日時:1997/11/03-07
まえがき 文化の日である。しかも快晴で、こんな素晴しい日を家でぶらぶらするのは 嫌だ。それで世田谷のお寺を訪問散歩としゃれこむ。 等々力不動尊: 明王院:真言宗智山派 世田谷区等々力1の22の47 東横線自由が丘駅乗換、大井町線で等々力駅下車、まず駅からすぐ渓谷に
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下りる。いわゆる、等々力渓谷である。20 0m程渓谷を散歩すると不動の滝があり、す ぐわきに不動尊入り口になり石段が続く。こ れが等々力不動さまだ、石段を50段ほどあ がると、本堂境内、になる。文化の日である からか、結構人が出ていた。また、いま菊の 展示がされていた。恒例の催しのようである。 帰りはそのまま山門を抜けて、不動尊の正面 から出る。 |
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満願寺: 不動さまの外の道を左にとり、100mで 環8に出る。これを横切り、さらに大井町線 を過ぎて、200m北上すると、目黒通りか ら一筋西側の道に満願寺がある。これは凄く 立派なお寺で、さすが不動尊を別院とする本 拠の寺だと感心する。静かで人もいない、文 化の日だというのに本当に文化だね。 |
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玉川神社: 満願寺を出てすぐに目黒通りにでると北隣 に玉川神社がある。石段をあがると広い境内 になる。立派なお宮で、もう753の着飾っ た家族が見えていた。これも日本の美しい習 慣なんだよな。 |
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九品仏、浄真寺:浄土宗 世田谷区奥沢7の41 目黒通りを500m北上して、右折、東へ 向かう。等々力4丁目から、5丁目になり、 ここで、右が5丁目、左が6丁目の境の道を えらんで東へ向かう。気持ちよく500mも 歩いたかな、突然右側が奥沢になる。ここで もう近いことをしる。それで寺らしきものを 探すと墓が見える。それでわかったのだけ ど、裏手なんで、表にでるのが一苦労であり |
ました。墓所からは針金で柵をして、入れない。ぐるぐる周囲を見ながらある いて、相当に300mは歩いただろう。やっと南門というのを発見、中にはい る。とたんに仏殿が三棟ならんでいる。これがそれぞれに3仏あるから、9仏 だね。九品仏の理由がわかった。その対面に本堂があり、山門も素晴しい、広 い境内を散策、大勢の人が訪れていた。ほとんどが墓参りではなく、散策であ るのがわかる。 帰りは正門から参道に入り、門前町をあるいて、なんということなく九品仏 駅に着く。
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観音寺:単立: 世田谷区下馬4の9の4 九品仏、自由が丘、学芸大学駅と電車で。 学芸大学から商店街を西にとってどこまでも 歩いた。鷹番3丁目を過ぎて、商店街を過ぎ るとやがて世田谷区下馬5丁目になる。さら に歩いて行くと4丁目になり、学芸大学付属 高校に遭遇、学校の右側をそのまま塀沿いに あるいてゆくと、やがて、寺らしいものがで て、これが観音寺であった。歩いたぞ、 |
1、5kmはあったのではないか。 特攻観音、とか世田谷観音とかいろいろ 書いてある。そんなに広くはないのだけどいろんなお堂が並んでいる。 帰途は、正面から出て、左(西)に向かう。下馬から三軒茶屋1丁目にな り、商店街を歩く。これも結構距離があった。寺から三軒茶屋交差点まで1 kmはあったろう。 また三軒茶屋で世田谷線の駅にでるのに300mは歩いた。そしてやっと 駅について130\定額制の電車に乗る。 勝光院:しょうこういん 曹洞宗 世田谷区桜1の26の35 上町(かみまち)で下車、線路沿いの道を歩き、やがて道標がでたので、
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わかりやすい。駅から300mはある。しかし 森になっていて、雰囲気の良いお寺である。入 り口から100m参道を歩いて山門に着く、こ れから100m歩いて本堂となる。しずかな禅 寺で、その禅にふさわしい雰囲気をもっている。 右は竹林であるが、これがまた綺麗に林を形成 していて手入れが大変だろうなんて思ってしま う。次は北へ行けばなんとかなる。有名な豪徳 寺だもの、って気軽に歩いて行く。 |
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豪徳寺: 曹洞宗:世田谷区豪徳寺2の24 世田谷線の踏切を渡って北へあるくとやが て200mほどで、豪徳寺2丁目に出る。あ とはその付近をあるいていると標識があった。 立派なお寺で参詣者も多い。山門が素晴しい、 国宝にしてもいいのじゃないか。それから仏 殿、その奥に本堂、宝塔もあり、それは古刹 といういふさわしいお寺である。 帰途は、世田谷線を横目に見ながら北上し て小田急豪徳寺駅へ、1km近い歩きだった。 |
どうも正解は世田谷線の宮の坂駅で電車に乗ることらしい。私は駅を見なが ら、一つ駅だからとたかをくくって、歩いてしまったが、これは距離あった ね。 以上で、15時半になり、帰宅してしまった。それで喜多見の慶元寺を落と してしまった。次の機会にする。 11月7日、午後から時間が出来たので、残りを決行する。喜多見駅から 歩く、喜多見8丁目、7丁目、4丁目と歩いて行く予定を立て、歩き始める。 道は南側に外れ直に北岩戸、南岩戸となりやすい。その度に北へ修正しなが らの歩きであった。きっと、昔は田舎の畦道であったのだろう、曲がりく ねっている。また新しい道ができてしばしばその方が広かったりして、迷わ せる。 やっと、喜多見4丁目と南岩戸の境界の道を見つけ歩いてゆくと、少しし て氷川神社の本殿に遭遇する。これは行き過ぎたようだ、と直感し、本殿か ら参道(100m)を抜け、鳥居の表に出て周囲を見渡すと寺らしい居ずまい を見つけた。それっと、訪ねて見るとこれが目指す慶元寺の裏であった。 入って行くと、本堂のすぐ裏であるのがわかるんだけど、表に出られない。 寺の人の入り口であった。それにしも枯れ山水、綺麗に手の入った庭園、と まことに素晴しい。寺の贅沢なんだが、それを檀家さんなど一般参詣人に公 開しても良さそうなものに、とつい言葉が出てしまった。おかしいね。凡夫 ですね。
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寺の外側をぐるりっとまわってみて、これ が大変だった、やっとのこと入り口の門柱に きた。入り口は5mほどのもので、それから ずっと100mの参道が続き、山門に至る。 庭は50m平方ぐらいか、鐘楼あり、寺務 所あり、である。本堂は古くいま補修中であ った。無造作に朽ちたところの木を交換して 新しく白木にしている。まことにアンバラン ス。きっとあとで、目立たないようになにか 塗るのであろう。 |
なにしろ駅(小田急)の反対側に入り口があり、しかも裏門というか小田急側には なにも近道らしきものがない。かたくなに閉ざした寺である。 帰途もまた世田谷通りに出て、バスで帰る。往路で2km、復路で1kmの歩きでした。 1997/11/07 14:00 帰り道に、それは喜多見7丁目8の4番地の十字路に、「念仏車」という看板を見 ました。そして脇に高さ130センチぐらいの石柱があり、その頭部に穴が掘られて いて、その穴に木の車が仕込まれ、車の中心にある棒が石にはめられ、車に手を当て て廻すと廻るようになっていました。車は6角形でして、その各片に一字づつ「南無 阿弥陀仏」の文字が刻まれていました。 多分、昔の文盲の人がなんとしても経典を読みたい、というとき、読むことを納得 する智恵として、車を一回廻せば経典を一回読んだことになるよ、っていう方便であ ると思いました。この智恵を作った人はなんと偉いことか。素晴しい良いことですね。 昔の信仰を感じました。車の軸棒の減り方を観察して参りました。命が入っているの ですね。 あとがき 最後の慶元寺は閉ざした寺らしくないたたずまいであったけど、あと他の寺はそれ ぞれに人間を感じる良いお寺であったように思う。世田谷という住宅地にふさわしい 整ったお寺群であった。このようなところには、良いお地蔵さん、仏信仰の講、など が散在していると思う。そのようなものの探索もまた良きかな、幸せな日日である。