太陽が南から南西に移ろうとするころ、小さな小屋のひさしの下で、奇妙な一団が休んでいた。
一人は大柄の男。怪我をしているらしく、腹に包帯を巻き寝そべっている。かつては尾張で鉄壁の将軍と謳われた、柴田勝家である。
その側に、織田の香姫と、おつきの妖怪・3Gが座り込んでいた。
ここは貝と三河の境の地。人里から離れた水汲み山小屋だ。
香姫たちは、信長から間一髪のところで逃れ、ここまで辿りついたのだった。
香姫は勝家の包帯をゆっくりとほどいた。
勝家が何かをこらえるかのように若干表情をゆがめるが、特に声は発さない。
治療は自分が、と3Gが申し出たが、香の説得に押しきられた。自分を守って生死をさ迷う大怪我をした勝家である。礼の意味も込めて、香自ら手当てをしたいのだ。
香が勝家の肌に手を触れようとすると、
「おうおうおう」
勝家がどばどばと涙を流しはじめた。
「だ、大丈夫ですかっ? ごめんなさい、痛みましたかっ!?」
「いいえっ! ただ、ただ……香様おんみずからの治療……拙者はJAPAN一の果報者だと……申し訳なく、しかし、しかし感激についぞ……うおおおおおおん!」
言葉の途中で勝家はまたおんおんと泣き出した。
少女というか幼女に触れられて、感動に泣く三十路越えの男。追加で言えば猿顔。
はっきり言って不気味そのものである。
が、香は苦笑をしつつも、勝家の傷口に薬を塗り始めた。
魔人となった兄を、止めなければならない。
既に妖怪王・独眼流政宗は協力を申し出て、鈴女と名乗ったくノ一と共にいずこかへと旅立っていった。魔人について調べてみる、とのことだ。
本当は香達を護衛するつもりだったようだが、香は護衛を断った。政宗と鈴女は、香の目から見てもおそろしく有能だ。護衛よりも、信長の情報を探るほうにその能力を向けてほしかった。
だが政宗にまかせっきりというわけにはいかない。
妖怪の政宗では、できないこともあるだろう。それに香は、責任を取りたいと考えていた。信長の妹として、兄の凶状を止めなければならない。
勝家が眠りに着いた後、兄を止めたい、と3Gに相談すると、思い悩んだ表情が三つ並んだが、最終的には賛同してくれた。
「ですが」
「我々だけでは」
「難しいですな」
3Gが言った。勝家の怪我を抜きにしても、三人で動くにはどうしても限界がある。信長の追っ手は今も香を追跡中だ。庇護者を見つけるという意味でも、誰かの力を借りなければならない。
誰を頼るかと考えると、二つの選択肢があった。
ひとつはこの地の統治者、武田家の力を借りること。
織田家と交戦中である武田家は、信玄を欠いたといえどいまだ有力だ。織田家の姫である香が交渉を持ちかければ、協力してくれるかもしれない。ただ交換条件は持ちかけてくるだろうが。
ふたつめは、陰陽機関・北条家を頼ること。
北条家は鬼を封ずることを生業とした家。JAPANの歴史と伝承とについての知識は、随一だ。現在地から多少遠く、織田領とも隣接していないのが難点だが、魔人について何か知っているかもしれない。
「いかがいたしましょう ×3」
3Gが二つの案を香に示すと、香はうん、と頷いた。
「できることは、全部やりましょう」
言い切って、香ははにかむように微笑んで見せた。
「鈴女さんや政宗さんには、まけてられませんから」
強がりの笑みであることは、本人も3Gも承知していたが、今はその強がりこそが、香を支えていたのだった。
3Gは香の言葉に頷くと、できるだけ明るい声で言った。
「そうですな」
「ではまず、近い方の」
「武田家に取り次いでみましょう」
「うん……お願いね、3G」
3Gに言うと、香は空を見上げた。青い空に、夏の太陽が照っていた。
――進むべき道は、政宗が示してくれた。
だから今は目標に向かって進むだけだ。魔人となってしまった兄を止めるのだ。
ただ、後のことを考えると、前に進むことができなくなりそうだったので……できるだけ、考えないようにしている。
そんな香の感情を察したのか、3Gが香の顔を覗き込んで言った。
「香様、すこしお休みになられては」
「ここなら、しばらくは安全じゃろうて」
「こんな粗末な小屋で、面目次第もござりませぬが」
本当に申し訳なさそうに頭を下げる3Gに、香は手を上げて答えた。
「だいじょうぶよ、3G。でも……そうね、少し寝るね」
3Gに気を使った面もあったが、確かに身体は疲れきっていた。
3Gが用意した枕に頭を付いて、縁側に寝る。
兄が変わってしまってから、これで何度目の寝入りだろうか。
僅か数ヶ月前の平穏とした日常は、すべてが夢のように懐かしく、そして遠く感じられた。降り注ぐ陽光だけがあの頃と変わりなく柔らかに香を包んでくれていた。
懐かしい香りを感じながら、香は眠りに入った。
目が覚めればまた辛い現実が待っている。それまではどうか、懐かしさに浸っていたかった。
一方そのころ。
信濃と佐渡の国境で、謙信軍と県政軍とがにらみ合いを続けていた。
謙信軍の数は三千。ほぼすべてが、武田家から借り受けた兵達だ。
武田全軍の規模から見れば少なくはあるが、質は決して低くない。かつて敵だった軍神を味方として戦いたい、という希望者が殺到したからだ。流石に騎馬兵はいないが、むしろ質だけ取ってみれば、四将軍の部隊にも劣らないだろう。
だが対する県政軍の兵数は、軽くニ万を越える。
県政に従う上杉家の兵が、それだけいるということだ。
「妙ね」
と、謙信の直江愛が呟いた。
陣地の中央から遠眼鏡で県政軍を見てわかったのだが、彼らの軍勢は奇妙なほど統制が取れている。
かつての謙信を中心とした精鋭女の子部隊ほどではないが、理にかなった陣地を構築しているし、動揺も見受けられない。
県政に万の軍を纏めるほどの能力があっただろうか。
愛は不審に思う。何か、よくないことが起きている。
「ともあれ、こちらから仕掛けるのは難しいわね」
三千の兵で七倍の相手に攻撃をかける。無茶だ。
開戦当初は謙信を旗印にすれば、少なく見積もっても県政軍の三分の一はこちらに投降してくると踏んだ。が、計算ずれが起きたようだ。
……ずれが誰のせいかは分かっている。織田信長だ。
いかなる手段を用いたかは想像したくもないが、大体の予想はつく。
と、深刻な表情で思い悩む愛に、軍装の謙信が近寄ってきた。
謙信に気付くと愛はふう、とため息をついた。
「愛、たの」
「だめ」
一秒で瞬殺。謙信が悲しそうに眉を曲げた。
「……まだ何も言って」
「駄目です。また『突撃しよう』って話でしょう」
「……」
黙りこむ。図星らしい。
「泣きそうな顔をしても、だめなものはだ・め・で・す」
愛は有無を言わさず断言した。
六度目だろうか。突撃しよう、という謙信の打診は。
いままで幾度と無く単身突撃してきた謙信だが、今度ばかりは認められない。
下手を打てば再び人質を盾に取られ、囚われの身となってしまう。今度は間違いなく謙信の命は無いだろう。同じ過ちを二度繰り返すわけにはいかないのだ。
謙信の武勇とカリスマは確かに強力だが、人質に対しては無力だ。
極端な話、この戦は謙信抜きで勝つのが理想だ。
むろん、人質を盾に取るのは県政にとっても最後の手段。
奇襲だった一度目とは違い、今度は双方にとって十分な時間がある。へたに民衆と敵対する行動を取れば、県政配下の兵が謙信軍に加わりかねない。
普通の判断力を持つ人間なら、そんな一か八かの賭けはしない。 ……が、あの県政の判断力に期待できるか。無茶な話だった。
愛も手を打っていないわけではない。
人質の救出を幾度も試みた。しかし全て失敗。
県政がそんな優秀な諜報能力があったとは思えないため、例によって織田家の力だろう。県政の周囲に怪しげな三度笠の集団がたむろしているという噂を耳にする。
「あの、失礼します」
と、その時、一人の本陣つき女性武士が、申し訳なさそうに愛に近寄ってきた。
「どうしたの?」
「はあ、実は」
「……鉄砲、売るよ」
女性武士の背後から、棒読み口調の売り文句が聞こえてきた。
愛が目をやると、そこには一人の少女がいた。おかっぱ頭、服はスクール水着の上にセーラー服というよくわからない格好。……とりあえず明らかに上杉軍の者ではない。
また、服以上に愛の目を引いたのは、華奢な身体には不似合いに重そうに肩に引っさげている、鉄の棒だった。
「あなたは、どなた?」
「柚原柚美。……鉄砲、買って」
「はあ?」
そこで会話が止まる。何がしたいのだこの子は、と怪訝そうに首を曲げる愛。
仕方なく、そばの女性武士に話を聞くと、どうもこういうことらしい。
柚原柚美と名乗った少女は、丹羽から来た、とだけ自己紹介して、『鉄砲を売る。とにかく威力を見て欲しい』の一点張り。
適当に相手をして追い返そうかとも考えたが、話しても話してもまったく諦めない。しょうがなく愛の元まで連れて来た、とのこと。
ある意味根性の勝利である。
「つまり、武器商人?」
「……うん」
にしては口下手すぎる。無口な押し売りとは初めて見た。
無礼な物売りは普段なら問答無用で追い返すところ。しかし愛は思いとどまった。柚美の強い目の光に、なんとなく興味が沸いたのだ。
それに、新兵器に興味が無いわけではない。
愛は柚美の望みどおり、一度実演させてみることにした。
丘の上。弾込めを終えた柚美が、すっと膝を地面に付く。
柚美の後ろでは、愛と警護の武士数人、そしてなんだか面白そうだから、とばかりに謙信が見物の姿勢を取っている。
柚美は愛用の銃・箒星を、流れるような動作で肩に乗せた。
その瞬間、柚美の意識は標的のみに集中する。
銃口は水平に。先端は的の延長線上に。意識は標的の中心に。
一瞬の間の後、柚美がぐっと指を引いた。瞬間、パァン、と乾いた破裂音がした。跳ね上がった鉄身から白煙が上がっていた。
同時に数十メートル向こうの的でも、白煙が上がっていた。命中したのだ。
「へえ」
愛は目を見張った。目をこらすと、的の中心部に黒い穴が開いている。
「……こんな感じ。……撃つ?」
なんとなく誇らしげに胸を張り、予備の銃を差し出す柚美。
愛は銃を受け取ると、さきほどの柚美の格好を思い出し、膝を地面についた。すると柚美が側に近寄ってきて、愛の腕を矯正した。
「違う。脇は締めて、膝に肘をつける。砲身と視線は真っ直ぐ。あと足は後ろに踏ん張る。こんな感じ」
いきなり饒舌になり、逐一指導する柚美。どうやら生粋の鉄砲マニアらしい。
柚美の指導のもと愛は引き金を引いたが、一発目は的を反れた。
「間違ってない。あとは感覚を修正するだけ」
「こう?」
修正を加えたニ発目、三発目は立て続けに中心近くに命中。
「……うまい」
「どうも」
柚美に礼を言いつつ、愛は打ち終えた銃身をしげしげと見つめた。
武芸の才能をそれほど持たぬ愛が、一分足らずの指導と一発の試射で、あれほどの精度で当てられた。しかもあの威力だ。この武器はなかなかに強力だ。
どうやら発射に火を利用しているため、雨には弱そうだが……晴天の野戦、あるいは篭城戦においては切り札となり得る。
愛は柚美に値段を聞いた。
「六百丁で、このぐらい」
少々高価ではあるが、払えぬ額ではない。
「謙信様」
愛は振り返ると、銃を持って言った。
「どうだ、愛」
「良さそうですね。買いましょうか」
「うむ」
「商談、成立?」
「そうね。頂くわ。金は現物と引き換えで」
柚美は嬉しそうに僅かに笑うと、愛と謙信にぺこりと一度ずつ礼をした。
そして、きびすを返し納品の準備のためその場を後にする……かと思いきや。
「あ」
柚美は再度振り返った。
つかつかと二人のそばまで歩み寄ると、箒星をくるりと回し、銃口を地面に向ける。箒星の持ち手の方を謙信に差し出した。
不審に思う謙信と愛に向かって、柚美は淡々とした口調で言った。
「……六百に、一足す」
「はい?」
「ええと、……あの、……わたしも、協力する」
軍に入りたい、ということらしい。愛は目を丸くした。
少女ではあるが、商売の交渉人となっていることから、種子島家の重鎮だろうに。
「え。いいの?」
「……軍神様だから……特別サービス」
どうも気に入られたようだ。
謙信は愛の顔をちらと見やった。愛がこくりと頷く。柚美の腕は先ほど確認している。間違いなく鉄砲の名手だ。部隊指揮官として適任だろう。
愛が頷いたのを確認してから、謙信は柚美の手を取って笑った。
「ありがとう。ぜひ、力を貸してくれ」
「……はい」
一時的とはいえど、二人は主従の誓いを交わした。
一方、愛は既に先のことを考えはじめていた。
鉄砲隊は、切り札と成り得る。の運用を如何にすべきか。雨に弱く一発撃てば補充は効かないが、強力な遠距離攻撃である。最も効果的に県政軍を追い詰めるための運用法は。
そこでふと、愛は顎を上げた。
やはり鉄砲のことは鉄砲屋に聞くのがよい。柚美に声をかける。
「種子島でどんな戦術を使っていたか、教えてくれる?」
「……えっと」
柚美のたどたどしい表現を、愛が解読していく。
『一撃必殺わんわん砲』
敵先陣を十分に引き付けてから、多数の鉄砲で撃つ。これで相手前線は崩壊する。あとは機動力を無くした敵を、ゆっくりと掃討すればよい――という戦術らしい。(最後のわんわんに何の意味があるのかはさっぱり不明だった)。
が、それには相当な数の鉄砲が必要だ。六百丁程度では、撃ち終えて隙だらけの鉄砲隊が残った敵に狙われてしまう。
愛が指摘すると、柚美はこっくりと頷き別の案を披露した。
『夢の連携』
――要約すると、敵の進軍を謙信の突撃で止め、そこに鉄砲を撃ち込む、というものだった。
「……こういう作戦」
「なるほど」
謙信が納得したように呟いた。好ましい作戦に感じられたらしい。
なるほど敵の混乱は増すだろう。上杉軍には鉄砲が広まっていない。謙信の突撃に鉄砲が加われば、県政軍全軍を恐慌で崩壊させられるかもしれない。
……が、ふたつ問題があった。
一つ目は、謙信の脅威を今以上に大きく見せかけることで、県政が追い詰められてしまうこと。
二つ目は、こちらの方がより深刻で根本的な問題なのだが。
「駄目ね。それでは、謙信様に流れ弾が当たるでしょう」
「ふむ?」
謙信が柚美の方に振り向いて、僅かに首を傾ける。
すると柚美は、何かを悟ったようにこっくりと頷いた。
どうやら意思疎通が図れたのか。謙信は力強く宣言した。
「愛、大丈夫だ。よける」
あまりに馬鹿げた発言に、突っ込むのが遅れた。
どのあたりが大丈夫なのだ――と、愛が言いかけた瞬間。
柚美が謙信の後を引き継ぎ、あまり無い胸を張って言った。
「大丈夫。……よけて撃つ」
馬鹿が二人に増えた。
大変失礼なことを考えつつ、愛は諦めに首を振った。
「(……似たもの同士だったのね)」
ともあれ切り札が増えたわけだ。運用にあたっては果てしなく頭が痛いが、今はその材料が増えたことを喜ぶことにした。
決して自分を誤魔化しているわけではなくて。
「あの、愛様。ところで」
と、頭痛の種を増やした柚美が、愛に問いかけてきた。
なぜか落ち着きなくきょろきょろと辺りを見回しながら、だ。
「その……てばさきは、どこ?」
「てばさき? 騎馬兵のこと?」
「そう、そうとも言うかもっ」
それ以外の呼び名があるのだろうか。
とはいえいまさら隠す情報でもない。愛は素直に答えた。
なぜか跳ねた語尾のことまでは、気が回らなかった。
「騎馬兵は、この軍にはいないわよ。今は南と西……どうかした?」
『いないわよ』の時点で、柚美は既に泣きそうな顔をしていた。
愛に返事もせず、とぼとぼと去っていく柚美。しょぼんとした背中からは哀愁がこれでもかと言わんばかりに漂っている。
その悲しそうな背中の理由を愛が知ったのは、柚美にとっては不幸なことに、かなり後のことだった。
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