shinran in katusika and edogawa disricts


東京都葛飾区および江戸川区の親鸞聖人御旧跡


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はじめに

  私は以下のような展示会を知り、出席して親鸞聖人の
御旧跡が東京にも残っているのに感激した。−−−−        
  伝説、昔話、伝承に基づいての葛飾区の特別展示          
「親鸞と青砥藤綱−−東京下町の歴史伝説を探るーー」      
葛飾区郷土と天文の博物館特別展、                        
平成17年11月3日〜12月11日ーーーーー            
というのが開催された。                                  
今後とも勉強してみたいと思い以下に概要を書いてみます。  

  葛西における親鸞伝説                                  
  関東時代の親鸞聖人については、常陸方面を注視し、それ以
外の地域では親鸞聖人の足跡を示す良好な資料がないこともあ
って、あまり注目されていなかった。                      
  しかし、茨城県下妻市の光明寺に伝わる『親鸞門侶交名牒』
にあるように、常陸以外にも下総、下野、武蔵などの関東各地
に親鸞聖人の教えを受けた弟子や孫弟子がいたことがわかる。
それらの足跡を現す資料は、中世の戦乱による兵火や、時の為
政者による宗教政策によって多くは失われてしまった。各地に
は親鸞聖人やその門弟による布教活動の仏像・仏画、池や植物
などの伝説が語り継がれている。                          
  東京都葛飾区葛西地域に残る親鸞伝説にいち早く注目したの
は『遊歴雑記』の著者として知られる十方庵敬順である。ここ
では、四ッ木西光寺や光増寺などが取り上げられている。また
、『半田村光増寺御眞向由来」(5編の下、31)の項では、
「毎年御とりこしの法会(報恩講)を修行する他宗門」として
江戸近郊に所在する8つの寺院などが箇条書きでまとめて紹介
されている。                                            
  そのうち、葛西地域では、四ッ木の西光寺、宝町の西光寺、
東金町の光増寺、江戸川区の明福寺の4寺が記されている。  
  例えば、四ッ木の西光寺の項では、毎年3月8、9、10日
に御取りこし法会が営なわれていたこと。西光寺は古くは葛西
清重宅であり、清重は親鸞聖人の直弟として西光房と号し、親
鸞聖人直筆の御眞向が安置されている。西光房が刻んだ聖徳太
子木像を安置していること、清重所有の槍、長刀があること、
などが記されている。
【実物資料】
四ッ木西光寺
四ッ木西光寺略縁起 略縁起版木
縁起関連版木類
絹本着色阿弥陀三尊来迎図
紙本墨書六字名号 親鸞銘
宝町西光寺
略縁起版木
親鸞聖人像版木
木像聖徳太子立像
絹本着色高僧壱先達連坐像(新宿林光寺所蔵)区指定 文化財
東金町光増寺
阿弥陀如来立像版木
三拾壱 半田村光増寺御眞向由来
麻布墨書六字名号 親鸞銘
一茎三蓮
紙本着色阿弥陀如来立像
江戸川区明福寺
木像親鸞聖人坐像(区指定文化財)
親鸞聖人略縁起(東北大学図書館)
明福寺「24輩巡拝図会 後編之巻1
明福寺略縁起
聖徳太子像

親鸞と葛西清重
この地域を治めていた鎌倉御家人葛西清重の館を親鸞聖人が 訪ね、それが縁となって弟子になったとされており、光増寺も 親鸞聖人が清重の館へ赴くときに道を尋ねたことが縁になって 弟子になったとされている。長雨の雨が縁で結ばれたと言えよ う。

A1 四ッ木の西光寺


西光寺 超越山来迎院 天台宗
葛飾区四ツ木1の25の8


2005/11/25  親鸞聖人の縁を知って再度のお参
り。しかし新しい発見は無かった。親鸞聖人が
雨宿りをしてそれが53日の長逗留となり、清
重は親鸞聖人の信仰を受けて、法名西光房とい
ただいたこと、そして屋敷跡を草庵とした。後
日、この寺になったことは歴史の記述であるが
、寺には表示してない。ただこのお寺が清重の
屋敷跡であることが示されていた。          

A2 宝町の西光寺


西光寺 八幡山 真言宗豊山派
葛飾区宝町2の1の1


2003/05/06  入口右に弁財天堂があり幟が賑や
かである。「5月24日施餓鬼法要」とある。
正面は庫裏で左クランクして本堂。更にその左
は墓所。                                  
2005/11/25  新しい発見はなかった。残念。  
交通:新小岩駅から綾瀬行きバスで堀切中前バ
      ス停下車、東北へ200m。2度目の時
      には四ッ木の西光寺がら歩いたが、水戸
      街道6号線を水戸方面へ600m平和橋
      通を西北へ600m東北へ250m。  

A3 東金町の光増寺


光増寺 摂取山 浄土宗
東金町6の20の17


2003/05/28  掲示「花は黙って咲き、黙って散
ってゆく。わが身は生きて生きぬいて永遠の命
となりたもう」。入口の右に「親鸞お遺跡跡」
という石碑がある。その奥に倶会堂が建ってい
た。これは納骨堂のようである。創建後750
年を過ぎているようだ。入口の左には舟形地蔵
・道標がある。1696。岩槻街道慈雲寺への
道標らしい。本堂の右庫裏、左墓所。整った寺
だ。                                      
2005/11/25  親鸞聖人御遺跡という石柱を撮っ
てきた。
交通:バス停半田稲荷前下車、南へ100m。

A4 江戸川の明福寺


明福寺 天川山寂光院 浄土宗
江戸川区江戸川3の8の1

明福寺入口


本堂


聖徳大師堂


親鸞聖人堂


親鸞聖人旧跡石碑(旧)


親鸞聖人旧跡石碑(新)
2005/11/27  篠崎街道に入口があり、立派な石
柱標識だ。そこに石碑あり「親鸞聖人御旧跡」
。入ると左側は併設のルンビに学園(幼稚園・
保育園)である。参道を行くと、右に、まず小
さなお堂、佃観音堂(子育観音)、昭和10年
に佃島より移転、石仏の観音さんが安置。これ
と並んで次に、露出の「水かけ地蔵尊」、石仏
。次が、小さなお堂、大師堂、新四国南葛88
の28番、大日如来と弘法大師坐像安置、明冶
43年に建立。次が露出の1m強の「非母観音
立像」。次は立派なお堂で太子堂、親鸞聖人が
持参したと言われる聖徳太子の僧形立像(像高
1.5m強)と脇に親鸞聖人ゆかりの毘沙門天
と観音菩薩が安置されている、この辺りは傘職
人が多く、その人たちの講があるとのこと、古
いけど立派なお堂だ。次は親鸞堂、鉄筋コンク
リート、掲額の字は浄土真宗本願寺派太谷光照
門主の書、現在は持田栄一記念図書館という看
板がかかっていた。しかし中を覗くと、立派な
仏壇とピアノと講義を受けるような教養の机多
数と椅子多数があって法話などには大変便利な
ところだと思った、親鸞聖人御自作と言われる
真影(区指定有形文化財)を安置、また親鸞門
徒による鎌田講があって、毎年報恩講があった
が、最近は太子堂と併せて、4月第三日曜日に
催されている、と。縁起によると、親鸞聖人が
1226京都にお帰りになる途上に、立ち寄ら
れ、炎天で水不足の時だったので、老人に請わ
れて雨乞いをしたところ、大雨がふったという
。老人がこの地に留まるように懇請されて、親
鸞聖人は池のほとりに草庵を結び、3年ほど滞
在したと。池に自身の像を結ばせ、お自身の像
を刻まれこれが2尺5寸の尊像である。池は鏡
か池と言われるようになった。本堂の裏墓所の
手前にある。現在の親鸞堂は親鸞聖人700年
遠忌のときに鎌田講の講元原田吉蔵の寄進によ
って建立された。正面の本堂は、本尊、阿弥陀
如来、脇士観音・勢至菩薩を配し、脇壇に法然
上人尊像を安置、昭和3年の改築の建物である
。本堂の左に庫裏、木造2階建と鉄筋コンクリ
ート3階建。本堂の裏は墓所でここに親鸞聖人
の石碑が旧(寛政11年)と新(親鸞聖人70
0年遠忌のとき)と二つ立っている。        
交通:篠崎街道の鎌田宿バス停下車、街道を西
      南に70m。                        

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