街が、燃えていた。
かつて栄華を誇っていた尾張の街の中心部は、いまや轟々と燃える炎に包まれていた。炎は攻め手である武田軍ではなく、そこかしこを徘徊する魔物達によって放たれていた。
その目的は、街の家屋に隠れた反乱軍をいぶり出し、殲滅することだった。
「……これまでか」
その反乱軍の長である乱丸は、廃墟の暗がりで低く呟いた。
香姫の武田軍への参加を知った時に、乱丸は反乱を決意した。わずかに残った人間の理性を保つ部下達と共に、静かにひたすら時を待った。主の暴虐を、止める。その機会を待つ。
だが、機会と見た武田軍の攻勢が始まる、ちょうど三日前に、反乱の拠点である兵舎が魔物に襲撃された。何人もの同志が命を落とし、乱丸は追われる身となった。
おそらくはスパイが潜り込んでいたのだろう。
その後、乱丸はもはやほとんど廃墟と化していた城下町に潜伏した。
だがそれもこれまでだ。最早逃げる場所は無い。炎がすぐそこにまで迫っていた。乱丸は、刀の鞘を打ち捨てつつ、僅かに残った部下達に号令した。
「全員。南から脱出し、武田軍と合流しろ。魔物は私が引き付ける」
「そんな、乱丸様!」
「私以外に、それが可能なものはいるまい」
異論を挟む部下を無視して、乱丸は段取りを決めた。
この期に及んで乱丸に付き従う部下達は、位は低くとも、いずれも織田古参の兵たちだ。心に正義の芯を持つ、誠の日本人達だ。彼らには生きていてほしかった。生きて香姫に伝えてほしいことがあった。
まして。全てを捧ぐと認めた主の、突然の異変。暴虐に次ぐ暴虐を見逃し、命令とはいえ、あろうことかそれに加担しようとした自分の罪を、少しでも償えるのならば。
命を惜しむ理由など、あろうはずもなかった。
「生きろよ」
最後に低く呟いて、部下の無事を祈りつつ、乱丸は駆け出した。
行く手に、魔物の小隊がたむろしている。その背後を襲った。
『グアアッ!』
魔物の一体を、不意打ちで一刀のもとに切り伏せた。
死体を見ずに、乱丸は次の獲物を定める。
赤みがかった刀を手に、乱丸は魔物達と死闘を繰り広げた。群をなして寄せてくる魔物兵を、次から次へと斬る。斬る。斬る。十体は斬った。きりがない。それでも乱丸は斬り続けた。
「はあっ、はあっ!」
息が続かない。刀はとうに血糊で切れ味が鈍くなっている。
乱丸は前を見た。数体の赤い魔物兵に護衛された、魔物隊長の姿が見えた。乱丸はもう一度だけ最後の力を振り絞るべく、全身に気合を入れた。
魔物隊長は、百の兵を従える、人間で言えば武将格の魔物だ。あれさえ仕留めれば、しばらくは指揮が乱れるだろう。
『ミツケタ!』
護衛の魔物の一体が叫ぶと同時に、乱丸は跳んだ。まともに戦って、勝てる相手ではない。一直線に隊長に刃を突き出し、刺し違えてでも仕留める。
既に命の覚悟を済ませていた乱丸は、その瞳に魔物隊長の首だけを捉えた。と、そのとき。
魔物隊長と、赤の魔物兵の腹から、次々と何かが突き出していった。
「っ!?」
刺のようなそれは、矢尻だった。数十本の矢をその身に受けて、魔物達は前のめりに倒れた。乱丸は、倒れた巨体の背後から、軍勢が押し寄せているのを見た。
乱丸は目を疑った。信じがたい光景が展開していた。織田家の家紋を旗に掲げる軍勢が、そこにはあった。そしてその先頭に立つのは、きらびやかな鎧姿に身を包み、軍配を手にしてはいるが、間違いなく香姫その人だった。
「すすめーーー!」
幼い少女の、しかしよく通る号令が、乱丸の耳に響いた。乱丸は自分が助かったことを知った。
「香姫……さま……」
香姫が、すぐそばにいた。乱丸は、手当てを受けながら、胸の奥底で暖かいものが脈動するのを感じた。それは、本当に久しぶりのことだった。逃亡生活ではもちろんのこと、信長に異変があってから、はじめてのことだった。
その次に乱丸の胸に去来したのは、ずっと内に秘めていたはずの、悔恨の念だった。乱丸は香姫の前で姿勢を正すと、頭を垂れて叫んだ。
「申し訳ございませぬ!」
「乱丸さん」
「貴方の兄上を……お守り、できず……!」
香姫はそっと乱丸の肩に手をやると、
「いいえ」
静かに言った。
そして清洲城に目を向けて、はっきりとした口調で言った。
「まだです。まだ、終ってはいません」
それは、いかなる思いから発せられた言葉なのか。
香姫の鎧姿と、決意に満ちた表情から、乱丸は香姫の心の内を悟り、己のなすべきことを知った。たとえどのような結果となろうとも。香姫は、決着をつけねばならないのだ。
「勝家、無事だったか……。……?」
攻城軍に加わった乱丸は、香姫の軍隊に勝家がいることに気が付いた。あれから無事逃げ延びてくれていたか――と、安心感を覚えつつも、乱丸は怪訝そうに眉をゆがめる。
どうも勝家の様子がおかしい。乱丸との再開に、反応を示さない。いやそれはよいのだが、問いかけに対しても反応を示さないのは明らかにおかしい。
「……」
勝家は何かを見て放心しているようだ。その視線の先をたどると、ほとんど消し炭となった家屋の残骸があった。その家屋の名称を思い出して、乱丸はため息をついた。
呆れるべきか、悲しむべきか、それとも尊敬すべきか。迷いつつ、乱丸は勝家に告げた。
「寺子屋の子達なら、森に逃がしている」
勝家が反応した。首をぶん、と動かして乱丸に振り返った。目が輝いていた。いや、泣き出していた。滝のように涙を流しつつ、勝家は乱丸の手を取り、ぶんぶんと振った。
「おおおお! よくやったぞ、お乱! お主はこの戦一の功労者じゃあ!」
その馬鹿らしさ加減に、乱丸は違う意味で涙を流しそうになった。織田家がまだ終っていないことを知った。
一方。ランス率いる武田軍は、城攻めを続けていた。
徳川軍を蹴散らした勢いでもって、正門を突破した武田軍は、孤立した門を守る魔物兵達を駆逐しつつ、ひたすらに進み続けた。二ノ丸、三ノ丸を同じように瞬く間に突破したランスは、ついに一際大きい四ノ丸の門にまで到達していた。
門に向かい、既に武士隊が攻城兵器をもって攻撃を仕掛けている。ただこれまでとは違い、織田軍の防備は本格的なようだった。はしごをかけ、門に何度も木槌をたたきつけているものの、簡単に破れそうな様子は無い。
その様子をやや高台から観察していたランスは、同じく随行しているシィルに問いかけた。
「ここは、抜け道があるんだったな?」
織田を攻めるに裏道はあたり、裏道・抜け道・弱点の有無はあらかた聞きだしておいた。正門を容易に突破できたのも、香姫や3Gの情報をもとにしてのことだった。
「はい、ただ……むりじゃないでしょうか」
シィルは言いよどむ。信長の姿をしたこの城の主は、しかし信長の記憶をまだ持っている様子だったと、香姫は語った。この城の守りの要である四の丸の弱点を、そのままにしておくだろうか。
「ににん、ただいまでござるー」
と、そのとき。二人のそばに、木の上からすたりと影が降り立った。女である。
「うむ。どうだった」
「ぶっぶー」
鈴女は手で大きくばってんをつくり、首を横に振る。
「いっぱいでござる。通路に押し合いへしあいの魔物大合唱」
「うーむ」
「門のかんぬきも、でかいのが支えてるでござる。なかなか骨が折れそーでござるよ」
報告を受け、ランスは顎に手を当て考え込む。どうしたものかと思考をめぐらせる。
ほとんど反則に近い能力を持つ鈴女のことだ、そんな状態であろうと、潜入して閂を開けることも、不可能ではないだろう。しかし危険だ。そのうえ時間もかかる。
困ったランスは、とりあえず顔を上げた。軍師を呼ぶことにしたのだ。
「おーい、透琳!」
「は」
ランスの声に応え、透琳がそばに歩み寄ってきた。ランスは門を指差して言った。
「あれ、お前が何とかしろ」
すると透琳は、一言で応えた。
「お任せを」
透琳の命令は、次のようなものだった。全力を持って門への攻撃を、十数分続けた後、全軍を三の丸まで退かせる。そこへ追撃してきた敵を、伏兵をもって一網打尽にする。当然その際は、城門が閉まる前になだれ込み、閂を壊す必要がある。
命令はすぐさま実行に移された。
前線に予備隊を投入し、愚直なまでに攻撃を繰り返させる。その後、退却する。その最中に、ランスは傍の透琳に問いかけた。
「こんなんに引っかかるかー?」
「追うなと指示する者がいれば、追わぬでしょうな」
そんな指示をする者はいない。と、透琳は言外に示唆した。魔物は一対一であれば人間など及びもつかぬ力を誇るが、それゆえに自尊心が強く、統制も弱い。魔人や使徒が前線で指揮を取っていれば別だろうが、あの魔人信長がそんな真似をするはずがない。また、使徒達や魔物将軍達は、まむし油田に引き付けている。
そこまで透琳が説明したところで、前方からドオン、と鈍く重い音がした。
「おおっ」
ランスは感心の声を上げた。ランス達の目の前で、門が開け放たれた。巨人形の魔物が群れをなして突撃してきた。透琳の予測どおりに、魔物達が追撃を開始したのだ。肌色と水色の肉の壁が怒涛のように押し寄せてくる。その様は、普通の人間であれば間違いなく逃げ出してしまいそうなほど、恐怖を呼び起こしていた。
しかし透琳の用意した伏兵は、魔物の恐怖などものともしない者達だった。
「いざ!」
上杉謙信が、砦の影から姿を現した。そして、魔物の群れに刀を向けた。それを合図として、謙信とその軍は突撃を開始した。
「軍神殿に続けえーっ!」
てばさきを駆る武者達の先頭に謙信が立ち、彰炎に代わって騎馬の猛進を生身で牽引していた。彰炎自身は、少数の部隊を率いて、使徒が率いる織田軍主力――つまり魔軍――の背後を突くべく、まむし油田に向かっているが、切り込み隊長の代理としての役目を、謙信は十分以上に果たしているようだった。
謙信と彼女の率いる騎馬兵は、追撃してくる軍隊の横腹を食い破って瞬く間に蹴散らすと、開いたままの門に向かって突っ込んでいった。
最上階で、そのものは時を待っていた。
腰に差した魔剣の柄を手慰みに転がしつつ、何も無い宙を見上げる。
ときおり報告が入ってくるが、どれも悪い伝えだ。どうやら戦局は織田が劣勢のようである。それでも信長は、薄い笑みを浮かべたまま、静かに時を待っていた。
戦の勝敗など、どうでもよい。そう考えていた。魔人たる自分がひとたび前線に赴けば、たちまちに戦況は逆転するのだ。
ただしそれは、あの忌まわしき魔剣と、その使い手を八つ裂きにした後の話だ。
「くく……」
信長は武者震いに体を揺らした。誇り高き血が、ふつふつと煮えたぎってくるのを感じた。自分に傷を与えた男、魔剣の戦士ランスを、どうやって嬲り殺してやろうか、と何度と無く思いをめぐらせる。
煉獄に言われるまでもなく、信長にとっての第一目標は、ランスの殺害と魔剣の略奪だった。武田軍を率い、希望の旗印となるもの。ランス。その姿を思い起こすと、信長は自然と哂いをこぼす。
おかしくてたまらないのだ。
その希望が結局はまやかしに過ぎないと、彼は知っていた。
かつて、あの藤原石丸がそうであったように。自分によって、人間は、日本人は捻り潰され、惨たらしい死と絶望を迎えるのだ。信長はもう一度哂った。
と、階下から、足音が聞こえてきた。軽い。魔物のものではないようだ。
それはすなわち、信長にとっての敵だということだ。
「……来たな」
信長はゆっくりと視線を上げた。部屋には禍々しい雰囲気が漂っていた。
信長の目の前には、数十畳の長方形の大広間が広がっている。かつては評定の場として、代々の織田家当主がその決断を重ねてきたこの大広間も、今では魔の巣窟と化していた。
最大の違いは、中央付近にせせり立つ、一本の不気味な柱だ。呪詛の言葉が貼り付けられたその柱は、煉獄が提案し、立てさせたものだった。
その正体は、いまだ行方の知れぬ使徒・魔導が作り出した魔道具だ。
足音が、すぐ側に近づいてきた。信長は左手の杯の酒を飲み干した。
広間の襖が、荒々しく開け放たれた。
「ここかーー!」
広間の入口で叫んだその男は、緑のマントと白の鎧に身を包み、その手にどす黒いオーラを撒き散らす魔剣を携えていた。信長は目に炎を宿らせ、そのものを睨み付けた。
「お前が信長だな!」
『うほほーい! こいつはいい魔人だ!』
信長は左手の杯を床に捨てて、ゆらりと立ち上がった。だが、それ以上のことはしない。広間に飛び込んできたものたちの人数を、ゆっくりと数える。
ランスを先頭として、七人の集団だった。いずれも手練の戦士か、魔法使いであるようだった。
信長は嘲笑を浮かべたまま、自分に敵対する者達に、問いかけるように話し出した。
「よくぞ、ここまで来たものだ。わざわざ殺されに来るとはな」
「がはははは、攻めてきたクセに逃げ帰った奴が、何を言うか」
挑発し返すランス。そのわき腹を、つんつんと指でつつく者がいた。
「ランス、ランス」
「なんだ?」
「あれ、やばそうでござる」
鈴女が柱を指差して言った。奇妙な呪詛が周りを取り巻いていた。誰の目から見ても怪しい。
鈴女の偵察結果からは、大広間には特に仕掛け――釣り天井や落とし穴など――はなかったのだが、魔法的な仕掛けだとしたら、調査で見破ることはできない。
「む?」
「見るからに……罠、ですね」
マリスが冷静な口調で言った。
「知るか。それより、やっと見つけたんだ。さっさと殺すぞ!」
『いけ、いけ!』
「……」
調子のよいランスとカオスの言葉を聞き流しつつ、透琳がランスの背後で思案する。
入らない訳にはいかない。そもそもこうして固まっているのは危険だ。なぜなら信長は炎を使った集団攻撃が得意な魔人で、まだ攻撃を仕掛けてこないのが奇妙なほどだ。
そしてそれ以前に、ランスが、というよりカオスが近づかない限り、信長にダメージは与えられないのだ。透琳は結論を出した。罠なのは確かだ。そして、踏み潰すしかあるまい。
「どうした? 話すことなどあるまい。来るがよい」
「がはははは、言われなくとも!」
「待て、俺が先に」
「ランス殿。ここは政宗殿に」
政宗とマリスがランスを止めた。ランスはこの戦いのキーマンなのだ。行かねばならないのは確かだが、わざわざランスが最初に飛び込む必要は無い。
政宗ならば、その耐久力からして適任だろう。
「ふ。臆病風に吹かれたか? 魔剣の剣士が、聞いて呆れるな」
「なに。それはこっちの台詞だ、さっさと死ねい!」
「ランス殿!」
透琳がランスを制止しようとする。しかし遅かった。ランスの決断の早さが仇となった。ランスは警告を無視してカオスを両手で握り、信長に向かって一直線に突撃した。
「ランスさまぁ!」
それに一番早く続いたのは、ランスの性格をよく知るシィルだった。二人に遅れて、残る五人が動こうとした、
その瞬間。
信長がパチンと指を鳴らした。轟音が柱から轟いた。
「どおおおっ!?」
ブン、と何かがブレる音がした。次の瞬間、ランスの頭上を、銀色の金属塊が飛んだ。さっきまで何も無かった宙空に、いくつもの分厚い青銅色の壁が、突如として出現していた。
壁は、天井を、床を次々と突き破り、ランスとシィルの背後を次々と取り囲んでいった。
「はあ、はあっ!」
なんとかランスのそばに飛び込んだシィルは、背中を冷たいものが伝うのを感じた。青銅色の壁が、足の底の一センチ向こうにあった。一瞬でも飛込みが遅れていれば、下敷きになっていただろう。
滑り込んで体勢を崩したシィルは、ランスのマントの袖をつかんで、呼吸を整えようとしていた。
「シィル! ええい、立てばかっ!」
「は、はいいっ!」
ランスが珍しく焦りつつ、シィルの肩を片手で掴み乱暴に引き上げた。そして信長に振り返る。背を向けられる相手ではない。
「くはははは!」
信長は勝利を確信した風で、床を蹴った。全身鎧を纏っているにもかかわらず、すさまじい速さだった。それでいて理のに適った間合いの詰め方だった。
ランスとの間をたったの一歩で剣の距離まで縮め、信長は必殺の一撃を放った。
「おおおおっ!?」
ランスはなんとか身をひねり、剣を避けた。
冷や汗がランスの背中を伝った。以前の時より、更に剣速が増している。つまり、一撃受ければ間違いなく致命傷だ。
信長はランスの焦りに気付いたらしく、哂いながら言った。
「最初は貴様だ、ランス! 死ぬがよい!」
「ふん! 行くぞ、シィル! ぶち殺ーす!」
ランスは叫びつつカオスを横薙ぎに振るった。信長は余裕の表情でそれを受け止め、剣を上段から返そうとした。
「スノーレーザー!」
ランスを援護すべく、シィルが詠唱を完成させて、信長に叩き付けた。信長は冷凍光線を片手で跳ね除けて、嘲笑を浮かべつつ、ランスに更なる斬撃を浴びせた。
「鈴女、そっちはどうだ!」
「ににん! びっちりでござるー!」
一方、壁の裏側で、政宗達が奮闘を繰り広げていた。鈴女は床と天上を探り、抜け道がないかを探したが、上下左右とも奇妙な質感の壁で仕切られていた。早々に根を上げて、鈴女は政宗のそばに降り立った。
謙信と政宗は、力技で壊そうと攻撃を繰り返しているが、すべて弾かれてしまっている。
剣戟の音と、シィルの詠唱の声は、今も壁の向こうから響き続けている。しかしいかにも分が悪そうだ。事は急を要した。
「これは、魔法の力を感じます。発生元さえ壊せれば……」
マリスが壁に触りながら言った。透琳が頷いた。
「陰陽の張る結界に似ています。力技では、無理でしょうな」
「あの柱か」
しかし柱は壁の向こう側にある。ランスとシィルに、それを壊す余裕があるだろうか? 難しいだろう。
政宗はそう考え、別の方法がないか思案を始めた。その瞬間。
木がめきめきと崩れる音が、壁の向こう側から響いてきた。
剣戟の音が止み、信長の驚きの声が聞こえてきた。
『ぬうっ!?』
『おおっ、美人ねーちゃん!』
『梵天丸……ここか?』
ランスの軽口とともに、政宗の耳になぜか聞きなれた声が響いた。今この状況にあっては天の助けにも等しき、懐かしい者の言葉だった。
政宗の向こう側、ランスと信長のそばに、ゆったりとした露出度の高い着物の女が、飛び込んできていた。
壁の向こう側からのくぐもった声のやりとりに、政宗たちは耳を傾けた。
『なんだ、貴様は』
『下郎。梵天丸を、どこにやった』
『なに……』
魔人たる信長を完全に見下したその態度に、信長は一瞬あっけに取られた。妖しい雰囲気を漂わせるその女は、信長を無視したまま、問いかけを続けた。
『ここにいるはずだ。どこだ、梵天丸!』
「お町!」
政宗は声の主の名を叫んだ。
なぜ彼女がここにいるのか、とまず疑問に思うが、すぐに答えを出す。麗しい容姿と実力に反して寂しがり屋な彼女は、きっと仲間達に抜け駆けて、政宗に会いに来たのだった。
政宗はもう一度叫んだ。
「町! 聞こえるか!」
『おお、梵天丸!』
歓喜の声が聞こえてくる。しかし、今は再開を喜んでいる暇はない。政宗は力の限り叫んだ。
「そこに柱は見えるか!?」
『む? ……これか?』
「それを、全力で壊してくれ!」
不可解な命令に対して、しかしお町は何のためらいもせず、すぐにこくりと頷いた。彼女が政宗を疑うことは、どんな場合であってもありえなかった。
お町は手の平をゆっくりと正面にかざす。途端にお町の周囲で稲妻がバチバチと音を立てて鳴り、それが数箇所に分かれて集束していった。
集束した稲妻は、ふわふわと浮く結晶体へと変化して、火花を発しつつお町の周囲をぐるぐると回りだした。
「ランス、死ぬなよ!」
政宗の声に反応して、シィルがとっさに魔法障壁を張った。対して信長は、お町の行為の目的に気付き、止めようと駆け寄った。しかし間に合わない。
お町の周辺で大気の対流が止まった。お町の周囲を回る透き通った緑色の結晶が、ゆっくりと動きを止めて――そして、弾けた。
『……吹き飛べっ!』
鼓膜を突き破られそうなほどの音が轟き、直後、激震が清洲城天守閣を襲った。
稲光の束が結晶の破片から発せられ、広間に反射した。雷は凄まじい圧力を伴って床と壁と天井をずたずたにした。嵐の中心にあった柱は、木っ端微塵に破壊された。
「ぬおおッ!」
「どおわあーー!」
「きゃああああっ!」
むろん、その場にいた三人も、無事ではいられなかった。それぞれ防御体勢をとっていたものの、全員の体に電撃が駆け巡って、体機能を一時的に遮断した。
それでも最初に立ち直ったのは、人外の回復力を誇る信長だった。信長は電撃による板間のささくれを踏み砕き、悪態をついた。
「ちいっ、妖怪如きがっ!」
信長は顔を守っていた腕をどかし、あたりを見回そうとして、視界が遮られていることに気付く。倒れた柱からもうもうと上がる黒煙が大広間に充満して、視界を奪っていた。
ただ、足元に呪詛の柱の破片が転がっていることだけは認識できた。それは即ち、結界が完全に破れたことを意味していた。
「はあああっ!」
真っ先に結界を抜け飛び込んできたのは、刃を振りかぶった謙信だった。ほとんど同時に、政宗が続いていた。至近に迫った白の軍神と単眼の妖怪王を目にして、信長は顔をゆがめ舌打ちをした。
「毘沙門天の加護ぞある!」
「ザビエル、覚悟ッ!」
二人の気合の叫びとともに、一対の刃が振り下ろされた。
刃はそれぞれ、黄金色のまばゆいきらめきと、濃紫のことしえる輝きに包まれていた。金と紫の閃光が交わり、闇色の世界が斜め十字の壮烈な光に切り裂かれた。
「雑魚が!」
信長は叫び、両手を剣に添える。襲来する迅雷の双刃を頭上で受け止める。
瞬間、空気が爆ぜた。風が弾けた。三人の刃の接点から、荒れ狂う衝撃波が発せられた。衝撃波はその場を縦横に駆け抜け、大広間に立ち込めた黒煙を根こそぎに吹き飛ばした。
《 》
return to index
感想・連絡・苦情その他ありましたら掲示板または下記フォームにお寄せください。
執筆意欲になります。あと作者が泣いて喜びます。返信不要の場合、末尾に『/返信不要』とお付けください。