上杉家を従属させた武田家の、次なる目標は貝の南に位置する北条家。
 その攻略の任にあたる前に、ランス達には束の間の休暇が与えられていた。
「ふー」
 休暇を訓練に費やすわけもなく、ランスは部屋でだらしなくくつろいでいた。シィルがその傍で大きな団扇を仰いでいる。どこの王侯貴族だと問い詰めたくなるような光景だった。
 そんなランスに、一人の男が正対していた。
「よいですかな」
 ランスとは対照的に、男はきちんと正座しており、態度は真面目そのものだ。
「いいわけあるか。男は帰れ」
 ランスが畳に寝転んだまま、不満げに言った。
「そうは参りませぬ。上杉家を従属させたとはいえ、武田家にはまだまだ敵が多くあります。表向きには影武」
「うるさい」
 ランスは不機嫌だった。
 謙信が会ってくれないのだ。正確に言えば、謙信の付き添いで捕虜となった直江愛が、ランスと謙信の接触を、あの手この手で阻んでいるのだ。
 力ずくで突破しようとはしてみたものの、恐ろしいほど周到な罠が仕掛けてあった。謙信の部屋の周辺に、落とし穴と飛び出し槍が大量に仕掛けてあることを、既にランスは身をもって体験していた。
 こうとなっては信玄との約束が悔やまれる。
「くそっ。愛ちゃんから落とすべきかなー?」
「拙者に聞かれましても」
「だーーー役に立たん! 大体なんで男が副官なんだ! 女の子の武将はいないのかっ」
「おりますが、ランス殿には危なくて近づかせられませぬ」
「ランスきーっく!」
「ごわ!」
 どげし、と脈絡のない暴力が長倉に襲い掛かった。
 寝転んだままの蹴りにも関わらず、凄まじい威力である。決して貧弱ではない体格の長倉が、瞬時に吹っ飛んだ。ごろごろと転がり、壁に叩きつけられる。
 それを見てシィルがあわてて駆け寄り、治療の魔法を唱える。
「だだ、大丈夫ですか? いたいのいたいのとんでけー」
「ぐ、ぶ、無事でござる」
 その様子を見て、また不快になるランスであった。
 明らかに自分が悪かったことは理解しているらしく、治療を止めるようなことはしなかったが。
「ちっ」
 これみよがしに舌打ちをすると、ランスは勢いよく立ち上がる。
 怪訝そうに眉を潜めるシィルと長倉の二人に背を向け、のしのしと歩き出す。
「あ、ランスさま? どちらへ」
「もういい。可愛い女の子に会いに行く!」
 強い奴を探しに行く、とでも言うような真面目な口調で、ランスが返事をした。そのまま部屋を後にする。
 残された長倉が、ふらふらと立ち上がりながら、シィルに言った。
「拙者、近頃、妙な胸痛と胃痛と耳鳴りがするようになっとります」
 とてつもなく疲れた口調だった。
 シィルもまた小さくため息をついた。それは間違いなく心労のせいだ、と思う。
 謙信の言った通り、あのランスの補佐が並みの神経で務まるわけがないのだ。そういう意味では、アイスフレーム時代に副官を満足にこなしていたカオルは、冗談抜きで偉大な存在だった。
 だからといって、シィルにはどうすることもできない。
 個人戦ならまだしも、軍隊の指揮はまったくの専門外である。
 シィルはもう一度ため息をつくと、城内のどこかでナンパをしているであろうランスを思いながら、後片付けをはじめた。


 城の中庭に設置された長椅子に、彼女はちょこんと座っていた。
 十代半ばの少女。後ろからなので顔は見えないが、みずみずしい紫色の髪に金色のかんざしを挿している。服は赤を貴重とした華々しい上質の和服。
 装飾こそ少ないものの、服の上質な生地とつくり、それによく手入れされた美しい髪の毛があいまって、少女は香るような高貴さをその身に纏わせていた。
 彼女の名は武田香。武田家の現当主、第二十代武田信玄の唯一の家族である。つまり、正真正銘のお姫様であった。
 そのお姫様の後方十メートルで、ランスがあごに手を当て何事か呟いていた。
「うむ。後姿も可愛い……むらむら」
 背後から押し倒したい衝動にかられているのだ。乙女の敵No.1の男であった。
「……む、だが」
 が、飛び掛る前にランスはかろうじて踏みとどまる。
 今やっちゃっては、武田家を追い出されてしまう。香ちゃんとは二度とセックスできなくなってしまうだろう。悪くすると自殺とかそんなとんでもないところまで行ってしまうかもしれない。
 仕方無しにランスは普通に香に近づき、普通に声をかけた。
「香ちゃん」
「あ、……ランスさん」
 香が振り向くと、そこには、彼女の兄と全く同じ顔があった。
 だが香には簡単に二人の見分けがつく。自分を見てにこやかに笑うのが兄。馬鹿笑いをするのがランスだ。
「何か、御用ですか」
 香はできるだけ平静を装った口調でランスに言った。
 下手に感情を見せると、またからかわれることになる。
「うむ、香ちゃんを口説きに来た」
「……っ」
 偽りの平静はあっさり打ち破られた。
「(――っ!)」
 怒りが頭痛となって香を襲う。反射的に立ち上がりかけてしまう。
 叱り付けたい衝動にかられたが、香は懸命の思いでそれだけは踏みとどまった。
 ランスを影武者として扱う。これは武田家としての決定事項だ。信玄が決定した絶対の命令だ。香が人目のある場所でランスを非難するのは、その決定をないがしろにするも同然の行為である。
 でも、と香は思う。
 出会ってから一ヶ月が経った今でも、ランスの直球極まりない物言いにはまったく慣れない。というか慣れたくない。自分の情操教育に、ランスは果てしない悪影響を及ぼしている気がしていた。
「……はあ」
 香はなんとか衝動を抑えこむと、代わりに諦めたように小さく息を吐いた。
 そして気を取り直し、体全体をランスの方向に向ける。
 ぴん、と、まるで二足歩行を試みようとする子猫のように、はたから見ても精一杯といった感じで、背筋を伸ばした。
 なめられては、いけない。
 香はまがりなりにもお姫様なのである。それも、戦国最強を誇る武田家の。
 恥ずかしい態度を、よそものに見せるわけにはいかないのだ。プライドが許さないのだ。
「こほん。いくら口説かれても、わたしはあなたの」
「お。なんだその箱」
 そんな香の健気な言葉を完璧に無視し、ランスが問いかけた。
 その視線は香の膝の上に向かっている。
 香がせっかく伸ばした背筋は、全く見ちゃいなかった。
「……。こ……この、この箱は、わたしの趣味です」
 青筋を立てつつも、無視はせず真面目に返答する香。
 人がいいのはとてつもない損である。特にランスに好かれた人間にとっては。
 ランスは箱をしばらくつまらなさそうに見ていたが、不意に香に問いかけた。
「趣味? 箱集めがか?」
「中身がです!」
「中身? ほう、面白そうだ」
「あなたにはまったく関連のないものですよ」
「美少女の趣味であれば、俺様はなんにでも興味が沸くぞ。香ちゃんの趣味であればなおさらだ」
 あーそうですか、と口の中で呟いてから、香が返事をした。
「……そんなに、見たいんですか?」
「ぜひ見せてくれ」
「しかた、ありませんね」
 そして香は箱の紐を解いていく。呆れつつもきちんと箱の中身を見せるあたり、やはり律儀なお姫様であった。
「見ても腰を抜かさないでくださいよ」
「なに。そんなに凄いものなのか」
「それはもうっ! ……う。こほんっ」
 反射的に出してしまった楽しそうな口調の返事を、香は咳払いでごまかした。が、恥ずかしさのあまり紅くなった頬は、全く隠せていないので、何のごまかしにもなっていなかった。
「あ、あなたに理解できるかどうかはわかりませんけど……」
 ランスから視線をそらしながら、香が言った。
 例え相手がどんな人であれ、自分の趣味を自慢できるのは嬉しいものだ。
 でもそれを認めるのも悟られるのも嫌。
 乙女の微妙な心の揺れ動きだった。

「じゃんっ」
 擬音をなぜか口に出しながら、香は中身を取り出した。
 それは、小さな貝のようであった。形は巻貝。色は全体的に深みのある、黒色に近い藍色で、とぐろの頂点付近に白い粒が粉雪のように舞っている。
「どうです?」
 香はその貝をランスの目の前に掲げ、高いトーンの弾むような声で言った。
「幻といわれるアンドロメダ貝の、そのまた最上級ものですよっ」
 言い切ると、香はえっへんと胸を張る。
 やや控えめなふくらみが、ランスの前に突き出された。
「わからないでしょうねーっ、この奇跡的な可愛さ!」
 あなたなんかにわたしが理解できるはずないですよー、という、香の小さな意地悪の意思表示だった。
 この貝に理解を示さなかったり、あるいはお世辞で見当違いな反応をするようであれば、思う存分馬鹿にしてやるつもりだった。いつもランスと信玄にからかわれている仕返しだ。
 もし信玄がこの場にいれば、香の意地悪の微笑ましさに声を出して笑っていただろう。
 しかし、ランスは違った。目を丸くして、呆けたように香が取り出した貝を凝視している。
 そんなランスの様子を見て、香は可愛らしく心の中で勝ち誇っていた。
「(えへん、わたしの勝ちですねっ)」
 香は安堵していた。こんな乱暴でエッチな人にわたしの趣味が理解できるわけがないんだ、ばんざーい……などと心の中で手を上げていた。
 心底子供っぽいお姫様であった。
「――」
 香が持つその貝は、上等な布に包まれてはいたが、一般人の目から見れば、どこにでも転がっているような貝殻に見えるはずだ。一般人の目から見れば。
 しかしランスの目には、そうは映っていなかったりする。
 シィルであれば、ランスの目の色が変わっていることに気付いただろう。
 しかし、ランスとの関わりの浅い香には、気付くことができない。
 ランスが反応を見せないのは、単に理解ができず呆然としているもの、と考えていた。
「この貝の価値、わかりませんか? ま、当然で」
「……お」
「お?」
「お、お、うううおおおおおおおーーーーー!」
 じっと貝を見つめていたランスが、いきなり大声をあげる。
「きゃあっ!」
 香の予想を遥かに超えた、ものすごい反応だった。
 その声には、演技にしては感情がこもりすぎていた。
 香は思わず後ずさりしてしまう。
「こっこここここここれれれこれはまさか、宇宙貝のあれか! 変種なのかっ!」
 ランスの凄まじい剣幕に怯みつつも、香は非常に驚いた。
 ランスの質問は、この貝の本質を鋭く突く良い問いだったからである。
 貝マニアの血がなせるものか、香は反射的に答えを返した。
「え、ええっ。一般的な宇宙貝の変種でして」
「変種というと! アポレノナクやシミセックとかか! だがどれとも違うように見えるぞ!!」
「そ、それはそうです。それらの変種は環境の違いに起因しますが、このアンドロメダ貝はそもそもの遺伝からして異なるため、殻皮の厚さが非常に特長的でして」
「ではこの見たこともないほど均一な殻質と、ごおじゃすなトーンとカラーリングはそのせいか!」
「はい、その通りです。で、でもこのアンドロメダ貝は環境に大きく左右されるので、これほどの一品はJAPANに二つとないはずですっ!」
「おおおーー! 超絶グッドだ! すっっっばらしいっ!」
 一般人には理解できない専門用語が、二人の言葉にずらずらと並んでいた。
「あ、あの。まさかランスさんも、貝をお集めに?」
 なかば確信しつつも、香はランスに問いかけた。
「うむそのとおり! とんでもなくすばらしいぞ、この貝は! 俺様のコレクションに是非加えたい!」
「え」
 香の顔が曇る。
「だめか」
「は、はい。これ、わたしのですから」
 香もまたランスに負けないほどの貝収集家である。
 アンドロメダ貝を小さな胸に抱きかかえて、はっきりと主張をした。
「(……あ)」
 言ってから、力ずくで奪い取られたりしないだろうか――などと心配になる。香の華奢な身体が、心配で更にぎゅっと縮こまった。
 しかしそれは杞憂だった。
「む、むー。そうか、まあ、そうだろうが……ぐむむ……いいなあ」
 ランスは素直に引き下った。言動は素直とは言いがたかったが、暴力に訴えかけるようなことはしない。貝に関してはある種のポリシーを貫く男であった。
 その姿になんとなく哀愁と、ほんの少しの親しみを感じて、香は身の守りを解いた。
 そしてランスに近寄り、控えめに声を出した。
「……あの。もし、珍しい貝が欲しいのであれば、貝塚に行けば」
「なに? 貝!? 塚!?」
 ランスはわざわざ言葉を分離させて強調した。
 なんの意味があるのですか――とは聞けない香であった。
 理由は、血走った目を浮かべているランスが怖いのが半分。あとの半分は、正直言って、ランスの感情が少しだけ理解できていたからだった。
「はい。ちょうどこの城の裏山に、珍しい貝がたくさん埋まった塚があるんです」
「なに! ではこの貝も」
「はい、そこで発掘されたものです」
 ランスは目を輝かせた。香でもわかった。何しろ瞳が傍目でわかるほどきらきらと輝いていた。表情が子供のようにいきいきとしていた。
「シィーーーーーール!」
 突然、ランスが大声で叫んだ。
 香がひゃっと悲鳴を上げて飛び上がる。が、ランスはそれを気にした様子もない。ランスはもはや香を全く見ていなかった。
 それから十秒と経たぬうちに、ピンク色の髪の女性が、戸口から中庭に飛び出してくる。
 シィルだった。
「はっ、はいーーー!」
「行くぞシィル、貝探しだ! がはははははーーー!」
「え、ええっ!?」
 鼻歌を歌いながらものすごい勢いでずんずんと進んでいくランスと、その後ろを慌ててついていくシィル。
 二人はすぐに中庭を出ていってしまった。

 取り残された香は、口をぱっくりと開けて呆然としていた。
 確か、自分を口説きに来たとか言ってたはずだが。
 ものすごい切り替えの早さと決断力だ。
「……ふう。それにしても」
 まさかあの人が、自分と同じ趣味を持っていたとは。
 今までは乱暴でエッチなだけの人だと思っていたが、それ以外の面も隠れていたのだろうか?
「香」
 そんなことを考えていると、背後から呼びかける声がした。
 香にとって、もっとも聞き慣れた声だった。
「あ、あにうえ。……あっ」
 返事をしてから、自分が呆けたように間抜けな表情をしていたことを思い出し、香は慌てて笑顔を取り繕った。信玄は香の様子を気にした風もなかったが、少女のプライドの問題だった。
「ど、どうかしましたか?」
 信玄はそれに答えず、香にすたすたと近寄ると、ランスが去っていった方向をちらと見た。そして楽しそうに言った。
「けっこう、気が合ってたみたいだね」
「……! そ、そんなことはこれっぽっちもありません! 最高に仲がわるいですっ! ええ本当に!」
 香の言葉は明らかに強がりだった。
 なんだかんだで、趣味を共有できる人間、コレクションを自慢できる相手を得られたことは、とても嬉しいものだった。
 信玄はそれを知ってか知らずか、にっこりと笑って言う。
「そうか。僕としては、仲良くしてくれるとうれしいんだけどね」
 信玄が香の頭を優しく撫でた。兄の手の温もりが、髪を通して香に伝わってくる。
 何となく自分の心情が見抜かれた気がして、香はばつが悪そうにうつむいた。
 が、その感情はすぐに消えた。
 香は思う。兄はそんなことを気にするような小さい人ではなかったと。
 香は信玄を見上げた。そして、笑ったままの兄に対し小さな声で問いかけた。聞きたいことがあった。今なら、話してくれそうな気がしていた。
「……兄上は」
 口出ししてはならないことなのはわかっていた。
 それでもどうしても聞かずにおれない。
「どうしてランスさんを、影武者にしたんですか?」
「ん」
 香が上目遣いで言った。視線は信玄の顔を真っ直ぐに捉えていた。その整った顔には、ほんの少しの不満の色が浮んでいた。
「確かにあの人の格好は、兄上に似ています。戦も、勝ちましたから強いんでしょう。でもあんな人ですよ?」
「――」
 信玄は香の言葉に、一瞬ふっと視線を遠くにさ迷わせた。
 答えるべき言葉を選んでいるかのようだ。その様子を見た香は、すぐに信玄の意思を悟った。
 信玄からは、二つの意思が明確に感じられた。
 一つ目は、兄は理由を話すつもりがなさそうだということ。
 そのつもりがあれば、即座に答えていたはずだからだ。
 そして二つ目が、理由を隠すことで香を傷つけまいとしている、ということだった。
 兄が視線をさ迷わせた後は決まって、香を優しい言葉で慰めてくれるのだ。
 信玄は数秒間じっとしていた。
 が、やがて視線を定めて香を見下ろす。
 微笑を浮かべたまま、信玄は静かに言った。
「ごめん。理由はまだ、言えない。でもその時が来たら、一番に香に話すよ。だからもうしばらくは、秘密にさせておいてくれないか」
 香は信玄の表情を見た。いつもと変わらぬ笑みを浮かべている。そんな兄の姿を見て、香は笑って頷いた。迷いは消えていた。
「はい、わかりました、兄上」
 兄の決断に、間違いなどあるはずがないのだから。


 
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