晴天の空が広がっていた。
「兄上。やっと、ここに来ることができました」
信玄の墓前で、香はつぶやいた。花をそっと添えてから、ゆっくりと目を瞑る。するとまぶたの裏に映るのは、激動の日々のこと。ランスとの出会い。兄の死と、昌景の死。同じ名前の少女との出会い。
そして……戦乱の、終幕。
魔軍との決戦から、既に一週間が経過していた。
清洲城で透琳からことの経緯を詳しく聞いた香は、そうですか、と、小さく呟いた。懸命に心の平静を保とうとしたものの、声は震えてしまっていた。
一瞬だけ元に戻った兄と、話す間もなく引き裂かれたあの少女の心情はいかばかりか。それを思うと、心が苦しい。
「……でも……」
ひょっとすれば――希望は、あるのだろうか。
ランスの話によると、信長は魔血魂と呼ばれる宝石にその身を窶したのだそうだ。魔血魂は魔人の魂の根源そのものであるという。ただ信長の魔血魂は、その他の魔人のものとは色が違った。完全な赤ではなく、緑がかっている。
なぜか。それはもしや――人間の意志が、残っているからではないか。
しかし、そんな状態にあるモノを一体どうやって扱えばいいのか、香には見当もつかなかった。透琳も知らなかった。もちろんその他の人間も知らなかった。
ランスの話によると、魔血魂を単純に飲み込めば、その者が魔人と化すだけだという。いったい、どうすれば――。
と、思い悩む香に、声をかける者がいた。
「どうした、香ちゃん」
ランスだった。胸の鼓動が、大きく跳ねた。
「何か、言いたいことがあるんじゃないか」
香はランスを見上げた。その言葉を口に出すべきかどうかを、逡巡して――そして、決断した。
この世には、どうにもならないこともある。そんなことは知っていたつもりだ。だが、抗うと決めたのだ。兄が信じた人だから。そして自分自身も、ランスを信じていたいから。
香は言った。
「香姫様を……兄君ともう一度、お会わせすることは、できますか?」
言い終えてから、香は懇願するようにランスを見上げた。
ランスは、いつものように自信に満ちた表情で強く断言した。
「わかった」
単純な答えだった。その答えに、香は涙を流しそうになった。自分が間違っていないと、それだけで確信できた。
「ただし、条件がある」
が、ランスはにやりと笑って、言葉を続けた。
「え?」
なんだろう、と香は思う。とはいえ協力を惜しむつもりはもちろんない。自分にできることなら、何でもするつもりだ。そんな香の心境を見透かしたように、ランスはその要求を口に出した。
「っ!?」
瞬間、香の思考が沸騰した。ぼん、と音を立てて、頬と耳たぶと額が完璧に赤く染まった。香は何かを言おうと唇を動かし、すぐに止めた。それが何度となく繰り返された。
感情が激しく入り乱れて、言葉がうまく出てこなかった。
「……っ!」
だが結局、最初から答えは決まっていた。いかに認めがたかろうが、自分の頬が赤く染まる理由が、羞恥だけではないことを、香は心の奥底で認識していた。
香はあきらめたように首を振り、ランスの目を正面から見据えた。一語一語を区切り、懸命にといった風でその言葉を発した。
「わ……かり、まし、た……っ!」
あまりにも照れくさすぎて、視線を合わせることはできなかったが、ランスが喜んでいる様子だけは伝わってきた。
早雲が尾張に着くと、すぐに清洲城に呼び出された。義風の助けにより早雲は蘭を助け、最後は再び武田に協力することができた。とはいえ、裏切りの罪がそれで消えるわけではない。
危険だと泣きながら止める蘭を振り切り、早雲は覚悟を持って広間に出向いた。
待ち受けていたのはランスとマリス、そしてシィル。早雲は意外に思う。透琳がいない。どうも戦後処理といった様相ではなかった。
「お、来たな」
ランスは早雲を見るや、どしどしと足音を立てて、そばに近づいた。そして、黄緑色の宝石を早雲の目の前に突きつけ、開口一番。
「お前がなんとかしろ」
「はあ?」
「ランス様……それでは、何もわかりませんよ」
シィルが苦笑いを浮かべた。
「私から」
マリスが冷静にことの経緯を説明する。いわく、この宝石は魔人の魂だが、信長の魂も混じっているのかもしれない。陰陽の力でなんとか分離する方法はないか、と。八方手を尽くしても、魔血魂に関する技術など、どこの文献にも残っていない。
だが、かつて使徒を封印した陰陽であれば――というのが、早雲を呼んだ理由らしい。早雲はあごに手を当てて考え込むが、やがて首を振った。
「……すまん。見当もつかない」
ランスがカオスを振り上げた。
「役立たずの裏切り者は死ね」
「ら、ランスさまぁ!」
シィルがランスを必死で止めようとする。
男相手にはまったく躊躇しないランスだ。かなり本気だろう。
「……む?」
早雲は、しかし振り上げられたカオスを目にして、避けるでもなく、何かの意思を込めてその刀身を睨んだ。そして、その場の全員にとって意外なことを呟いた。
「カオス。君なら知っているんじゃないか?」
『あん?』
「君は神代の伝説そのものだ。魔人の知識の保有者という点では、君に勝るものなどいないと思うが」
「なに。どうなんだ、カオス」
問い詰めるランスに対し、カオスは呆れたように答えた。
『知らんよ。儂はただの剣じゃ。そりゃ、魔人のことを多少は知っとるが――魔血魂をどうこうする方法など、詳しいどころか考えた事もないわい。そういうのは魔法使いの仕事じゃ』
しかし早雲は食い下がる。
「そうだ、君は言った。君と共に魔人に立ち向かった、魔法使いの知り合いがいると。比喩ではなく、全ての知識を蓄えた、全知の魔法使いだと」
早雲の指摘に、カオスが刀身から器用にも汗を流し始めた。どうも、慌てているようだ。
『し、し、知らん! そんな奴のこと、儂は知らんぞ!』
「今も生きている風な口ぶりだったな」
「それは……ひょっとして」
と、黙って思案を続けていたマリスが、口を挟んだ。
「最果ての賢者、ホ・ラガのことでしょうか」
その名を出した瞬間、カオスが異様な奇声を発する。
『おんごげえええぇえええぇぇ! な、な、なんでその名前を……!』
マリスが意外そうに呟いた。
「……ただの噂だと思っていましたが。本当のようですね」
「最果て? どこだ」
「ヘルマンの北、シベリアの雪の地と伝えられます」
「決まりだな」
ランスがすっくと立ち上がる。マリスにすぐに香姫を呼ぶように言って、自身はのしのしと歩き出す。そんなランスに、カオスは警告を発し続ける。
『やめろ、やめるんじゃ相棒! あれは、あいつは!』
「うるさい黙れ。シィル、行くぞ! 丁度いい、次はヘルマンだ!」
「はいっ!」
『がーっ、知らん、儂はもう、知らんぞ!』
「がははははは!」
カオスのぼやきとランスの景気のいい笑い声が、広間に共鳴した。
――そして、それからのJAPANはというと。
清洲城の廊下で、家康は戦姫とばったりとでくわした。
「ほう」
「げげげげっ!」
家康は怯えた。思わず身構える。この姫君は、はっきり言って異常だ。反乱の際はたった一人で精鋭狸軍団を突破し、家康の首をかき切ろうとしてきた。あの時は何とか勝利を収められたが、今度も同じとは限らない。
と、警戒する家康だったが、戦姫はふっと笑った。
「怯える必要は無いぞ」
「は」
「とりあえずは、我等は共闘者だ。そういうことにしてくれ、と頼まれたのでな」
「はあ」
一安心する家康。しかし、戦姫はにやりと笑い、言葉を続けた。
「だが、武田への義理を果した後は、お主と一戦交えねばならぬな。家族の仇を、黙って見ている訳にもいくまい」
「は、はは……」
「いや、実に楽しみだ。その時まで死ぬなよ、家康」
仇討ちと言う割には、あまりにさわやかな笑みを浮かべて、戦姫は去っていった。家康は胃がキリキリと音をたててきしんでいくのを感じた。家康の安寧の日は、どうもかなり遠そうだった。
貝の、てばさき牧場にて。
「うふ、うふふふふふふ。こっちおいで……こっち……」
ちっちっと指を振る柚美。きゅーきゅーと可愛らしく鳴くてばさきの子供が、柚美に近寄ってくる。至高の光景だった。至高の快楽だった。柚美はいま、幸せの絶頂にあった。この凶悪的なまでにかわいらしい生き物を抱きしめれば――自分は死んでしまうかもしれない。
が。
『ぴ……? ぴー!』
「!?」
てばさきは柚美の腕に収まる直前に、脱兎のごとく逃げ出した。子供とはいえてばさきである。とても追いつける速度ではない。泣きそうな顔で、柚美は振り返った。
「あー」
そばにいたもっこが、困ったような顔をして、柚美に言った。
てばさきは、火薬の匂いを非常に嫌う、と。
柚美はショックに立ち尽くした。顔面を蒼白にして、泣き崩れそうになった。己の存在意義の全てを否定されたのだ、無理もなかった。
その後柚美は、匂いを抑えた火薬を必死で開発し、結果として鉄砲の普及を更に促進することになるのだが――それはまた別の話だった。
「……行ってしまったな」
乱丸が呟いた。
香姫は旅立った。護衛はランスとシィル、そして鈴女の三人。ランスとシィルは当然として、残りは異国の風習に対応できるものが望ましい。そういうわけで織田を、というよりJAPANを代表して香姫の護衛は鈴女に託された。
「口惜しいが――」
最初は、香姫ではなく乱丸や勝家が行くべきだという話になっていた。危険だからだ。だが香姫自身の決断によりそれは無くなった。香姫は自分が決着をつけるべきだと考えていた。
その分、乱丸や勝家、3Gに迷惑をかけてしまいますが――と、香姫は申し訳なさそうな様子だった。尾張領を円滑に復興させられるのは、この二人と3Gを置いて他にいない。
魔軍の本拠となっていた尾張の再生。それは辛く長い道のりとなるだろう。しかし三人は喜んでその役目を引き受けた。香姫のためならば、苦労など喜んで受け止める。三人の思いは一致していた。
「お乱、手を貸してくれ!」
と、考えにふけっていた乱丸に、声をかけるものがいた。勝家だ。
「どうした?」
「崩れた寺子屋を建て直すのだ! 人手がもう十人ばかり欲しい」
「……。わかった」
想い人の相変わらずの様子に呆れつつ、乱丸は任務のために動き始めた。
目的を果たした香姫が戻ってくるその日までに、尾張を再び、かつてのように、優しさに溢れた土地に再生させねばならない。それは非常に重大で、かつ誇らしい任務だった。
不在の間に乱れてしまっていた旧上杉領の復興のため、愛は大忙しだった。武田の戦はこれからもまだ続くが、その前にまず、魔軍と県政の悪政の後始末をせねばならない。
「愛さま、MAZOの商人が御用商人願いを」
「品目一覧と身元調査書、それに財務調査書を、そこの机に。後で見ます」
「愛様! 鉄砲隊の再編成、完了致しました! いつでも出撃できます!」
「十分な火薬を用意しておきなさい。他兵科との軋轢が生じぬように、注意を払うこと」
「水田の一部が、魔物に荒らされて荒廃しています」
「援助金の交付を検討します。地主から詳しい話を聞いてきて」
「愛、なにかできることはないか」
「食べて寝ててください」
謙信が困ったような顔で愛を見つめた。愛は大きくため息をついた。
武田との協調路線を取ると決めはしたものの、魔軍との戦以降、大きな戦は起こっていない。ありていに言うと、謙信は暇だった。訓練に精を出すといっても限界はある。
「そんなに暇なら、ランス殿について行けばよかったでしょうに」
「いや、それは……」
「はいはい。待ってるのよね」
信長との決戦の後、ランスがすぐに旅立とうとしていると聞き、謙信は思い切って告白をした。あなたが好きだ、と正面きって。想いを伝えた。……伝えてみたのだが、その返事は保留された。ランスは慌てたような様子で、『帰ってきたら答える』と、返答を先延ばしにした。謙信は素直に待つことを決めた。
顛末を聞き、愛は一瞬意外に思ったが、なんとなくありそうなことだとも思ったものだ。
謙信は窓に近寄り、西の方角を眺めてつぶやいた。
「あの方は……今、どこで、何をしているだろうか」
「さあ。大陸のどこかでしょう。で、どこにいても、あの男の行動が変わるとは思えませんが」
「そうだな」
謙信が、感慨深げにつぶやいた。想い人が、この世界のどこかで大きな口を開けて笑っている。今はそれだけで十分だった。
「マリス様」
尾張で戦後処理を行っていたマリスの側に、音も無く降り立つ者がいた。赤い忍服に身を包んだ少女。
リーザス忍者、かなみである。
「そうですか」
報告を聞いて、マリスはゆっくりと頷いた。
ヘルマンがついに動いた。最強と名高い軍勢の全てを集中させて、リーザスへの本格侵攻を開始した。最精鋭のヘルマン第一軍は既に山越えを開始し、リーザス青軍がそれを迎撃中。これが、かなみのもたらした最新情報だ。
マリスはかなみに言った。
「戻ります」
「はい。では、先にリア様にお伝え――」
「いえ、それは別の者に任せます。あなたがリーザスに戻る必要はありません」
「えっ」
マリスが表情を変えぬまま言った。
「かなみ。あなたはランス殿を追いなさい」
「え、え、えええっ!?」
あえてその話題に触れないようにしていたのに。
などと考えるかなみを無視して、マリスは無情に話を続けた。
「ランス殿は、ヘルマンに向かっています。尾行して、状況を適宜報告しなさい」
ものすごく嫌そうな顔をするかなみ。だがマリスの命令は、ある意味では女王の命令以上に絶対だ。かなみは心の中で泣き声を上げつつ、こくりと頷いた。
「……はい……」
彼女の不幸は、どうもまだ始まったばかりのようだった。
訓練場でぶんぶんと槍を振り、訓練を続ける彰炎に、透琳が声をかけてきた。
「真田か」
透琳は彰炎に近づくと、小声で言った。最新の情報だ、まだ漏らすわけにはいかない。
「毛利が、動きを見せています。一戦、交えねばならぬでしょうな」
魔軍と化した織田にも屈さず対抗し続け、どころか明石を吸収して戦力を増した毛利だ。中部と東部を制圧した武田家といえど、簡単に負かすことは難しいだろう。
「数は互角。質も、毛利は武田と同様、戦を繰り広げてきた精兵ぞろいのようです」
「負けるかもしれぬ、とでも言うつもりか?」
「そうさせぬために、我等はここにいるのです」
「グワッハッハッハ! 違いない」
二人は知っていた。当主たる信玄を失い、大黒柱だった昌景はその命を落とした。それでも彼らの残したものは、いまだ武田の魂の中に生き続けている。
JAPAN統一という大きな夢の実現には、まだまだ問題が山のように残っている。だが、武田の魂ある限り、いつか夢が叶う日が来ることを、二人は確信していた。
尾張の茶屋で、奇妙な一団が休みをとっていた。
「政さん、これおいしーよー」
「ああ、もらおう」
折女から団子を受け取り、政宗はそれをぱくりと食べる。政宗達のそばでは、野菊が地面に数式や漢字を書いて、子供たちに勉強を教えていた。
「はい。これでりんごは八つになりましたー」
「なるほどー」
「じゃ、次は国語のお勉強ですよー」
民達は、妖怪に好意的だった。茶屋を訪れた際、最初は政宗や野菊の奇妙な姿に驚くものが多かった。しかし正体を明かすと、嬉しそうに武勇談をせがんできた。
尾張は元々、民たちの妖怪への抵抗の少ない地方だ。そのうえ、政宗達が武田に協力したことは知れ渡っている。魔軍に対して共同戦線を張ったことで、ある種の仲間意識のようなものが、芽生えているようだった。
「わーいわーい!」
なかでも偏見の少ない子供達は、率先して妖怪娘達に声をかけてきた。孤高の雰囲気を漂わせるお町の周りにも、十歳ぐらいの女の子達が、三人ほどまとわりついている。
女の子たちのお気に入りは、お町の、僅かに光るほわほわとした九つの尻尾のようだ。
「わー、すっごーい!」
「きれいー! さわっていいですかー?」
「む……少しだけだぞ」
まとわりつく少女たちに、お町はとまどいながらも許可を出す。すると子供達は、うれしそうに尻尾に顔をうずめた。
ノワールに対しても、同じように近所の子供たちが遊んでくれと屈託なくお願いしてきていた。ノワールがしぶしぶとそれに答え、糸で動物の形を作り出して人形のように動かす。すると、わあっと歓声が上がった。ノワールは照れくさそうだったが、同時に得意げでもあった。
「ははは」
政宗は笑った。
この休息も、束の間のこと。残してきた妖怪達のため、政宗は今夜にでも奥州に帰らねばならない。
それでも――人間と妖怪が再び共に暮らせるようになるのは、そう遠い日ではないようだと、政宗は思った。
西の雄、毛利家。その居城の一室にて。
「んー」
ちぬはお腹のあたりをさすって、首をかしげた。
「おさまった、のかな……?」
そのとき、襖ががらりと開いた。入ってきたのはちぬと同じ服を着た、二人の女。毛利の長女てると、二女のきく。つまりちぬの姉達だ。てるときくは、ちぬに近寄って言った。
「おう、ちぬ。ここにいたか」
「探したぞ」
「あ、おねーたま☆」
「ん? 何やってんだ、腹でも痛いのか?」
ちぬは首を振った。どう説明したものか、と視線を宙にめぐらせた。
「んー、なんか、えーと……おねーたま、安心していいかも☆」
「何をだ。それより、ようやく東に繰り出す準備が出来たぞ」
「ひがし?」
「そうだ。先ほど決めてきた。武田に、宣戦を布告する」
「戦国最強か。はっ、腕が鳴るぜ」
東、というキーワードに、ちぬは何事かを思い出す。そして、静かに呟いた。
「うーん、会えるかなー?」
あの時の少女は、東から来たと言っていた。今度会う機会があったら、報告とお礼をしよう。何故かはわからないが――貴方の言ったとおり、諦めないでいれば、なんとかなったよ、と。
自由都市の整備された街道を、四人が歩いていた。
鈴女、香姫、シィル、そしてランス。ランスとシィルは慣れたものだが、鈴女と香姫にとっては何もかも新鮮だったようだ。きょろきょろとあたりを見回しつつ、ときおり足を止める。
香姫は、元気だった。いや、元気な様子を見せていた。無理をしているのは確かだろう。この旅の目的が本当に果たせるかどうかは全く不透明だ、ということは最初に説明してある。
彼女は聡い。そのことをよく理解しているはずだ。それでも鈴女とランスは、香姫がそれに負けない強い少女だと知っていたから、案内役を引き受けたのだった。
「それでですねっ」
シィルは、香姫に対して自由都市の説明を続けていた。
ランスもまた、鈴女に大陸の話を誇張を交えつつ聞かせていた。
「というわけで、今から行くのはヘルマンという寒い国だ」
「レスラーみたいのがたくさんいる国でござるな」
「うむ。王族からしてそんなんばっかだ。だがこの国の姫は、それはもう凄い美女らしい! きっと女の子は可愛い子ばかりで……いや、まあ一部例外はいるが」
「例外?」
「なんでもない。ついでだ、ヘルマン観光もしていくか、がはははは!」
「にょほほ。さんせーい」
鈴女が笑顔で言った。ランスといると、いろんなことが楽しい。それは彼女にとって一番重要なことだ。そんな価値観すらも、ランスは教えてくれた。
信玄の墓参りを済ませた義風と香は、貝の領内を徒歩で見回っていた。田園ののどかな風景、信玄の守りたがっていた光景を見るためだった。うまやてばさきの姿が、そこかしこで見受けられる。領民達は香に気付くと、手を振って歓喜の声を上げる。
「のどかで、よいですな〜」
義風の言葉に、香はうなずく。こうしてのんびりと心を休められるのは、ずいぶんと久しぶりのことだ。
「はい……」
こうして余裕が出てくると、自然と香の脳裏には、ある一人の男の姿が浮かんでくる。香はほとんど無意識的に、ほう、と小さくため息をついた。
「そう、気を落とさないことです〜。きっとすぐに戻ってきますよ〜」
「べ、別にランスさんを待ってなんかいません!」
頬を真っ赤に染めてそんなことを言っても、何の反論にもなっていない。しかも義風はランスのことなど一言も言っていない。義風は、香の墓穴発言を受け、楽しそうに笑った。
「ははは〜」
「もうっ……」
香は恥ずかしさから目をそらした。
ランスは必ず、約束を果たしてから戻ってくる。そのこと自体は、香も疑っていなかった。
かつて信玄が信じたように、そしてこの戦乱でランス自身が証明して見せたように。ランスはきっと、世界の理すらも無視して、己の目的を果たしてしまうことだろう。
香は西の空を見上げた。眩しいほどにすみわたる青空が、どこまでも続いていた。この空で繋がる遥か彼方の地では、きっと今日も、気持ちよいほどの馬鹿笑いがこだましているのだ。
笑い声のそばで、自分と同じ名前の少女が、自分と同じように笑っていることを、香は切に願った。
(完)
《 後書き
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