1999/07/17 更新
中野の南部地区のお寺たち
「中野」の南部とは、勝手に次のように定義した。西から
南台、弥生町、本町、中央、中野、東中野です。    

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南台

宝福寺 真言宗
南台3の43の2
東隣に多田神社、隣り合せ。表通りの入り口から参道が登り50m
で門。境内に入る。正面は本堂。左に墓の入り口、その手前に観音
堂が由緒ありげに千社札が一杯貼られている。江戸33番観音霊場
の○○番と木の札があるのだが、字がかすれて見えない。正面の本
堂はきわめて綺麗で最近の新築であろうか。門の右側に筆塚の碑が
ある。立派な石碑で、これが明治3年戸村塾(のちの学校の発祥)
の跡とある。
 方南町で下車、そこから徒歩。方南通りを東へ、100mで二股
になりその狭いほうの道をとって、東へ行く。200mも行くと、
神田川にぶつかる。そのまま進むと、100mで、四つ角にでて、
そこに宝福寺と多田神社がならんでいる。1999/04/14           

不動院 日章山 真言宗
南台2の12の19
小さなお寺で、墓もない、普通の家造りのままで、入ると本尊がな
かにあるらしい。掲示板には、
「無益の句より成る 百の詩偈を口に誦ぜんより ききて こころ
のしずかなるべき 一法句を誦ぜんこそ はるかにもまさる」
法句経102とある。
宝福寺を出て、東南の方向へ500mで中野通りへ出る。それを横
切ったら筋で2つ目ぐらいだから、すぐに番地を見て、歩く、細い
路地に不動院がある。1999/04/14

清隆寺
南台2の48の7
これはまた驚いた。すこし変っている建物で一階は駐車場にしてあ
るのであろう、がらんとしている。この建て方からお寺らしいとは
わかるのだが、表札に清隆寺とあるだけで、縁起も掲示も何もない。
だから行事もなにも公表していないようである。これでは取りつく
きっかけがない。自分で自分の首を閉めている淋しいお寺だと思っ
た。勿論墓もない。宗旨もわからない。驚き。あるいは清隆寺とい
う名前の一般人かな。
不動院から、北へ道をとり、400m、中野通りに平行している道
をかまわず歩く。やがて番地が2の48になる。そこを探す。私は
そのまま48番をあるいていると方南通りまで出てしまった。でも
これで、48番地の区域がわかったので、また引き返す。48番区
域の西側の道筋にこのお寺がある。だから方南通りからは、南にま
がると、100mで清隆寺である。1999/04/14          
弥生

正蔵院 円遊山 真言宗豊山派 本尊聖観音菩薩 1532創建、
法印賢盛開基。
弥生4の12
方南町から新宿行きバスで、東大付属前バス停で下車、北へ歩く。
やがて少し車通りの多い道に出た。渡ると弥生3丁目が4丁目に変
る、この道を50mも歩くと、左側に寺が見える。20m先に門があ
り、これが正蔵院である。正面が本堂、左が墓、右は幼稚園と駐車
場。結構な広さの立派な寺であった。1999/04/16

本妙寺 要法山  法華宗 本門流 
弥生2の23の5
墓もない、普通の家のままの、小さい寺である。
旗がたっているのですぐわかる。南無妙法蓮華経、南無宗祖日蓮大
菩薩、と書いてある。
地下鉄中野新橋駅の北の道沿いで、駅前と云っていい場所である。
1999/04/16                                                  
本町

福寿院 西光山 真言宗豊山派 本尊 薬師如来、開基 智真上人、
本町3の12の9
道路沿いに門があり、案内板もある。正面には西光殿、左に本堂。
これがなかなか立派で、朱塗りの御殿になっている。右手は墓であ
る。南に面した傾斜地で、墓が下にあり、寺が上になる。毎月8日
21日午後2時より、経典読誦会とあり、開かれた寺である。
中野新橋駅下車、北へ上り坂の道「shopping road 中新」とある。
この坂の中腹100m。1999/04/16

霊妙寺 法華宗 
本町2の6の9
掲示板あり、どうぞお入りください、と。4月の供養と法話の会が
4月11日、「煩悩即涅槃の心」とあり、なかなかに開かれている
お寺。ご立派。4階建ての立派な鉄筋の寺で1階が本堂になってい
るらしい。それで、入り口のドアなど立派すぎて入り難いのも事実。
冷たい感じを与えている。これは惜しいなぁ。
中野新橋駅から神田川沿いに一番近い北側の道を東へ歩くと、約2
00mで、看板有り、右川、ほんとに川縁にこの寺がある。1999/04/16

成願寺 長寿の寺、多宝山 
本町2の26の6
毎週金曜午後6時半より坐禅会の案内板あり。また「莫妄想」の看
板が環6道路にあるので有名。竜宮のような門があり、入ると境内。
広い。墓も広い。本堂の他に観音堂、竜南閣、円通閣、など建物が
あって、まこと古刹にふさわしい。幼稚園まである。南無百観音安
置、東京18番霊場という石碑が入り口にある。
中野坂上駅から南、環6道路を300m。わかりやすい。1999/04/16
中央

徳蔵寺 太子山 浄土真宗大谷派
中央4の14の9
道路に面して鉄筋2階建て、1階は寺務所、2階が本堂。大きくは
ないがきちんとして内陣が見えた。左に3階建ての住宅。掲示板に
は、お東の東京真宗会館発行のサンガ37号(99、1、1発行)、
「世の中に むだにはかなき 身を知れと おしえて帰る 子は善
知識かな」(和泉式部)、また、「門徒 もの忌まず」とある。静
かなお寺だが、開けている感覚がないのが、淋しい。
新中野駅から北へ100m天祖神社の裏。1999/04/20

慈眼寺じげんじ 福王山彌勒院 真言宗豊山派
中央3の33の3
1544創建、門を入ると広い境内、正面が本堂、左に沢山の地蔵
など石仏、その奥は墓である。本堂は鉄筋立派。真言宗のお寺にし
ては空海さんがいない。蝋燭立て、線香立て、がない。本堂右には
金色の仏舎利塔、さらに右に彌勒院(葬祭場)、その右に金色の2
階建の鐘楼。
鍋屋横丁交差点から青梅街道東へ50mのところで北側。1999/04/20

正行寺 寿光山 浄土真宗本願寺派
中央3の47の4
掲示板「念ずれば 花開く」、墓地は多摩霊園となりにあり、とあ
る。鉄筋2階建で、2階が本堂、脇に3階建の住宅がある。まと
まっているが、開かれていない感じである。お寺が自閉症ではかな
わないな。
大久保通り(宮園通り)から、中央4と3の境の通りを南へ入り5
0mで、東に入って4軒目。1999/04/20

常昌院 松吟山 曹洞宗
中央2の53
鉄筋であるが、寺作りである。墓はない。都会の小さなお寺という
感じ。
中央3から東へ歩いて2になって、それから番地をみて、探しなが
ら、歩く。明徳稲荷お隣で、脇に、公園があり、幼児とそのお母さ
んで溢れていた。1999/04/20

宝仙寺 明王山 
中央2の33の3
あうんの山門、ご影堂、広大な墓、大師堂(葬祭場)、広い境内。
凄い立派な。古刹である。右奥に宝仙学園がある。
中野坂上駅から青梅街道を西へ200m、宝仙寺バス停あり。1999/04/20

高歩院 宗旨など宗教的な縁起は不明。
中央1の17の3
普通の家造り。裏には禅道場がある。坐禅会が第1、3土曜、2日
曜、10時〜12時半。高田玄中老師とある。
青梅街道から、中野坂上より東、ほとんど新宿区の境の低い道を1
0分北へ歩いて行くと、三叉路のようなところにでる。そこの一角
にある。わかりにくい。1999/04/20              
中野

善成寺 桃園山 中野不動 真言宗豊山派 
中野3の39の10
中野駅南側線路沿いに西へ歩く。100mで、中野OAスクール角にく
る。ここで南へ曲がると、商店街が続く、100m行った西側の商
店の1つ。入り口は他の商店と同じく、開いており、まさしく開か
れている。行事案内もあり、あまり人の出入りは無さそうでしたが、
まさしくお寺でした。1999/04/21

龍昌寺 曹洞宗
中野6の3の7
入り口の石碑に、「永徳稲荷、千両観音 龍昌寺」とある。門を入
ると、狭いが都会では普通の広さの境内で、正面が本堂。右は住居、
左が小さな観音様と鐘楼、その先には塀沿いに墓がならびそれが本
堂の裏に続く。 
 早稲田通りに面し、中野6丁目バス停から東へ100m。入り口
が奮っている。店「桃太郎寿司」さんと「東京オート洗車」の間に
あり、まさに洗車さんの屋根の下を潜って門になる。そんな関係で、
案内や掲示板がない。墓などは綺麗に整備され、掃除も行き届いて
いるが、開かれた寺とは言い難い。1999/04/21         
東中野
無し。

あとがき
南台に3寺、弥生に2寺、本町に3寺、中央に6寺、中野に2寺、東中野はなし、中野
区は古くは東京近郊であったので、代表的な住宅地として発展したのであろう。お寺も
その中に埋もれるように散在していて地域に馴染んでいる。近年はビルが多く、商業地
になりつつあるがまだ路地裏のロマンを想像することができる場所も残っている。  

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