「ということで、きみには武将になってもらう」
 翌朝のこと。信玄はランスの座敷牢に顔を出すと、何の前置きも無くそう言った。
 普通の人間なら何がなんだかわからず面食らうところだ。
 事実、シィルは目を点にして信玄の言葉が理解できずにいる。
 が、ランスは信玄を怪訝な目で見ると、一言。
「やだ」
 返事を返した。それはもう完膚なきまでの拒否である。
 座敷牢に沈黙の時が流れる。
「……ら、ランスさまあ!?」
 数秒の間の後、悲鳴が上がった。ようやく話の展開に頭が追いついてきたシィルが、ランスの言葉の意味に気付いたのだ。
 しかし、ランスとしては当然の答えを返したまでであった。理屈はこうだ。
 超優秀な不世出の英雄である俺様を部下にしたいのは当然だ。だが、こいつは何の罪も無い善良な旅行者である俺様(とランス自身は信じていた)を座敷牢に放り込んで両手両足を縛ったうえ、一日も放置した極悪人である。
 そんな奴に何の説明もなしにわけのわからない勧誘をされても、承諾できるわけがない。だから断る。
 世界の常識を完璧に無視して、ランスの行動規範は常に自分だけが中心だった。
「だが、条件次第ではやってやらんこともないぞ」
 同時に悪知恵だけはよく回る男だった。特に美女と美少女に関しては。
「へえ。聞こうか」
 これまでのランスの言動、行動から半ば、いや九割方以上提案の内容を予測しつつも、信玄は一応聞き返した。
 するとランスは大きく胸を張り、器用にも縛られた手で己の胸をどんと叩くと、大きな口を開けて言った。
「香ちゃんを俺様にくれれば、将軍でも殿様でもやってやろうではないか。がははははは!」
「(ああ、やっぱり)」
「(ああ、やっぱりぃ)」
 信玄とシィルの心の声がハモる。
 出会って僅か一時間足らずで、信玄はランスの性癖をほぼ完全に把握していた。
 とはいえ、特に珍しいことでもない。何しろ全身がそういう原子で構成されているような男である。
「うーん。それは前払いというわけにはいかないなー」
 信玄が苦笑して言った。シィルは目を丸くして驚いた。
 てっきり完全拒否するかと考えていた。というかそれが普通だ。
 家族の貞操を見ず知らずの男に売り払うような男は、普通いない。
 そのうえ信玄には何の見返りもないのだ。
「ほう。では後払いならいいわけだな」
「まあ、そうかもしれないね」
「ABCの三回ローンでもいいか?」
「それは本人に応相談かな」
 交渉がスムーズに進む。瓜二つの男が向かい合って交渉をしている様子は、まるで仲の良い兄弟のようだった。ただし内容は腐っている。
「がはははは。前にもそんなことを言ったおっさんがいたがな」
「あにうえーーーー!」
 甲高い声が三人の耳に響く。信玄が振り向くと、香が目を吊り上げて信玄に抗議の視線を向けていた。
 香はつかつかと信玄に歩み寄ると、未だ縛られたままのランスと距離を取りつつ、信玄を見上げて声を荒げた。
「香、立ち聞きはいけないよ」
「た、たまたま通りがかったんです!」
 無理の有り過ぎる言い訳である。どこの姫が城の離れにある座敷牢にたまたま通りがかるというのか。が、信玄は特に指摘もせず、続く香の抗議を聞くともなしに聞いていた。
「それより! 人の貞操を訪問販売のように売らないでくださいっ! なにを考えているんですかあ!」
「まあまあ。まだ決めたわけじゃないよ」
「そうそう、今は大事な商談中だ。ぐふふふふ」
 ランスの直球でいやらしい笑い方に、香は眩暈を覚えた。相変わらず妙に気が合っている。が、ここで引き下がるわけにはいかない。武田家の一大事なのである。あと貞操の危機でもある。
「そ、そもその人は兄上の名を騙る大罪人ではありませんか!」
「僕は別に気にしないけど」
「兄上はお優しすぎます! 罪人を将軍に取り立てるなんて狂気の沙汰です! 即刻打ち首か、最低でも国外追放すべきです!」
 声を荒げて香が言った。少なくとも貝の法度的には、香の言うことは正しい。
 主君の名を騙るのは、武田の地にあって最大の罪とされる。
 最大の罪に対する罰とは、即ち死刑だ。ただし、これには例外がある。
 君主の名の元に恩赦を出す特例が、当然のことながら存在するのだ。
「んー。でもね、香。これは僕だけで決めたことじゃないんだよ。もとはといえば、透琳の提案でね」
「透琳さまが!?」
「そう。昌景や義風、彰炎も、ランスの起用に賛成してくれた。まあ、透琳以外はみんな渋々といった感じだったけどね」
「……う……」
 香は考える。例え法に規定されていても、信玄自ら軽々と原則を崩したのでは領民に示しがつかない。自らが作り上げた原則を軽々しく破っては、民達が法を守るべくはずもないのだ。
 それは透琳達が、そして誰よりも信玄が最も嫌う権力の腐敗を意味している。
 にも関わらず信玄はランスの罪を許すという。その重大性に、香はようやく気が付いた。
 理由はわからねど、武田家にとってランスという男にそれほどの価値がある、と認めたということなのだ。それも信玄のみならず、あの厳格かつ聡明な透琳や昌景までもが。その信じがたい事実は、香に反論を許さなかった。
「……仕方ありません……で、でも!」
 これだけは譲れない、と香が力の限り手を広げ、叫んだ。
「武将とするのはともかく、わ、私は決して貴方のものになどなりませんよ!」
「ああ言ってるけど」
「がはははは。俺様にかかればすぐにめろめろだ」
「きいているのですかー!」

 縄を解かれ、木張りの廊下を進むランスが、信玄の後を進んでいた。ランスは簡素な着物を着ているのに対し、信玄の服は特別あつらえらしく橙色の模様が美しく輝いている。 その傍らには、武田全軍の軍師である透琳が付き添っていた。
「僕個人としてはね」
 ふいに、信玄が真顔になって言った。
「君は、香にとって良かれ悪しかれ、何らかの切欠になってくれるだろうと思っている。だからこんな誘い方をするんだ」
「おお、香ちゃんか! うむ貴様見る目があるな!」
「お館様」
「わかっているよ、透琳」
 ランスが怪訝な視線で透琳と信玄を交互に睨んだが、透琳は気に留める風すらなく、また信玄は視線を笑顔で受け流していた。
 個人としては、ということは、武田家という組織の思惑が、また別にあるということだった。信玄は言外にこう示唆したのだ。ランスの起用には、純粋に政治的な意味合いが含まれていると。
 もっともランスはそんな微妙なニュアンスに気付くような男ではなかった。
 よしんば気付いたとしても、他人の計略を気にかける男でもなかった。

 城の本丸手前の城門で立ち止まると、信玄は振り返って透琳に笑いかけて言った。
「じゃあ僕は戻るけど。透琳。あとは任せたよ」
「はっ」
 透琳は跪くと、その姿勢のまま信玄を見送る。ランスはその様子を見て、何気なく呟いた。
「JAPANの武士も、こーゆーとこはリーザスと大して変わらんな」
「はあ」
「土下座して見送るのかと思っていたぞ。つまらん」
「ええと……」
 シィルが曖昧に答える。ランスのこういう言動に、はっきりと答えればどうなるか、身をもって知っているのだ。
 とはいえ曖昧な答えを返しても、不興を買うときには買ってしまうのだが。
「ランス殿」
 透琳がすっくと立ち上がると、ランスを正面から見据えた。その視線は相変わらず鋭い。今は潜めているが、先日の透琳の目は、すくみ上がるほどの静かな殺気を湛えていた。シィルはその視線の冷たさを思い出し、なんとなく背筋が冷たくなった。
 信玄の名を騙った罪は許すというが、感情はそんなに簡単に整理がつくものだろうか?
 いや、そもそも何故大罪を軽々しく許すのだ? 透琳も香姫も、信玄さえも、罪を許す理由、武将に起用する理由については一言も触れていなかった。もっともランスが何も聞かなかったからだからかもしれないが……。
 シィルの不安をよそに、透琳はランスに向かって言った。
「貴殿には、すぐにでも戦場に出ていただくことになる」
「香ちゃんはどこだ?」
「敵は北。村上家の砦のうち一つを、三日後までに落とす。その為の兵は与えよう」
「ああ、本丸の方か。仕方ないな。警備が鬱陶しいから夜に忍び込むか」
「丁度、部隊長の後任を決めかねていた。見事統率してみせよ」
「だが強引というのはよくないな。双方の同意のもとにというのが俺様的なブームだから、じっくり口説いてやろう」
「副隊長には既に話してあるが、軍隊として力を発揮できるかどうかは、貴殿の力量次第だ」
「うむ、安心するがよい。俺様の幾多の経験をもとにした超テクニックでめろめろにしてやろう」
「ランスさま、会話になってませんよ(微妙に成り立ってますけど)」
 何の脈絡もなく香姫の夜這いを宣言するランスもランスだが、それを完璧に無視して話を進める透琳も大物である。間に挟まれる立場のシィルにとっては気が気ではない。
 なにせ当人から許されたとはいえ、殿様の名前を騙ったのだ。今この瞬間に、城の全兵力がランスとシィルの敵に回ったとておかしくない。
 が、今のところ透琳は本気でランスに部隊を任せるつもりらしく、兵舎の位置から訓練の時間、武田家独自の兵種の分け方についてまで淡々と説明を進めている。
 相変わらず無表情であり、シィルにはとてもその表情の奥底にある真意を読み取ることはできなかった。

「以上。質問はあるか」
 透琳が一通りの説明を終えて、ランスをじっと見据えた。
「誰だお前?」
「……」
 透琳の表情が一寸も変わらないのを見て、ランスはつまらなさそうに言葉を続けた。
「軽いジョークだ。おいシィル、こいつ何か言ってたのか」
 話を聞いていなかったのはジョークではないらしい。
「あの、本当に聞いてなかったんですか?」
「なんで男の話を俺様が」
 むしろ最初から聞く気がなかった。
「あと三十歳若くて性別が違えば聞いてやったんだが」
 戦国最強を誇る武田家の、そのまたトップ5を相手にこの言い草である。
 透琳は呆れるよりもむしろ感心していた。第一印象の通り、とてつもない無礼者であり、大馬鹿だ。同時に天才でもある。見込みどおりだった。
「……ということで、砦に攻め込むんだそうです」
「うむ、だいたいわかった。2秒で落としてきてやろう」
「簡単に言うのだな。軍を率いた経験は?」
「100戦100勝だ。俺様は無敵だぞ」
「勇ましいことだな」
 透琳はランスの大言を軽く受け流した。誇張が9割9分を占めているだろうが、透琳の頭にあるのは、実績という、あまりに冷酷な判断基準のみである。
「とにかく、私からの説明は以上だ。何か質問はあるか」
「質問? そーだな……そーいえば、ここの人間はなんかえらく信玄に懐いてるが、なんでだ?」
「お館様は、生神であらせられる」
 透琳は一片の躊躇も無く答えた。何度と無く自問してきた問いだった。
「いや人間だろあいつ。神っぽくない。生意気にも俺様と同じ顔をしているしな」
「あの、透琳様はたぶんそういった意味で言ったのではないかと」
 シィルが口を挟んだが、透琳は特に気にした様子はなかった。おそらくランスの反応を予測していたのだろう。
「少なくとも、我らはそう信じておる。将が信じれば、兵も信じる。兵が信じれば、民も信じる」
「なんだ、つまり本当は違うんだな」
「違うとも言えるし、違わぬとも言える」
「めんどくさいなあ。ま、俺様にとってはどーでもいーことだが」
「頼もしいことだ」
 透琳は本心からそう言った。そして、話を切り替える。
「それから、貴殿の剣だが。喋る剣というものを、私は始めて見た。倉庫番が、気味悪いのではやく引き取ってくれとせかしている」
 それもそのはずだ。カオスはランスから取り上げられてから数時間、卑猥な言葉を喋り続けていたのである。まともな神経を持った人間では、2時間も傍にいれば間違いなく気が狂うだろう。
 壊そうとしても、壊せるものではない。捨てようとして、捨てられるものでもない。
 性質の悪さで言えば天下一の呪われた剣である。
「ああカオスか。だろうな」
「よろしければ、あの魔剣の由来を聞きたいが」
 並の剣ではないことはランスと剣を交えた瞬間に、いや相対した瞬間に理解していた。
 斬撃を受け止めたときのあの衝撃は、確かにランスの剣術の結果ではあろうが、それ以上にあの奇怪な剣の力が大きい。紫色の波動がランスの力を何倍にも増幅しているのだ。カオスがとてつもない力を秘めた魔剣であることを、透琳は既に確信していた。
「あんな馬鹿剣のことなんか知るか。本人に聞け」
「聞いたがまともに答えてくれぬ。残念ながらな」
「がははははは。あんなのとまともに話をしようというのが間違いだ」
 ランスが言わなければ真っ当な言葉だ。
 カオスがこの場にいれば『おまいが言うな』と即座に切り返すだろう。
「ふむ。とにかく、武器が無ければ槍働きはできまい。倉庫はあちらだ、取りに行くが良い」
「いらん。やる」
「なんと?」
 透琳が僅かに眉を歪め、驚いた風の様子を見せた。
「しばらく預かっとけ。邪魔だから」
「真か? あのような業物、JAPAN全土を探しても二振と見つかるまい」
「当たり前だ、あんなのが二本もあってたまるか! 鬱陶しいし、しばらく預けた」
「こりゃー!」
 と、ぴょん、ぴょんとゴムが伸び縮みするような音がランスの背後から聞こえてきた。
「なんてこと言うんじゃ、心の友よ!」
「げっ」
「なんと」
 ランスと透琳が振り返ると、そこでは信じられない情景が展開されていた。
 剣が曲がったかと思うと、大地に突き刺さった剣先が土を掘り返し、刀身全体が宙に浮く。その繰り返しで、剣はぴょんぴょんと飛び跳ねて移動している。世界広しといえど、自分の意思で「跳ねて」使い手に戻る剣は、彼だけだろう。
 カオスはランスの傍まで飛び跳ねると、剣先を一際深く地に刺して、抗議をするかのように柄を大きく膨らませてダミ声をあげた。
「ひどいですよー? あんな狭いとこで放置されたうえ、清楚なシスターさんも純情巫女さんも尋ねてこんとはー」
「来るわけないだろ。というかセルさんも巫女さんも俺様専用だボケ。手を出したら捨てる」
「わし、役に立ってきましたよ? これからも立つよ? 分け前くださいよ? ちびっとでいいから。さきっちょだけ」
「お前のさきっちょなんか入れたら、女の子のあそこが裂けるわ!」
「照れるぞい」
「今の流れのどこに照れる要素がある!」
 同レベルの問答を繰り広げるランスとカオス。透琳はその様子をしばらく黙って眺めていたが、ランスが柄にケリを入れる(そしてカオスが避ける)に至って、透琳は呆れたような口調でシィルに言った。
「……そっくりですな」
「ええ。本当に」

 僅かに盛り上がった丘の上で、ランスとシィルが眼下の軍勢を見渡していた。
 遠く夜明け前の山の麓には、村上家の軍勢が方円の陣で展開している。ランスの後方には弓隊が、左右には足軽隊が控えていた。武田家の真骨頂である騎馬隊は含まれていないが、総勢で三千は下らぬ大軍勢である。
 その全てについて、ランスが実質的に指揮を執る。新参の武将に対して四将軍に次ぐ待遇だ。異例の待遇といえた。異例どころではない。正に破格だ。
「うむ、そこそこに訓練されているようではないか」
 透琳に与えられた軍を見下ろしてランスは言った。上からの物の言い方しかできない男であった。
 JAPAN最強と名高い精強な軍隊を相手にして、とてつもない言い草だ。強がりではなく本気で言っているあたりが始末に負えない。
「まあ俺様の部下としてはへなちょこもいい所だが……ん、どうしたシィル」
 相槌が無いことを不審に思ったランスが振り向く。
「あの、ランスさま?」
 シィルは意を決したように言った。
「言いにくいんですけど……やっぱり、変です」
「なにがだ」
「罪に……ではなくて、只の旅行者をいきなり将軍に取り立てて、しかもこんなにたくさんの兵隊さんの隊長だなんて、絶対に変です。なにか落とし穴が待っているような」
「……」
 ランスは表情を変えない。怪訝に思うシィルだが、ランスが自分の話をまともに聞き入れるなど滅多にないことだ。気が変わらないうちに、と言葉を続ける。
「し、信玄さまと香さまは確かにいい人ですけど、でも、気を付けたほうがいいと思います。ペンタゴンの時みたいに……?」
 シィルはそこで言葉を止めた。
 ペンタゴンに利用されそうになった時、ランスの言ったことを思い出したのだ。
 シィルはランスの顔を正面から見た。ランスはにやりと笑っていた。
「いいかシィル」
 その声は力強く躍動感に溢れていた。少なくともシィルはそう感じた。
「俺様は英雄だ。そして、JAPANはどうやら乱世の時代らしい」
「はい」
「戦国のJAPAN、荒れ果てた地に取り残された美女と美少女! そこへ超美形でかっこいい俺様が、正義の軍隊を率いてさっそうと現れる。もうみんなめろめろ間違いなしだぞ」
「は、はい」
「信玄やおっさん共が何を考えているのかは知らんが、俺様は俺様のやりたいようにやるだけだ。もし邪魔になったら殺す。確かJAPANにはゲコジョークとかいう風習があってな」
 ランスはそこで一度言葉を切ると腰に手を当て、がははと笑った。
 そしてシィルに向き直ると、腕を組んでふんぞり返り、言葉を続けた。
「俺様を利用しようなど、無駄なことだ。スーパー英雄である俺様は、何をやっても絶対に成功してしまうからな。香ちゃんも含め、JAPANの美女姫と美少女姫は全部俺様のものだ。これは決定事項なのだ」
「はい」
「わかったら、そんな細かいことは気にするな」
「はい!」
 シィルは元気よく返事をした。
 結局疑問は何一つ解決していない。ランスの無根拠な自信が示されただけである。
 ただ、たった一つ、確認できたことがあった。シィルはランスのことがどうしようもなく好きなのだ。
「ランス殿! 全軍、準備整いました!」
 新しく部下となった副隊長の報告を受け、ランスはカオスを振りかざし、宣言した。
「がはははは、よーし。おてんとさんが上ったら突撃だー!」



 
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