晴天の下。大きく広げられた地図を、真田透琳が厳しい目線で睨んでいた。
ここは信濃の地、もと村上家居城の西方に広がる平野。そこに武田軍が陣を構築していた。追撃してきた織田軍を迎え撃つためだ。
時間を稼ぎ、援軍を待つ。戦術的にはそれがベストだろう。先の大戦での敗北が大きく響き、武田軍と織田軍の戦力比はいまや大きく開いていた。
時間を稼ぐならば、通常は篭城戦を選択する。
だが今回、透琳は野戦を選択した。理由は二つある。
一つは魔軍に篭城策は効果が薄いということ。いかに城が堅固といえど、人間を相手にすることを想定して建築されたものだ。空を跳び地を潜り火を吐く魔物達にとっては、無力そのものだ。
二つは、篭城となれば城壁の外の町は戦渦に飲まれることになること。敵指揮官は、あの魔人・織田信長だ。間違いなく、信濃の街の人間は皆殺しにされるだろう。それでは戦に勝っても何の意味もなくなってしまう。
――信玄と昌景。二人の死は自分の責任だと、透琳は自覚していた。同時に、二人が護ろうとしたものが、いまや透琳に託されたことも。
失敗は許されない。透琳は勝利への決意を静かな表情の下で固めていた。
そのための方策は、既に実行に移されていた。
法螺貝の音と共に、武田香が大軍の前に姿を現した。
簡素な木製台の上に立ち、草原を見渡す。万を超える軍勢を、正面から見据える形になる。
香姫は軍装だ。儀礼的な兜を被っている。鎧は信玄の鎧・盾無しの、肩当の部分だけを流用して、あとは流しの着物だけだ。
「みなさん」
香姫はできるかぎり大きな声で言った。
これから死地に臨む戦士達に、自分達の意思を伝えるためだ。
「私に、力を貸してください。そして、勝ちましょう」
信玄と昌景、大黒柱と支柱を失い、武田家にはもはや後がない。三度目は無く、敗れれば皆殺しだ。
全てを賭けて、織田軍を打ち破る。
言葉には表れねど、武田全軍がその意思を理解していた。
戦が始まった。
透琳が伝令を放ち、受け取り、的確な指示を出していく。指揮官としての全権は透琳に託している。何をやっているのか、香姫にはまるでわからない。
ただ現実として、視界の向こうでは織田軍と武田軍の戦いが始まっていた。
香の本陣は、前線からは距離があるが、それでも戦いの様子は見ることができる。空を跳び炎を吐く魔物が、武田の兵達を焼いている。石でできた巨大な人形が、拳で武士を吹き飛ばす。
むせ返るような戦場の熱気が、香の周囲を包んでいた。
「……っ」
香は震えをこらえていた。思えば最初の演説の段階で、自分の精神は既に限界を迎えていたように思う。
昌景が戦死したとの報告を受けた瞬間、喉の奥で金属を噛んだようないやな味がもわんと広がった。動悸が激しくなった。視界が端からぐにゃぐにゃとゆがんでいった。
椅子に座ってはいたものの、背もたれが無ければ後ろに倒れこんでいただろう。
「……」
『第二陣、突破されました!』
『三陣を後退。遊撃一軍を投入。側面から攻撃せよ』
秒単位で刻々と変わる戦況にも、香は表情を変えない。
いや、変えられない。少しでも変えれば、自分はそのまま戻ってこれなくなる。
初陣で、しかも劣勢の軍の大将。香にはとてつもない重さの精神的重圧が圧し掛かってきていた。
『内藤雅道殿、討死!』
「……う」
戦死の報だけが、いやにはっきりと聞こえる。そのたびに心臓がどくん、と跳ね打つのがわかる。
全ての指揮は透琳に任せた――そのはずだ。
だが責任は別だった。今自分が背負うものは、誰にも負わせることはできなかったことを知った。武田信玄の妹として、貝に生きる全ての人間はいまや自分を頼っている。
応えねばならない。
けれど何もできない。その事実に、心が引き裂かれそうだった。
人の命を預かってただじっと耐え抜くことが、正しく神業だったことを知った。
「……あに、うえ」
香は無意識的に呟いた。
『……!』
『右翼は前進。弓で牽制をかけた後、突撃せよ』
乏しい知識で透琳の指示に耳を傾けると、どうやら防戦に徹している味方が、うまく時間を稼げているようだ。
だが援軍はまだ来ていない。そもそも援軍が来ても、あの魔軍を倒すことが可能なのか。黒い思考が香の頭をぐるぐると回っていく。
『……』
透琳が何かを言っている。慰めの言葉だろうか。だが聞こえない。そんな言葉に耳を傾けるには、香はあまりに普通であり過ぎた。
一方、織田軍の総大将もまた、香とは別種のいらつきを覚えていた。
「気に入らんな」
飛行兵をもって先陣を崩したまでは良かったが、本陣を強襲すべく攻勢をかけた部隊は、てばさき部隊により片っ端から出鼻を挫かれた。今はこう着状態だ。
武田軍の対応は、見てからではとても間に合わない速度だ。前衛の足軽は突破されることを見越し、最初から準備していたに違いない。こちらの戦術を見通しているかのようだった。
「真田透琳。JAPAN一の軍師という噂ですが」
「……ふん」
信長は見下した視線で数キロ向こうの丘を眺めた。その丘には、四つ割菱の傍が数十本ほど立ち並んでいる。武田本陣だ。
「主力軍は先の戦で壊滅したはず。手間がかかるだけで、時間をかければ崩せるかとは思いますが……おや、出られますか」
「うむ」
信長はすっくと立ち上がった。
小姓から剣を鞘ごと受け取り、ゆらりと前進する。
「手間などかけていられるか。出るぞ。十分で決着を付ける」
「了解しました」
煉獄に言いつけると、信長はたった一人、本陣を出て悠然と歩いていった。
護衛は皆無。にも関わらず、煉獄も周囲の者たちも、微塵も心配する気配を見せない。
たとえ一人対一万人であっても、魔人が人間に敗れることなど、絶対に有り得ないことだからだ。
行く先は、武田本陣。
硬直状態の戦を崩したのは、最悪の一報だった。
「透琳様! 香姫様! の、信長です! 信長がこちらにっ!」
「うむ」
透琳がすっくと立ち上がる。それを見て、香も習って立ち上がった。
高台からだと、一見して理解できた。
一直線に突き進んでくる黒い甲冑の男の正体を。
『脆い、脆いぞ。くはははははは!』
信長はすべてをあざ笑っていた。
『ば、ば、ば、化物だ! うわあああ!』
『逃げろおおおおお!』
信長が剣を軽く振ると、その一太刀で竜巻のような衝撃波が立ち上り、数十人の武田兵が紙屑のように斬り刻まれていく。背後では死体が道となって連なっていた。
足利軍や天志教徒達は、あれと同様、ぼろくずのように命を消し飛ばされたのだ。
数百メートル向こうであっても、ひりひりと焼け付くような熱気を感じさせる男。彼にとっては武田軍など、道端の石ころ程度の障害にもならなかった。
「ここか」
信長はあっさりと武田本陣に到達すると、気色ばむ武士達をものともせず、悠然とあたりを見回した。
「大将は……貴様、ではないな。どいつだ?」
最初に透琳を指差してから、すぐに頭をふる。次に視線が本陣中央の香姫をとらえると、香はびくりと体を震わせた。
「ほう。小娘。貴様だな」
信長は舐めまわすような視線でゆっくりと香を眺めた。香は寒気と、それ以上の恐怖を覚える。凄まじい威圧感だ。大気が意識を圧迫しているかのようだった。
「よかろう」
やがて信長は満足げに頷いた。何かに納得したようだ。
「貴様は生きたまま犯し、狂う直前までの快楽と苦痛を与え続けよう。JAPAN人への見せしめとして、我が旗印に磔としてくれよう」
淡々とした口調。しかし余りに暴力的な物言い。
これまで体験した事も無い侮辱だったが、香は何も言い返すことができない。――恐怖で震えていたからだ。
「日本人は知るだろう」
香の内面を知ってか知らずか、信長は言葉を続けた。
自らの言葉に酔っているかのようだ。
「最強の国の国主はその実最弱の男であり、その妹もまた、苦痛に喘ぐただの牝犬に過ぎぬと。貴様は屈辱の旗印となるが良い」
その言葉で、香はようやく恐怖の束縛から解放された。思わず問い返してしまう。絶対に聞き逃せない言葉があったからだ。
もちろん、後半の自分への侮辱の言葉について、ではない。
「最弱の……男?」
兄がどれほど偉大だったか、今や香は理解していた。
全身の血が沸騰するのを感じた。
信長は、楽しそうに哂った。
「煉獄から聞いておるぞ。くくっ、哂わせるわ。なるほど、貴様ら人間達の薄っぺらい命を、預けるに相応しい男だったなあ?」
ぶちん。と、香の頭のあたりから音がした。この男は、言ってはならないことを言ってしまった。
全てを忘れて、香は叫んだ。
「あにうえを……愚弄、するなあーっ!」
手に持った軍配を投げつける。
信長は薄く哂うと、それをひょいと首の動きだけで避けた。
そして、人指し指を香に向けると、クン、と曲げた。
「少し、立場を理解させてやる」
途端、その指の先から黒い炎が出でて、らせん状の軌道を取りつつ、香に向かってきた。死の感触を直接肌で感じ、香は反射的に目を閉じた。思わず、助けを呼んでしまう。
「あ……」
――兄上と叫ぼうとした。これまではずっとそうしてきた。
が、止まる。それが虚しい叫びだと、既に悟っていたから。
だから――
「ランス……さんっ!」
兄の次に浮んだ名前、兄が自分に『頼れ』と言った男の名前を、呼んでしまった。
「おおう!」
するとなぜか……返事が聞こえたのだ。
香が目を開けると、目の前には見慣れた背中があった。
浅い茶色の髪。香より頭一つ半分高い背。緑を貴重とした鎧に身を包み、左手に大きな剣を引っ下げている。両隣に二人の女性をはべらせたその男の名を、香はよく知っていた。
「がはははは。待たせたな、香ちゃん」
香は呆然とした表情でランスを見上げた。思考が止まっていた。まさか本当に助けに来るとは思っていなかったから。
ランスの前方では、緑の壁のようなものがうっすらと輝いていた。先ほどの炎を防いだ障壁だった。
「マリス。少し暑いぞ、何とかならんか」
「力不足で。申し訳ありません」
「……ランス様、無茶ですよ」
ランスの横でシィルがこっそりと言った。
マリスの作った障壁は神魔法の基本の防御魔法。しかし手加減しただろうとはいえ魔人の攻撃を『少し暑い』程度に軽減させられるのは、大陸広しといえどマリスしかいないだろう。
「ランス殿」
ランスと同じく香をかばいに出ていた透琳が、ランスを睨んだ。やや抗議の意味合いが含まれている。
手はずでは信長が本陣に飛び込んできた瞬間、香姫に危機が訪れる前に奇襲をかけることとなっていた。時間稼ぎの本当の目的は、信長をこの本陣に呼び込むため。待つべき援軍は既に到着していた。援軍とは、五千人の軍隊ではなく、たった数人の英雄だ。
魔人を殺すことが、この戦争の第一目標なのだから。
ランスはひらひらと手をふると、にやりと笑って言った。
「わーかってる」
ランスはマリスに視線を向けて言った。
「マリス。香ちゃんを頼むぞ」
「はい」
返事を確認して、ランスはカオスをぶん、と振った。
こきこきと首を鳴らし、離れた信長に剣を向ける。
「よーし。行くぞシィル! がははははは!」
「雑虫が……」
香姫を蹂躙するという目的に水を指された格好の信長が、つまらなさそうに言った。
ゆっくりとランスを見やる。どう料理してやるか、と思案する。
その分だけ、初撃はランスが速かった。
ランスは地面を強く蹴り、突如、信長の懐に飛び込んだ。
「いきなりランスアターーーーック!」
「ほう」
ランスの踏み込みの速さ、そして決断の早さに、信長は目を見張った。なかなかの腕の戦士のようだ。
とはいえそれだけだ。慌てることなど何も無い。人間の攻撃は魔人には通用しない。無造作に捻り潰すだけで済む。
「どりゃあー!」
「……ふん」
そのはずなのだが――信長はランスの攻撃を受け、或いは跳ね返すのではなく、体をずらして避けることにした。
特に理由があるわけではないが、あえて上げればランスの剣が発する紫色のオーラに不気味なものを感じた、といったところだ。
所詮、ただの勘に過ぎない。
だがもし信長がその勘に従わなかったならば――
「……っ!?」
勝負は一撃で決していた。
カオスが信長の前の地面に激突した瞬間。爆音と共に、強烈な衝撃波が信長を襲った。
「ぐあぁ!」
刀身から爆散した禍々しい色のオーラが、凶悪な刃物となって、甲冑の腹の辺りを引き裂いた。傷は鎧だけではなく肉にまで至っており、信長のわき腹には大きな傷口が見え隠れしていた。傷から大量の血が吹き出していた。
「な……んだとッ!」
痛みに反応し、信長はとっさにランスとの距離を取った。信じがたいことだった。
「馬鹿な!」
切り裂かれた肌から流れる赤黒い血を見て、信長は顔を醜く歪めた。有り得ない。地上の支配者の一員、いや筆頭たる自分が、なぜ人間如きに血を流されねばならないのか。
信長は顔を上げ、ランスに向かって叫んだ。
「貴様……一体、何者だ!」
ランスは楽しそうに笑うと、
「がはははははは! 冥土の土産に教えてやろう!」
カオスを真っ直ぐに信長に向け、腰に手を当て、格好つけて言う。緊張感のかけらもない仕草だが、その風体は自信に満ち溢れていた。
「宇宙一の超英雄、ランス様だ!」
言い切って地を蹴る。ランスの斬撃がびゅおうと風を切って信長に襲いかかった。
「わかったら受けて死ね!! この俺様の華麗な剣さばき!」
「ちいっ!」
信長は上体を逸らし避けを試みる。だが皮一枚避けきれず、頬に一筋の赤い線が走った。
血が流れるのを感じ、信長はふたたび驚きを覚えた。
ランスが振るう紫の大剣。あれはまさか――
「日光以外の、魔人を斬る剣だと!?」
信長は戦慄に身を震わせた。
JAPANには一つの伝説がある。かつて魔人を倒した一人の青年がいた。その手には、淡く白い光を発する刀が握られていたと。
刀の銘は日光。その名の通り太陽のように白く輝く刀身を誇る。一見したところではただの日本刀だが、込められた魔力はいかなる魔剣をも凌駕し、想像を絶する切れ味を誇る。
地上の存在であれば、およそ斬れぬものは無いだろう。魔人や、あるいは魔王ですら例外ではない。忌まわしき魔人殺しの刀。それが、日光の真の力だ。
魔人の肉体を結界ごとやすやすと切り裂く日光は、魔人にとって最も警戒すべき脅威だった。
「とりゃあー!」
「があっ!」
信長はカオスを全力で弾く。さきほどまでの余裕は、もう無い。 がぎぃん、と鈍い音を立てて、カオスと信長の刀が激突する。
ランスの剣が日光と同種の力を持っているとすれば、うかうかしていては過去の二の舞である。
だが逆に言えば、あれさえ奪えば攻撃は通らなくなるはず。
確信を得て、信長はランスを第一目標に定めた。
「おおおお!」
ランスの手を狙い、気合の叫びと共に閃光の太刀を繰り出す。
「ぐおっ!?」
「それを寄越せっ!」
「ことわーる!」
『ことわる!』
カオスと共に軽口を叩きつつ、ランスは後方に飛んだ。
ランスの手には、最初の一合のじんじんとした感触が残っていた。忠勝をさらに超える、人外の域の感触だ。かつての魔人アベルトの一撃と同種のものだ。正面対決では分が悪い。
「無駄だッ!」
どん、と信長が踏み込み、追撃を始めた。ニ撃、三撃と、振るうごとに力を増す刃がランスを更に後退させてゆく。
「おおお!?」
『相棒、正念場だぞい。ふんばれ!』
「うるさい馬鹿剣! 俺様は無敵だ、絶対に負けない!」
ランスは言葉を証明するかのように後退を止め、踏み止まったまま信長のうなりを上げる連激を逸らしていった。
しかし余裕があるわけではない。一撃でもまともに受ければ、間違いなく死ぬ。人間とは違い、魔人の一撃は致命的なのだ。
ランスは攻撃を受け止めつつ、反撃の隙を伺っていった。
そのまま行けば、耐久力と一撃の重さの差で、ランスが不利な戦いだっただろう。
しかしここにはJAPANを代表する軍師と、リーザスを代表する軍師がいた。
全てはこの時のためなのだ。香姫を戦場に出し、過重な責任と負担を押し付けてまで透琳が達成を求めたこと。それは、ただ勝つということだ。
全ての準備は整っていた。
透琳の合図で、武田本陣の四方を覆っていた陣幕が、ばたんと倒れた。
「撃てっ!」
「魔人め、信玄様の仇!」
幕の背後から現れたのは、ずらりと並び弓を構えた武士達。雄たけびを上げ、信長に照準を合わせている。その数およそニ百人。
全て選りすぐりの戦士である彼らは、信長に矢の雨を浴びせた。
「小癪な!」
信長が舌打ちをする。普段なら矢など無視するところだが、カオスの影響が残っている以上、避ける必要がある。
「雑魚が、邪魔をするなっ!」
気合の言葉と共に両腕をいっぱいに伸ばす。瞬間、ドウンという力強い音と共に、紫の波動が信長から放たれた。波動は空間を紫色に染め上げ、空間の中にあった矢のほぼ全てが打ち落とされた。
「疾!」
そんな中、ただ一本の矢が、慣性を失わず信長の腹部をざしゅりと貫いた。百本の矢に紛れ、透琳が放った矢だった。
もとより中途半端な矢が信長に一撃を与えられるとは考えていない。百の矢は一の矢を有効打に変えるためのカモフラージュだ。
「ぐ……!」
信長の顔が苦痛に歪んだ。
「今です!」
瞬間、機を見計らっていたマリスが叫んだ。
すると弓を放った武士達の間から、一人の戦士が飛び出た。
長髪の美女。軽装の鎧に長い槍。
先の徳川戦役でランスの部下となった、戦姫と呼ばれる女戦士だった。
徳川征伐軍の中では三指に入る槍の達人であったため、決戦部隊に選抜されたのだ。
「ふふ……徳川が千。参る!」
戦姫はふつふつと全身の血が沸き立つのを感じていた。最初は前線で戦うことを望んでいたのだが、魔人と戦う機会などそうそうないだろうと考えこちらに志願した。どうやら選択は間違っていなかったようだ。
相対するだけで鳥肌が立つ使い手など、そうそういるものではない。
「はああっ!」
戦姫はひらりと跳んで信長との距離を詰めると、頭部を狙って槍を斜めに打ち据えた。がいん、と槍と刀が交錯する。
「邪魔だ……っ!?」
槍を受け止めた信長が反撃を試みようとした。
「馬場殿!」
が、透琳の合図とともに、巨漢の男が突っ込んでくる。
信長は目を剥いてそれを凝視した。
「ぐおおおおおおお! 喰らえい!」
もう一人の戦士、怒りの表情の男の名は馬場彰炎。
彰炎は戦姫とは逆方向から突進し、巨大な槍を横薙ぎに叩きつけた。
信長の剣戟もかくやという凄まじい勢いだった。
「ぐうっ!」
戦姫の攻撃を受けたため、刀で受け止めることはできない。
腕で受け止めるも、勢いを殺しきれない。
どごぉん、と、ものすごい激突音がした。甲冑が変形する。
信長は吹っ飛ばされ、数メートル先の地面に叩きつけられた。
「こ……の……!」
地面に叩きつけられた信長は、受身を取ってすぐに持ち直したが、表情には焦りと怒りが渦巻いていた。
「おのれっ! こんな、こんな馬鹿なことが……!」
信長は、魔人として蘇ってから最大の危機を迎えていた。魔剣の戦士と、それに匹敵する戦士が二人。更には後衛に弓使いが一人、魔法使いが二人。すべて強者ぞろいだ。
魔人としての信長は、過去数千年に渡り戦い続けてきた歴戦の戦士である。それゆえに、この状況が示す結末を理解していた。敗北の可能性を、認めざるをえなかった。
戦姫と彰炎が交互に繰り出してくる槍を紙一重でさばきつつ、信長は苦悶の表情を浮かべた。
また、人間に敗れる?
有り得てはならない。魔人が三度までも人間に敗れるなど。
槍使いの二人を退けつつ、信長はランスを凄まじい形相で睨んだ。湧き上がる怒りのすべてを、その元凶の男に叩きつけた。
「ランスッ! 貴様がぁぁぁ!」
『いまだ、いけー、やれー!』
「がはははははは! とどめだー!」
並の人間なら迫力で気絶しそうな視線を受け止め、ランスはカオスと共に馬鹿笑いをした。勝利を確信した風であった。魔人に対する恐怖感など、全く感じていないようであった。
戦姫達の間に割って入り、カオスを振りかぶる。
「とおー!」
それがまた、信長の怒りの火に油を注いだ。
「ガァァァァ!」
怒り狂った信長が、もはやなりふり構っていられない、とばかりに雄たけびを上げ、手を天に掲げた。次の瞬間、荒れ狂う炎が信長の全身から発せられた。
とっさにマリスが魔法障壁を張り、自身と香姫を守る。
「私の背後に!」
「は……いえ、あの、ら、ランスさん達がっ!」
香の言葉どおり、前線の戦士達には、至近距離から炎がまともに襲いかかっていた。
「あっぢぃーーー!」
「くっ!」
「なんのぉっ!」
腕で顔を覆い、炎の影響をなんとか抑える三人。しかしダメージは隠しきれない。戦姫や彰炎の衣の端々が燃え上がっていた。肌を激しく焼かれる痛みが三人を襲った。
だが致命傷ではない。それ故に意味が無い。
「えい、ヒーリング!」
「癒しよ!」
炎が止んだ瞬間を見計らい、シィルとマリス、二人の神魔法が飛ぶ。淡い緑色の霧は戦士達を包みこみ、すぐに火傷の跡を消し去っていった。
信長はぎりりと歯を噛み締めた。これでは何度炎を繰り出したとて無駄だ。信長がとどめを刺すまでに回復されてしまう。
「このっ……! 封印さえなければ、貴様らなどッ!」
かつての力を取り戻していれば、炎は今をはるかに越える規模となっていた筈だ。前衛を一気に突破し、後ろの魔法使い達を倒すこともできたはず。
だが今、現に、信長は敗れようとしている。
ランスがマントをはためかせ、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「わははは! 死ねやおっさん!」
「……!」
勝利を確信して、ランスは振りかぶった。今度こそ必殺の一撃を繰り出すためだ。
「ラーンス、あた……!?」
その瞬間。武田本陣を、突風が駆け抜けた。
嫌な予感を感じ、ランスが振り返る。
本陣の西の上空から凄まじい勢いで、何かが接近していた。
うおぉぉぉぉぉん、と、背筋を竦ませる咆哮が周囲に轟いた。
「なにぃ!?」
ランスは見た。水色の鱗の肌。凶悪な牙の生え揃った口。青い瞳、長い一双の角。頭から尾までが一体となった胴体をしており、その大きさは並の魔物とは桁違い。
その姿をあえて形容するならば、後ろ足が無く胴体の平べったいドラゴン、といったところか。
歴戦の冒険者のランスですら、見たことのない格好の魔物だった。
突風が吹き荒れる中、その巨大な龍もどきは、一直線に信長に向かって突撃した。
「まずい……!」
「……!」
マリスと透琳が、龍の意図に同時に気付いた。
「神聖分解波!」
マリスが反射的に魔法を放つ。透琳も矢を龍に向かい放つ。ほぼ同時の攻撃。龍が並の生物であれば、一瞬で打ち落とされていただろう。
だが、魔法と矢は龍には届かなかった。あまりにも速すぎた。
天幕の中央で戦いを繰り広げる四人に向かい、龍は飛び込んでいった。
「うお!?」
「ぬおおっ!」
「……く!」
信長と近接していたランスと彰炎、それに戦姫がステップを踏んで信長と距離を取る。あんなものの直撃を受ければ命は無い。
しかし信長は避けなかった。それが彼の味方だと知っていたからだ。
「式部ッ!」
式部と呼ばれた龍の尻尾を、信長は片手で掴んだ。
途端、龍は信長と共に一気に空高く舞い上がった。
宙に浮んだ龍は、上空数十メートルでいったん停止する。その下にいる信長は、腹に矢を刺したまま憎しみの表情を浮かべていた。
信長は叫んだ。
「ランス! 貴様は殺す、必ず殺してやるぞ!」
「がはははは。だったら降りてきたらどうだー?」
「……我が血の代償、尋常の域で済むと思うなッ!」
信長は怒りの形相で呪いの言葉を吐く。しかし挑発には乗らず、式部と呼ばれた龍に振り返り、合図のためか、腕をクンと動かす。すると龍はふたたび尻尾を揺らし、西の空へと飛んでいった。
「ぬおおおお! 待てええええええい!」
てばさきに飛び乗り、彰炎が後を追っていった。
「む……。物足りぬな」
戦姫が不機嫌そうに言い、前線へと赴いていった。
一方、透琳とマリスは、第一目標の達成がもはや不可能となったことを悟っていた。
所詮は地を走るもの。彰炎が空を跳ぶ龍に追いつくのは難しいだろう。そもそも追いついたところで、肝心のランス、というよりカオスがいなければ意味が無いのだ。
深刻な顔の透琳とマリスをよそに、ランスは香のそばに近寄ってくる。ランスは香に怪我が無いことを確認すると、腰に手を当ていつものように馬鹿笑いをした。
「がははははは。どうだ香ちゃん。俺様のすげー活躍は」
「……逃がして、しまいました」
「大丈夫だ。魔人ごときがいくら襲ってきても、何べんでもぶっ殺す」
ふんぞり返るランス。その無根拠な自信に満ちた態度を見て、なぜか香は、鬱屈した心が解放されていくような感覚を覚えた。
はずみで、涙を流しそうになった。
「……っ!」
この人にだけはそんなところを見せたくない、と、香は涙を懸命にこらえた。なんとか抑えられたが、身体と心の震えは止まらなかった。
この人はおそらく、というか間違いなく何も考えてない。しかしその無責任な態度に、自分はなぜか安心感を覚えている。
兄がランスに自分を任せる気になった理由を、香は漠然と理解した。
おそらく兄は、ランスなら――
「ということで、エッチしよう」
「……は?」
香のロマンチック思考は一瞬でぶち壊された。
「俺様は命の恩人様だからな、うむ。今ので三発分ぐらいか?」
ランスはうんうんと頷くと、大声で笑った。
「(ランス様……はあ)」
香の背後で、シィルが諦めのため息をついた。
「(普通に喋っていれば、望みが叶ったでしょうに)」
マリスがある意味感心しつつ、呆れた風な視線をランスに向けた。
「(ある意味、大物であるとは言えるか)」
透琳が本気で感心した視線をランスに向けていた。
「……っ!」
香が頬と耳を真っ赤に染めて抗議の声を上げるのは、それからすぐのことであった。
そんな五人を遠くから眺めている女がいた。大きくはだけた着物を着込み、木の枝に両足をぶら下げ、逆さづりで武田本陣を眺めている。
元伊賀忍、鈴女である。
「ほー、ほー」
鈴女は口をすぼめて驚いた風な表情をしていたが、やがて、
「見〜た〜でご〜ざる〜♪」
小悪魔的に笑うと跳ねるように立ち上がった。
彼女の視線の先には、刀身を魔人の赤黒い血で染めたカオスがあった。
ひゅん、と風を切る音を残して、鈴女は姿を消した。
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