして信玄の死を隠蔽するつもりだった。
 ――あの言葉を聞くまでは。

『がはははは。俺様は無敵だ、なんとかしてやる』

 なんの根拠もないただの思い込みに過ぎないのだろうが。
 それでもきっと、武田家が真に生まれ変わるために必要なのは、その思い込みなのだ。かつて信玄がそう信じていたように。

『ああ。彼は本当にすごいよ』
『確かに、並の人間ではないようですが』
『それだけじゃない。なんというか……彼は、目に見えないものをたくさん持っている。ただ強いだけじゃない。華がある、とでも言えばいいのかな』
『ふむ』
『彼は、全てにおいて成功する。……そう思っているのは、僕と、彼だけじゃないはずだ』

 信玄が嬉しそうに語った憧憬の念。透琳は、それを今なら理解できるような気がしていた。
 遠く先を見据えれば、この苦境にあって武田家が選択すべきなのは、確実な停滞ではなく不確かな前進なのだ。そして、前進を可能とさせる燃え盛る炎のようなエネルギーを、確かに彼は放っていた。

「……ランス殿、か」
「ふむ?」
 ふいに透琳が発した名前に、昌景がぴくんと髭を揺らして反応した。
「そういえば。あの男は今、何をしとるのだ?」
「貝で部隊再編中ですよ」
「そうか、副隊長を失ったのであったな」
「ええ。手伝おうかと思いましたが、必要ない、と断られました」
「ふむ。手並みの程、見せてもらうとするか」
 ランスの個人戦の強さは既に周知の事実である。しかし武田家の将軍として四将と肩を並べ、そして武田家そのものを勝利に導くには、それ以上のものが必要なのだ。
 ランスの立場は、武田家の軍隊を借りて戦う、いわば雇われの指揮官だ。子飼いの勢力を全く持たないものにとって、唯一の補佐官をなくしたことは大きな痛手なはず。それをどう覆していくか。
「それにしても、かのものは」
 昌景のいかつい顔つきに、一筋の決意が見えた。
 副隊長と、その主の正体は、義風の調査により既に割れていた。
「……私の落ち度でした」
「透琳よ。奴は必ず、ワシ等の手で葬るぞ」
「同感です」
 透琳もまた、静かな表情の下に、揺るがぬ決意を固めていた。
 二人は強く頷きあうと、同時に手綱を引きてばさきを振り返らせた。そして、織田軍の侵攻を迎撃すべく、万で数える軍隊に号令を発した。




「うーむ。あんなんでもいないと不便だな」
 昌景の推測どおり、長倉の死はランス率いる武士隊にとって大きな痛手だった。
 いや、痛手どころではなかった。現在、ランス隊は軍としての機能を完全に失っていた。兵站が全滅していた。指揮系統すらはっきりしていなかった。
 本番以外は全く働かないランスに代わり、部隊運営のほとんど全てを統括していた長倉である。代わりなど、そうそういるものではない。既に小隊長から後任のものを抜擢してはいるものの、出陣できる状態に準備を整えるには、最低でも2ヶ月の間が必要となるとの報告が入った。
 そんなに待てるか、と怒鳴りつけてみても、状況は変わらない。
 透琳や昌景に泣きつけばなんとかなるだろうが、家老会議では『なんとかしてやる、がはははは』と大見得を切ったランスである。プライドが許さなかった。

 ランスは頭をかきむしり、八つ当たり気味に叫んだ。
「シィーーール! これじゃ戦争できん! なんとかしろ!」
「ひ! む、むりですよう」
「無理でも考えろ! おっさん共に頼らずに、俺様の軍隊をでりしゃすにするのだ!」
「ううっ。で、でも。わたし、そんな専門の人じゃないですし」
「ふん、役に立たん。専門……まてよ、専門家か」
 ランスはあごに手を当ててランスは考え込む。
「餅は餅屋だ、うむ!」
 ぴーん、と何かをひらめいた様子で、ランスはにんまりと笑った。
 専門家がいないなら呼べばいいのだ。幸いランスには心当たりがあった。
「よし、シィル。リア宛の手紙を書け」
 忍者の足なら、リーザス城までは一週間もかからない。
 あの城には軍事の専門家が嫌というほどひしめいているし、ランスの名前を出せば、女王は絶対に援軍を断らないだろう。
 透琳に泣きつくのは駄目でリーザスに泣きつくならいいのか、などという疑問は、ランスの脳内からは都合よく消え去っていた。
「へ……は、はい。どのような?」
 ごそごそと筆と紙を用意しながら、シィルが問い返した。
「そうだな。俺様の命令、大至急強い奴かもーん。男不可。美女限定」
 ランスは無意味に腰に手をやり、偉そうに言った。
「ええと……ランスです、お忙しいところ申し訳ございませんが、JAPANで戦に巻き込まれて、すぐに助けが……」
 ランスのむちゃくちゃな言葉を、同時通訳で丁寧語で書き記していくシィル。手馴れたものである。
「こっちの状況も一応書いとけ」
「はい。ええと、たくさんの国と戦争してて、ピンチです、できればそういうことも考慮して……」
「うむ」

 そんな調子で完成したその手紙を受け取ると、ランスは満足げにうむ、と頷いた。
 勢いよく立ち上がると、大声で叫ぶ。
「よし。うおーい、義風!」
「呼びましたか〜?」
「(はや!)」
 のそりとどこからともなく現れた義風に、驚くシィル。
 信玄の影武者役を断った以上、義風は別にランス付きの忍者というわけでもないはずだ。それに彼は徳川家の迎撃を馬場彰炎と共に担当することとなり、準備で大わらわのはず。
 シィルの驚愕をよそにして、義風はランスの持つ手紙を興味深そうに眺めた。
「書状ですか〜?」
「うむ。リーザスから俺様の部下を呼び寄せる」
「ほう。それはよいですな」
 義風は笑ったままうなずくと、ランスから手紙を受け取った。
「宛先はリーザス女王だ。できるな?」
「かまいませんよ。そういう者達はよく知っていますので」
「うむ。大至急だぞ。どれぐらいかかる?」
「至急だと、二日ぐらいですね〜」
「はやっ!」
 シィルが、今度は声を出して驚いた。
 うし車を全速力で飛ばしても、四日はかかる距離である。
 いったいどんな魔法を使えばそんな真似が可能なのか。ランスとシィルを一瞬で気絶させた義風の実力を、疑うわけではないが。
 シィルのそんな疑問をよそに、義風は優雅な仕草で襖を開けて、二人に向けてひらひらと手を振った。
「じゃ、そういうことで〜」
「うむ、がはははは。あとは寝て待つだけ」

 そのきっかり二日後、ランスの危機を伝える文が、リーザス女王、リア・パラパラ・リーザスの元に届く。
 同時に彼女は、周囲の人間全ての表情を驚愕と狼狽のものに変える、とんでもない命令を出すことになる。
 が、その命令が形を多少変えてからランスのもとへと届くのは、もう少しだけ後のことだった。

 
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